第29話 PTSDについて調べる
GW初日、優海は千葉市にある県立図書館まで足を運んでいた。残念ながら南房総に大きな図書館がないため、千葉市まで足を伸ばすしかなかったのだ。インターネットの情報は論文検索を除けば、ほんの表面的なものでしかないことが多い。専門的なことには書籍に分がある。
調べるのはもちろん、巡のPTSDについてだ。診断されていなくても、実際に今、巡は1人で自転車に乗ることはできない。T20号を使って3日、事故現場を通ることを繰り返したが、一定の効果があったものの、軽快とはいえない様子だ。実際に事故のときと同じように、鼻先を突き出してきた車もあり、もちろん回避して接触せずに済んだが、巡はこれまで同様、恐怖を覚えていた。なんとかしなければならない。
タンデム自転車でなら自分で操作するわけではないから大丈夫か、と考えたが、所詮は素人考えだったようだ――と優海は落胆したが、もう少し自分で調べることにした。そうしないと罪悪感に押しつぶされそうだった。
巡は近くにある、新たにドーム型施設となった千葉競輪場でアマチュアの走行会に参加している。走行会のスペシャルゲストが“剣聖”上泉で、彼について行く形だ。彼らとは昼過ぎに合流する予定だったのであまり時間はない。関連書籍を山積みにして、ざっと流し読みし、参考になりそうなところだけじっくり読む。実際に経験した、いわゆる当事者の本を読むと参考になった。
そのうちの1冊には、PTSDの原因を探り、洗い流し、愛を育む、と簡単に書かれていた。だが、比較的軽い症状の巡でさえ、それは難しいと思われた。彼の悲しみは根深い。交通事故で両親を亡くし、自分もまた事故に遭い――それを拭わなければならないということになる。自分に愛はあると思う。しかしPTSDを拭うに足りるのかは誰にもわからないだろう。
そう、両親も事故で失って――そこまで思い至って、優海は気がついた。
「――あの事故はトリガーでしかなかった?」
そういえば、優海は巡から両親を失った事故の話を詳しく聞いたことはない。本によればPTSDの症状は突発的に現れることもあるとも書いてあった。
今日は上泉のハイエースに相乗りさせて貰ったので車はない。巡がいる千葉競輪場まで2.5キロくらいあるが、本で得た知識を頭の中で整理するのにちょうどいいと思い、優海は図書館をあとにし、歩き出した。
上泉のゲストとしての仕事は最初のセレモニー、そして模範走行のときだけで、巡の体験走行の時間が終わると館山に戻ることになっていた。近くまできたところで優海が連絡を入れるともうハイエースで帰り支度をしているということだった。
ハイエースの運転は上泉が、助手席には南が、後ろに巡と優海が座った。双子はお留守番で、勉強するように言われていた。南が作ったお昼ご飯用のおにぎりを食べ、ハイエースは東関東自動車道に乗る。巡の体験走行会は散々だったようだった。
「初めてバンクに来たときみたいに怖くて乗れなかったんだ」
巡は意気消沈し、おにぎりを食べ終わるとハイエースの天井を見上げた。
「ゆっくりと、焦らずにな」
上泉が穏やかな声色で言う。
「そうよ。落車したあとなんだから当たり前よ」
南も優しくいう。
優海は里親の2人がいるところでは巡に、両親を失った事故の話を聞きづらく、ただ、なんとなく3人の会話に相づちを打つだけだった。
館山市街に到着し、優海は家まで送ってもらえることになっていたが、その直前、巡に声をかけた。
「巡くんに相談があるんだ。一緒に降りてくれないかな」
南はにんまりと笑った。
「夕飯、巡くん、いらないわよね」
「はい、彼の分も作ります」
「じゃあ、遅くなるように」
上泉が即座に言い、自分で吹き出していた。優海はすぐに否定しようとする。
「いえ、そんなんじゃ」
「そう? このところ、優海さんの物腰が柔らかくなったから、巡くんとの関係が変わったのかなと思って」
南が助手席から振り返り、優海と巡を見る。優海は肩をすくめる。
「わかりますか……」
「恋人同士になってくれたかな、なんて思いもしたけど、まだまだ複雑よね。いいのよ、そっちもゆっくりで。でも、賞味期限があることも間違いないから、気をつけてね」
「はい」
巡が答え、優海は唇を固く閉じる。賞味期限なんて優海は考えたこともなかった。
「避妊だけはしっかりな」
「あなた、オヤジになり過ぎ」南がげんなりしつつ夫を見て、がっくり肩を落とす。「この人、昔は格好良かったのよ、本当に」
「今でも
「もっと言え、もっと!」
「バカ師弟……」
南はさらに肩を落とした。
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