第30話 優海と巡、北へ


 家の前まで優海を送り、巡も降りた。帰りは優海が家まで送ることになった。


「優海姉さんの家、久しぶりな気がするな」


「ランチを作って以来だね」 


 優海は同じ失敗をしないよう、先に入って洗濯物を片付けてから巡を招き入れる。


 縁側の掃き出し窓を開け、2人で縁側に座る。もう巡もだいぶ普通に座れるくらい関節の可動域が回復している。


 煎茶を入れ、縁側で初夏の光を受けながら、2人でお茶をする。お茶請けは普通の割り煎だが、これも日常という感じでいい。


「相談って何? たぶん、図書館の資料を読んで思いついたのかなとは思いますが」


「察しがいいね。その通りだ」


「おお、猫が来た~」


 久しぶりにサクラが現れ、話の腰を折られた。優海は冷蔵庫から猫用煮干しを取り出し、巡に手渡す。巡は戸惑いつつもサクラに煮干しを2、3匹あげ、手のひらを嘗められた。


「ざらざらしているんだ」


 ふふ、と思わず優海は笑いをこぼしてしまう。


「誰にでも発見はあるよね」


 そしてサクラは満足したのか、巡の隣で毛繕いを始めた。


「それでね、端的に言うとご両親のお墓参りに連れて行って欲しいの」


「お墓参り、ですか」


 割り煎をかじりながら巡が応じる。


「それはまたどうして」


「PTSDの原因が交通事故なら、もう一方の事故の方も当たらないとならないのではないかと思い至ったから」


 優海は湯飲み茶碗からお茶をすする。


「お墓、ないんですよ。樹木葬で」


「今どきだね。その霊園、どこにあるのかな。事故の現場から、近いのかな」


「そんなには離れていないと思います。せいぜい、2、30キロくらいかと。叔父さんに聞いてみます。なにせ、1度も行ったことがないので。ああ、俺、東北の出身なんです。事故も霊園も山形です」


 優海はそれを聞いて、目を丸くした。


「そうだったのか。なまりなんかまるでないよね」


「普通、標準語ですよ。一度、千葉の叔父の家に行って、山形ではなくて千葉の児童養護施設に入って、それから里子で上泉の家に来たので、千葉なんです」


「なるほど。こんな短時間でまた長距離ドライブを敢行しないとならないとは思わなかったな」


 巡も驚いたように目を見張った。


「山形ですよ。行くつもりなんですか」


「もちろん。GWだから渋滞するだろうから、覚悟の上だね」


 優海はフウと息を吐いた。想像していたのより遙かに遠方だが、大阪まで行った経験があるから、なんとかなりそうと思えた。しかし巡は思いきったように優海に言った。


「でも俺は、山形に行くのであれば自転車で行きたいです」


「T20号で?」


「優海姉さんさえ良ければ。今の俺と優海姉さんなら、1日100キロいければ上出来でしょう。車通りが少ないところを選ばないと俺、ダメそうですから遠回りになって山形まで500キロくらいと想定します」


「そんなに競輪場バンク、ダメだったんだね」


「500キロも走れば、こんな恐怖もありもしない影も消してみせます。そして優海姉さんの想像の通り、俺は両親が死んだ現場から避けてきました。だから自分の力で会いに行きたいっていうのもあるんです」


 巡は半ば思い詰めているように優海には見えた。開けてはいけない巡の心の中の蓋を開けてしまったかのようだった。


「でも500キロなんて……残りのGW期間で間に合う?」


「俺1人で万全なら丸1日の距離なんですけどね。今回の5月に入っての3連休は火水木。大学はないでしょう? 俺は学校を休みます。優海さんは休養日が必要ですし、雨もあるでしょうから、2日は余裕が欲しい。明日準備、明後日出発、最後の1日で輪行で帰ってくる」


「学校休むのはダメだよ」


「じゃあ、オンライン授業申請します。そうすれば優海姉さんは休養日に当てられる」


「それなら、よし」


「俺のわがままだってことは百も承知です。途中で挫折するかもしれないけど、チャレンジしてみたいんです」


「2日休むとしても、私の体力が保つかな」


「タンデムですから、力は半分で済みます。俺も馬力的には回復しつつあります。無理なら帰ってきます。それで、ダメですか?」


 巡が隅から隅まで本気であることは優海にもわかる。


「でも、私と2人でお泊まりだよ? GWに今から宿泊場所確保なんて至難だから、確保できたとしても1つの部屋に泊まるとか普通に考えられる」


 巡がフリーズした。


「車――日帰りにしましょう」


「挫折早! これまでの展開、なんだったの!?」


「お泊まりなんかしたら、優海姉さんの体力が尽きる前に俺の理性が崩壊します! よくよく考えてみれば、5日間も優海姉さんのお尻や生足と戦うだけでもラスボス戦級でした!」


 優海は俯き、お腹を見せているサクラの方に目を向け、首回りを撫でた。


「私は、イヤじゃ、ないよ」


「イヤじゃないったって……」


「夏帆におっぱいくらい触らせてあげなって言われているし……」


 巡は額に手のひらを当ててうなだれた。


「鼻血出そう。本当になるんだ、こういうの」


「えええ?! 大丈夫?」


 優海はティッシュボックスごと持ってきて、巡に手渡す。


「実際には出なさそうです。びっくりした」


 巡は顔を上げた。


「そんなに破壊力がありましたか」


「絶大でした」


「ごめん。そこまでとは思っていなかった。エッチなことってやっぱり好きな人としたいよね。巡くんはその好きな人だけど、そもそも『姉』として好きな可能性も大いにあるわけで。それでも巡くんがおっぱい触るくらいで最後までは我慢できるのなら、それくらい、いいかな、なんて考えるのです」


「ぜんぜん『それくらい』なんかじゃないです! ご自分の武器をわかってない!」


「前回の反省から、車でも1泊はしないと安全確保は難しいと思う。フィアット500だからね。それでも大丈夫?」


 巡は少し考え込んだあと、答えた。


「やっぱり、自転車で行きたいです。煩悩は横においておいて、やっぱり、トラウマを克服したいから。優海姉さん、力を貸してください」


 そして大きく頷いた。優海は紙とペンを持ってきて巡に言った。


「計画を練ろう。ルートと、必要な持ち物と、泊まるところの検討をしよう」


「はい。T20号もそのままでは難しいかもですから」


 巡は頷き、優海は巡との距離を自然に詰めて座る。


 優海にとっては自転車そのものに慣れていない。その上、自転車旅行だなんて予想の斜め上過ぎる。しかしそれが巡の希望であり、トラウマを克服する糧となるのであれば力になってあげたい。加害者としての責任感はとうに優海の頭から消えている。やっぱり愛かな、と思う。


 ダメなら電車で帰ってくればいいのだ。


 それくらい気楽に考えよう。そのための折りたたみ自転車なのだ。


 そう自分に言い聞かせ、優海は外が暗くなるまで、巡と一緒に縁側で山形への強行軍の計画を練ったのだった。

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