車にはねられたら、優しくて美人でスタイル抜群のお姉さんとラブラブになる話

八幡ヒビキ

第1話 「お姉さんになってくれませんか」 1

 不幸中の幸い、交通事故で複雑骨折の重傷を負って長期入院となっても、オンライン授業の環境ができていたおかげで、桜井巡さくらい めぐるは無事、高校3年生に進級できることになった。そんなに勉強が好きという訳ではなかったが、他にやることがなかったからか、期末テストの成績は爆上がりした。最後のオンライン授業を終えて、タブレットの画面を消す。


 巡は病室ベッドの上から、窓の外の光景を眺める。


 もう1ヶ月近く眺めている海だが、少し色が変わってきたことにも気づいている。

 海は空の色を反射するというから、空が明るくなっているんだろうか、と巡は想像する。海は冬の重苦しさを脱ぎ捨て、明るい青へと変わりつつあった。


「俺、これからどうなるのかな」


 すっかり口癖になったその言葉を自分自身、嫌だと思う。


 考えても仕方がないので、壁に立てかけてある四点杖を手にし、屋上に向かう。彼の病室は最上階にあり、1階分しか上らないのに、3分かけて階段を上る。鈍い痛みに耐え、動悸をこらえる。


 屋上は入院患者の気分転換に解放されているだけでなく、医療従事者たちの憩いの場にもなっており、何故かトレーニングベンチやバーベルなどのトレーニング機器が散乱、いや、設置してある区画もある。巡の目的地はここである。


 トレーニングエリアには先客がおり、巡は脂汗を流しながら、その先客に頭を下げる。先客は巡の主治医の大貫先生で、彼はここの主であり、重度のトライアスリートで、スモーカーの不良中年だ。法律が変わって屋上でもタバコを吸えなくなったので、今はVAPEを吸っている。ニコチンがないからどこで吸っても問題はないはずなのだが、世間体を考えて屋上で吸っていた。今もトレーニングベンチに腰掛けて吸っているところだ。


「授業終わったか?」


「はい。ちゃんと受けてますって」


「学生なんだから当たり前だっつーの。無事進級できそうか?」


「そら、ちゃんと授業に出てますから」


「オンラインで授業に出られてもまだ3週間は娑婆に出られないぞ。新学期もここだ」


「長い」


「お前、左脚にプレート8枚、右脚に2枚、ボルト3本入れたばかりなんだぞ。常識で考えろ、常識で」


 大貫先生はケッ、と吐き捨てた。


「複雑骨折の常識なんて普通の人にはないと思います」


「お前――正論だな!」


「勤務中でしょ? さっさとどいてくださいよ。ベンチプレスやるんだから」


「これは俺の機材だっての。つーか、禁止、禁止、重いもの持つな。超痛いだろ」


「筋肉落ちたら大変だぞってめちゃくちゃ脅したの先生でしょ?」


「あとで止めに来るからな!」


 そう言い捨てて大貫先生は屋上から去って行った。なんだかんだいい人なので巡は彼が好きだった。


「おー、お姉さん来たぞー」


 大貫先生の声がしてトレーニングベンチにウェイトをセットしていた巡は、声がした方を向く。屋上の出入り口前に大貫先生と姉――佐野倉優海さのくら ゆうみの姿があった。


「今日は一段とお美しい。優海さん。ご機嫌いかがですか」


「いつも弟が世話をかけております。先生もお元気そうで何よりです」


  おっとりとした口調にはお嬢さまというだけでは足りない上品さがある。


「ええ。元気ですとも。今晩、私、非番なんですが、お食事をご一緒にいかがですか」


「既婚者と一緒にお食事なんてあり得ません」


 優海は凍り付いた笑顔で返す。


「ええ、もちろん妻も一緒ですとも」


 優海は一変して微笑する。


「お前は病院食な!」


 遠くから巡を指さし、大貫先生は階段を駆け下りていった。昼の休憩時間はとうに終わっていたに違いない。看護師長(奥さん)にまたこっぴどく怒られるのだろう。


「大貫先生、今日も面白いね」


 優海はくすくす笑いながらトレーニングベンチまでやってくる。


 巡は立っているのがつらくなったのでベンチに座った。


 先生が言うとおり、優海は今日も美人だ。優しくて頭がよさげな双眸に、形の整った小さな鼻、薄くリップを塗っただけなのに桜色に輝く唇と満点に近いパーツが揃っている。いわゆる清楚系の美人だが、単にそれだけではなく気品が漂っている。小顔で七頭身半、男の目を引く抜群のプロポーションで、今日はただのテーラードジャケットに男物の白いシャツとストレートパンツで肌面積は極少にも関わらず、ジャケットからパン! と飛び出しているバストは目を向けてしまうだけでも犯罪なのではないかと思うほどだ。このご時世なので大学でのミスコンはなくなったが、もし開催されていたらミス海洋産業大学は間違いない、と巡は思う。


「優海さん」


 優海は巡の口を人差し指で塞ぐ。


「『姉さん』でしょう?」


 優海は指を離した。

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