第35話 水田に映る朝日
スマホのアラーム音で2時半に起き、女将さんが用意してくれたおにぎりを食べ、出発する。おにぎりが入っていたタッパーの上に用意しておいた封筒に1万円札とありがとうございましたと書いたメモを入れておいた。手渡しても受け取ってもらえそうになかったからだった。
予定通り3時に出発する。T20号で2人で息を合わせてペダルを踏むのにも、もう慣れたので、速度が出る。すぐに国道4号線に出る。
夜中の国道は交通量が少ないが、大型トラックが多い。大型トラックのキャビンの上のライトは遠くからでもよく見え、サイドミラーにも映るので、心の準備ができる。追い抜かれる前にできる限り歩道側に寄ると、大半の大型トラックは距離をとって追い抜いてくれる。
また巡がスマホから音楽を流し始めた。温泉で充電用の電源が確保できそうなので、気は楽だ。まだモバイルバッテリーを使う場面もない。
「ああ、楽しい」
疲れはたまっているが、テンションが高い。まだまだ動ける。優海は心から思う。
「この旅が始まってから、その単語を聞くの初めてだ」
巡に指摘され、ふむ、と優海は考える。
「余裕なかったからね。でももう半分来たし、時間的余裕もある。それに巡くんと距離が縮まっていくのがわかって、楽しい。正直、もう巡くんに合わせて回すので精いっぱいだけどね。パワーなんて出てない」
「そんなことないですよ。足の重さでちゃんとパワーになるんですから」
「そうかな。巡くんの力になれているかな」
「優海さんが導いてくれなかったら、俺だけだったら、ここまで来るの不可能だったんですから、胸を張ってください」
その言葉は、ものすごく嬉しい。
「私が胸を張るとすごいことになるんですが」
「俺の前以外でそれ、やらないでください。あと、自虐ギャグはやめてください」
優海は苦笑した。
国道4号のバイパス部分が終わると道幅が狭くなり、片側1車線になっただけでなく、道路照明灯の数が減る。ヘルメットとハンドルのLEDライトにくわえてダイナモライトがあるから明るく走れる。まさに備えあれば憂いなしだった。
そしてもう水田と集落が交互に過ぎるいかにも地方道路という県道らしい街道になる。
天頂にある月が水が張られた田に映し出され、天と地で輝いている。幻想的な光景だ。
時折、トラックに追い越され、光はかき消されるが、通り過ぎれば再び輝く。
田植えが終わっている水田もあるが、輝きは消えない。
徐々に傾斜がついてきて、登りだな、と体感できるくらいになる頃には東の空が白んでいる。もう、3度目の光景だが、まだまだ見飽きることがない。朝の空の色は無限だ。
都会に育ち、優海は人に囲まれて生きてきた。だが世界はこんなにも複雑できれいだ。
巡に会わなければ人生で出会えなかったかもしれない風景を優海は目に焼き付ける。
いや、きっとそうではないのだろう。東京にも美しいものはいっぱいある。ただ気づかず、通り過ぎていただけなのだ。何度となく見たはずの根津神社のツツジだって、巡と見たからこそ、あんなにもきれいだと気がついたのだから。
朝日が東の方角にある里山の端に見えた。
光輪がアイウェア越しでも眩しかった。偏光式のアイウェアなので、これからの光景には色がつく。でも、この先もきっときれいだと感動することだろう。
「きれいだ!」
「きれいだ!」
2人で同じ言葉を叫び、笑う。
傾斜がきつくなってきて、優海はギアを下げ、速度は落ちる。
それでも巡の力が効率的にペダルに伝わっているから、一定速度を維持できる。
7時前に国道400号線に入ると、温泉宿が現れてくる。旧道とバイパスが何度も交差する道で、バイパスはトンネルが多い。スマホのナビゲーションを利用して、なるべくトンネルを通らないように温泉街を抜ける。
渓谷沿いの道なので、時々、山の木々を反射して緑色に陽に輝く渓流が見える。
水の音が、心地よい。
それにしてもずっと登りだ。登りが終わって下りが現れてもまたすぐに登りだ。イヤになる。優海は嘆く。
「もう! 早く終われ~ 坂嫌いだ~」
「いやもう、南会津の市街に入るまでずっとこんな感じだと思うよ」
「その先は?」
「会津盆地で喜多方までは割と平坦かも」
「遠い!」
「米沢まで入るのにまた山越えだよ」
「巡くんのためにがんばる!」
「俺も優海さんのために、がんばる!」
そしてナビゲーションによるとトンネルを通らざるをえないところまできてしまった。2人は覚悟を決め、前進を続ける。トンネル内は道幅が狭くなるのが普通だ。上手く車が追い越してくれるなら良いが、追い越しが下手な車が1台でもいると渋滞を引き起こしてしまうし、何より路肩の状態が悪いのが恐い。プレッシャーだった。
しかし幸いにしてそこはトンネルではなく、雪よけドームで覆われた区間だった。しかしその先にはトータル1700メートルオーバーの尾頭トンネルがある。
こんどこそ逃げられないと覚悟を決めたとき、巡が声を上げた。
「やったー! 優海さん、止まって!」
尾頭トンネルが見えてきたところで巡が声を上げた。優海は巡はタイミングを合わせてクランクを止め、ブレーキをかけ、止まった。
「どうしたの? こんなところで」
「祝300キロだよ!」
巡はスマホのアプリでこの旅のログをとっていた。
「やったー! もう3分の2来たんだ!!」
優海は巡と手を取り合い、その場で幾度となくジャンプし、ハグして喜ぶ。
ハグは2度目でも、2人とも照れてしまって一旦離れた。
そして自撮り棒を取り出し、ヘルメットをとって、車が通行する邪魔にならないようにガードレールに張り付くようにして記念の写真を撮る。背景は緑一色だが、2人で確認するともうこれ以上はない満面の笑みを2人とも浮かべていた。
「100キロと200キロも撮れば良かったね」
「気がつかなくてごめんなさい」
巡にしてみればその距離は特に何事もない距離なのだから仕方がない。
2人は再スタートし、尾頭トンネルを注意して抜ける。トンネルの中は地下水の浸水があり、泥でぬかるんでいるところもあるが、幸い、車が後ろに見えないタイミングだったのでぬかるみは避けられ、何事もなく進んだ。もう全力疾走だ。トンネル区間を通して対向車は少なく、追い越す車は皆スムーズで、渋滞になる要素はなかった。
トンネルを抜ける手前から下りになり、どんどんスピードが増していく。
トンネルを出ると長い下り坂であることがわかり、国道121号に合流するまでノンストップだと思われる。サイクルコンピューターの温度計は19度だった。館山を出たときは31度だったから気温差は激しい。重ね着しているが下りで速度が出ると若干寒く感じる。しかし優海はそこをテンションで乗り切り、ついに国道121号に合流した。
「やったー!!」
同じやったでも違う感慨がある。
「ついに国道121号だよ!」
優海はこんなにはしゃぐのは何年ぶりだろうという勢いで叫び、巡も続く。
「あとはまっすぐだ!」
道路案内標識が南会津26キロ、会津若松69キロと教えてくれる。
2人が大騒ぎするのも無理はない。国道121号を走って行けば、目的地の巡の生まれ故郷、山形県米沢市に着くのだ。
感慨もひとしおである。
そして国道121号を走り始めて6キロでまたトンネルが現れたが、今度は『ようこそ福島県』の看板がある。またおおはしゃぎして記念撮影をし、トンネルに入るが、500メートルないくらいで、どうということはない。もう優海にはトンネル耐性ができたようだった。
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