第34話 nothing gonna change my love for you

 GW中の真夜中、優海と巡はタンデム自転車、T20号に乗って、国道4号線で北上を始める。さすがに休日の夜中だけあって交通量は少ない。だが追突の危険性を減らすため、後部の赤色灯を2つに増やした。


 30分ほどで順調に環七を抜け、そして出発から1時間もしないうちに東京都を抜けて埼玉県に入った。そしてしばらく走った後、優海はうめいた。


「うわあ、見ないつもりだったけど思わず見てしまった」


「さては道路案内標識を見てしまいましたね」


 青色の道路案内標識には宇都宮93キロとあった。次の宿泊地は宇都宮の上泉の知人宅の予定だ。なお、先方には夜中に出発する旨は、昨日のうちに連絡済みである。


「遙か遠い。しかし、館山と千葉市くらいだと考えると」


「経験しているとなんとなく近く感じるでしょう?」


「クリームの効き目があるみたいで、お股、あんまりすれて痛くないし」


「思春期男子には言葉を選んでください」


「そのうち見せるかもしれないんだから慣れてください」


「ええ?!」


「擦れて痛くなったら絆創膏とか傷パッドを貼って貰うことになるんじゃない? 自分で貼りづらいよね?」


「確信犯過ぎる~」


 巡は天を仰いで叫んでいるに違いない。サイドミラーをつけても、後部サドルの巡の顔までは見えない。しかしサイドミラーのお陰で追い越して近づいてくる自動車をヘッドライトの明かりで確認できるから、かなり安心だ。巡もきっと安心度を増したことだろう。


 優海は笑い、呼吸を整える。筋肉痛はまだ残っているが気になるほどではない。むしろ力が出ている。筋肉を刺激した後の超回復期に入りつつあるようだ。

 強くなった実感を覚えながら越谷に入り、2人は4号バイパスをこのまま行くか、旧道を行くかの選択をしなければならなくなった。


 巡はサイドミラー効果を強調し、これならバイパスで距離を稼げると言った。優海はその言葉を否定する理由はないから、そのままバイパスを行くことにした。バイパスの交通量は平日昼間と比べれば少ないが、通るのは大型トラックや大型バスが多い。恐いことは恐い。だが、路側帯がまあまあ広く、幅寄せされなければ問題はない。


 タンデム自転車の弱いところは普通の自転車と違って、自転車可の歩道や一方通行の道が通れないことだ。歩道に逃げられないのはネックだ。もちろんそれこそ緊急避難が必要な場合は、一時的に逃げ、すぐ車道に戻るつもりだった。


 後ろから音楽が聞こえてきた。巡が、ハンドルバーに取り付けたスマホから流しているのだとすぐにわかった。洋楽やインストゥルメンタルが多く、優海が知っている曲も多かった。


「あ、これ……」


 古いポピュラーソングだった。


『nothing gonna change my love for you』というタイトルでサビもこの歌詞だ。


 恋人への愛をストレートに歌う甘い歌だ。昔から知っている歌だが、優海は共感はできなかった。ただ、メロディは好きだった。


「父さんと母さんと車の中でよく聞いた曲なんだ」


 両親の話を巡の方から聞くのは初めてに近いのではと優海は耳を疑った。


 彼のご両親は愛し合い、巡をこの世に生み出し、育て、そして不慮の事故で亡くなった。その瞬間までこの曲のように想いは変わらなかったのだろうかと思うと、優海は目頭が熱くなるのを感じた。


 涙が流れ落ちそうになったが、我慢する。ようやく赤信号に引っかかり、優海はグローブで涙を拭う。巡が心配そうに聞いてくる。


「汗が目に入った? 大丈夫?」


「大丈夫。違うよ。ちょっと涙もろくなっただけ」


 巡はそれ以上は聞かず、T20号は青信号になると優海の合図で再発進する。


 その後も休憩を頻繁に入れたが、空が明るくなる前に埼玉県から茨城県に入った。自転車・軽車両は車道を走れなかったため、利根川を渡るのにだいぶ苦労したが、宇都宮49キロの標識を見つけ、50キロを切っていることに感動した。


 すぐに栃木県に入り、明るくなる頃にはもう宇都宮は目の前だった。順調すぎて、拍子抜けだった。確かに足は痛くなってきたが、まだ走れそうだった。


 スタミナは切れそうだったが、それ以上に巡の足が止まることがなくなったことが大きいと思われた。もちろん日焼け止めはたっぷり塗った。


 無理をするのは止めて、コンビニでまた休憩する。巡は外で翡翠から貰った封筒から紙を取り出し、般若心経のマントラを唱える。精神安定にいいらしい。知らないで見ると怪しいが、早朝だし、誰もいないしで、特に何も言わなかった。


