第6話 巡、久しぶりの登校 1

 巡は公立高校の総合クラスに通っている。高校自体はそこそこの進学校だが進学率が高いのは特進クラスがあるからであって、巡にはあまり関係がない。


 フィアット500を学校の玄関脇の駐車場に停め、巡は自力で車から出て四点杖をついて立つが、扉を閉めるのは優海だった。


 桜が満開で、風が吹かなくてもはらはらと花びらが舞い落ちる中、髪を直す優海はアイドル写真集の1ページのように見える。


 部活動に登校している生徒たちが通りがかりに優海に気づき、目を丸くした。ランニングで校外に出かけるサッカー部員たちも目が釘付けだ。


 確かに衝撃的だよな、と巡も彼らの気持ちがよくわかる。これだけ愛らしく、グラビアアイドル級の抜群のプロポーションの美女が、桜吹雪の中に凛と立っているのだ。現実離れも甚だしい。ランニング中でも目を離せないのも男としてよく理解できる。


「みんな若いわね~」


 優海は思春期男子の熱視線にも慣れたものらしい。


「高校時代は大変だったでしょう? 男はみんな露骨だから」


「私、高校まで女子校育ちだから、よくわからないの」


「初耳です」


「こんなの重いだけなんだけど……」


 優海は自分のバストを下から抱え込むように持ち上げ、ため息をつく。周囲の生徒達のどよめく声が聞こえてきて、巡は彼らの視界を塞ぐように優海の前に立つ。


「人が見てます」


「あら、ごめんなさい」悪びれる様子もなく、優海は手をバストから離す。「こういうの、巡くんの前でだけするね」


「いや、俺の前でもしなくていいです」


 巡も思春期まっただ中の男子である。入院中でフラストレーションもたまっている。我慢は身体に良くないと言うが、まさにその通りだと思う。


「でもやっぱり、こんなきれいなお姉さんと一緒で嬉しいでしょう?」


 巡は俯いて言葉を失ったが、優海は肯定と受け取ったらしく満足げな笑みを浮かべ、言った。


「おしゃれしてきた甲斐がありました」


 それはどうだかわからない。優海なら学校ジャージでも同じように目を引いただろうから。いや、学校ジャージなら身体の線がもっと出てしまうから、火に油を注ぐ結果になったに違いない。


「成績表、とってきます」


「私も保護者として、姉として、一緒に行きます」


 優海は四点杖を持たない巡の右手をとる。両足とも複雑骨折しているが、巡は比較的痛みが少ない右足を軸に歩き、杖1本で済ませている。だが、支えがある方が楽なのは当然だ。何度も何度も手をとって貰っているが、優海の手は冷たく、それでいて彼女の優しさなのか、甘い感覚が手のひらから伝わってきて、恥ずかしくてもどうにも拒めない。しかし優海は手を離し、その代わりに空いた腕を巡の腕に回した。


「さあ、行きましょうか」


 巡の腕に自分の胸が当たらないよう配慮してくれているのがわかる。もし触れたときは平常心でいられるはずがなく、男のさがのために、身動きが取れなくなることを理解してくれているのだろう。


 今日も柑橘系のいい香りがした。いつものローファーではなく、ヒールのあるパンプスで身長差がかなり縮まっている。それでも優海の頭頂部は目の位置ほどだ。シャンプーの香りだろうか、と巡は想像する。


「あら、巡くんの垂れ幕があるのね」


「そりゃまあ、インターハイ優勝ですから」


『本校2年生 自転車部 桜井巡 インターハイ・ケイリン競技優勝おめでとう』の垂れ幕が校舎の屋上からかかっている。来年度のインターハイが終わるまでは掛けられ続けるだろうが、巡としてはもう片付けて欲しかった。3年のインターハイには復帰が間に合わないだろうから、見るのがつらかった。


「聞いてはいたけどすごいことよね」


師匠オヤジの教えのお陰ですよ」


「垂れ幕見るの、つらいな……ごめんね」


 自分がつらいだけではなかった。加害者である優海が見てもつらいことを予想して然るべきだった。巡は師匠オヤジに連れてきて貰えば良かったと悔やんだ。


 昇降口で上履きに履き替えさせて貰い、進路指導室に行く。来校の旨をオンラインで伝えてあったので、担任の先生は指導室で準備万端待ち構えていた。


 先生は書類を渡したあと、優海に言った。


「巡くんの進路は競輪選手養成所だって聞いて安心していたのですが、この様子では進学も考えてはいかがですか。彼の成績なら推薦がとれますよ」


「ありがとうございます。私もよく考えますが、最終的には巡の希望を一番に考えたいと思っております」


「もちろん。しかし大学の4年間を回り道だと思わず、しっかり身体を回復させて、卒業してから競輪の学校に行ってもいいのではないかなと私は思います」


 担任の先生は巡に笑いかけた。


「お前は心配するな。ゆっくり治せ」


 巡は頷いた。


「しかし素晴らしいお姉さんだな。家族がいないと聞いて少し気になってはいたんだが、離れて暮らしていただけだったんだな。安心したよ」


 先生はこれで話は終わりとばかりに手を振った。

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