 朝の8時には宇都宮市内に入り、じきに上泉の知人宅に到着。朝ご飯から歓待を受けた。S級1班のベテラン選手で広い屋敷を構えており、お弟子さんも多く、若い選手が朝練から帰ってくるところだった。


 彼らは優海のサイクルウェア姿を見て大騒ぎし、上泉の友人である彼らの師匠にたしなめられる一幕もあったが、そのほかは大体平穏だった。


 お風呂もいただき、広い湯船で疲れを癒し、優海はさっそく用意していただいた和室で爆睡した。布団は並べられていたが、気にしないことにした。


 巡はその間、若い選手たちと話し込み、ローラー台に乗って遊んでいた。巡にとってはPTSDさえなければタンデムでの100キロくらい散歩みたいなものなのだろう。


 昼に起きて、巡と優海は若い選手たちとは別の部屋で食事をした。どうも優海は目の毒以外の何物でもないようだった。


「この整った顔でこのプロポーションで、なお生足ですから仕方がないですね」


 巡は優海と一緒に食べながら実感を伴わせながら言った。


「私はなにかね、希少絶滅動物みたいな感じか」


「女っ気ないから仕方がないと思いますよ。女子校で男の子の話をしているものだと想像してください」


「ああ、理解」


 あの頃の夏帆や結香のテンションの高さを照らし合わせればわかる。


 タンパク質と根菜と葉物野菜たっぷりの昼食をいただき、優海はまた寝る。今度は巡も一緒だ。早速同じ部屋で寝てしまったが、まだ昼間で、家には大勢の人がいる。色っぽい展開になるはずもない。さすがに巡も眠い様子だったので、並んだ布団を少し離しただけで2人は寝た。


 夕飯前に起きてまた巡からマッサージを受けるが、今度は筋肉が固くなり始めているからか、痛みを感じ、何度も痛い痛いと悲鳴を上げ、女将さんが見に来る始末になった。どうも昼間から良からぬプレイをしていると思われたらしい。誤解は解けたが、非常にばつの悪い思いをした2人だった。


 今日はまだ憲法記念日である。時間には余裕がだいぶあるが、優海の足は今晩からまた走り出せそうな感じだった。


 宇都宮の師匠さんにルートの相談に行き、この先、4号のバイパスがあるところまではいいが、その先は細くなる割に交通量が多く、大型トラックがそのまま通るため、タンデム自転車では危ないのでは、というご意見をいただいた。宇都宮の師匠さんは矢板で4号を降りて、塩原方面に抜け、南会津を経由してはどうか、と勧めた。道は細いが交通量が少なく、温泉もある。山を越えないとならないが、とも付け加えたが、そこは巡にフォローしてもらえると思われた。


「温泉良いよね」


 夕食を食べ終えて歯を磨きながら優海は巡に言う。巡も頷く。


「うん。せっかく来たんだから少しくらい観光っぽいこともしたいです」


「では決まりだね」


 優海は頷いた。2日間走り切れたということが自信につながっていた。


「問題は泊まるところですね。GWの真ん中ですから空いてませんよね」


「夕方になったら見える宿泊施設に片っ端から聞いてみるか、最終的にはラブホテルか」


「ラブホテル、ですか。優海さん、俺と一緒で、いいんですか」


「別に宿泊だけでしょう?」


「ああ、そうですよね」


 おっぱいを触らせるくらいはいいかな、という話が巡の中で既に期待に変わっていたのがよくわかる。真っ向から落胆した顔をしていた。


「期待に添えなくてごめん。朝一番で温泉に入って、夕方まで休憩所で仮眠するというのはどうかな。どうせ走るのは夜なんだし」


「そっちの方は優海さんのペースに任せるって決めていますので。がっかりしなかったと言ったら嘘ですが。でも、それ、名案ですね」


 歯を磨き終わり、夕飯の後片付けをしている女将さんの手伝いがてら優海がその話をすると福島県に入ってすぐの会津高原駅近くの温泉が名湯だと教えてくれた。距離は90キロほどだが、山越えがある。調べると朝10時からやっていて、休憩所は15時まで、入浴は20時までというので先に寝て、後から入浴することにして、10時に到着することを予定して逆算すると3時には出発したかった。


 計画を説明すると女将さんは鍵を閉めないで出て行っていいと言ってくれたが、さすがにそれは気が引けた。宇都宮の師匠さんに相談するとガレージに泊まってはと言ってくれた。折りたたみマットを持ってきているのを見ていたから野宿の準備があるのがわかっていたのだろう。


 2人は出発の準備を整え、先に別れの挨拶とお礼を済ませた上で、ガレージに移り、停めてある車の後ろに折りたたみマットを敷き、借りた毛布で寝た。


「家の敷地内とはいえ、初野宿です」


「それは俺もです」


「また一緒に寝ちゃうね」


「色気づく余裕なんてないです」


「それはそうだね」


 そしてまたすぐに眠りについた。

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