第42話 ただいま
その夜、2人は復路の計画を立てた。当たり前だが自転車で帰る時間も優海の体力もない。しかしGWの最後だ。新幹線の空きを待つか、在来線を乗り継いで帰るか、優海だけ高速バスで帰り、巡が自転車を担いで館山まで在来線で帰るかの3つの方法しかない。巡も高速バスに乗れても、折りたたみ自転車とはいえT20号は大きい。引っ越し便で送るための段ボール箱が見つからないのだ。
巡が旅の完了報告を南に入れると、双子も連れて車で迎えに行くと返答があったが、それは申し訳なさ過ぎた。特に双子には長時間ドライブするだけの旅になってしまうので、2人は丁重に、かつ断固としてお断りした。
残る2つの選択肢の内、別れて帰る選択肢は早々に外した。優海にしてみれば別々に帰るなんてことは到底できない話だった。せっかく一緒に来たのだ。一緒に帰るのが旅の終わり方だろうと思うからだ。
巡は早々に在来線を乗り継ごうと優海に提案した。
「今までも何度かやったことあるけどあれはあれで楽しかった」
「巡くんがそういうなら、そうしよう」
「新幹線に都合良くキャンセルが出るとも限らないからね」
乗り換え案内を調べてみると始発で出て10時間前後掛かるようだった。普通に考えて10時間も在来線に乗るなんてと思うところだったが、自転車でここまで来たことを思えば、電車はなんて早いのだろうと優海は感心せざるを得なかった。
自転車を担いでの乗り換えは大変だという巡の経験談から、時間は掛かるが乗り換えが1回少ない乗り継ぎ方法を選択した。時間がかかるといっても宇都宮で乗り換えにお昼頃に1時間近くかかるためで、駅弁を買ってゆっくり食べる時間があると思えばどうということはなさそうだった。
ビジネスホテルの近所のスーパーに行って買い出しをし、空の段ボールを貰ってきて、荷物の大半を宅急便で送ってしまい、身軽になった。残るはT20号とDバックくらいで、2人で運べばどうということはなかった。そして100均で簡易折りたたみ椅子を2つ買った。T20号を車両の隅に置けても、震動で倒れる場合もあり、他の乗客にとって危険だ。近くで座るための必須アイテムらしかった。
「まあそれも車内が空いているときだけだけどね」
巡はDバッグに簡易折りたたみ椅子をくくりつけながら言った。
「混雑したら立つよ」
「立っていられるくらい体力が回復していればいいけど」
「それは明日にならないと分からないかな」
優海は全身に消炎鎮痛剤を塗りたくっている。楽になったものの、回復には至っていない。
「T20号は俺が担ぐからいいけど」
「少しくらいは手伝うよ。ううん、違うね。手伝いたいな」
巡は満足そうに頷いた。
翌朝、ビジネスホテルを後にし、米沢駅前の隅っこでT20号を折りたたみ、上から輪行袋をかける。輪行袋に収納して、外から見えないようにすれば電車の車内に持ち込んでもいいルールだ。追加の手荷物料金などもかからない。
エレベーターで駅改札階に上り、待ち合わせ所で時間調整した後、ホームの端に移動する。他の乗客に邪魔にならないよう先頭か最後尾の車両に乗るのが鉄則だ。
朝7時過ぎ、館山まで乗り継げる最初の電車が入構してくる。幸い、ガラガラで、運転席側の壁にT20号を置き、手すりに紐でくくりつけることができた。優海と巡はボックス席に隣り合って座り、優海はさっそく爆睡した。
福島で乗り換え、郡山で乗り換え、新白河で乗り換え、黒磯までは2両編成なので激混みで立って過ごし、黒磯から宇都宮までも結構混んでいて立って過ごし、宇都宮で駅弁を買ってゆっくり食べて、乗り継ぎ、途中までは簡易折りたたみ椅子で座れたが、混雑してきて立って時間をやり過ごし、14時過ぎに東京駅に到着。
優海は帰ってきたな、という実感を伴いながら、地上階から総武線の地下2階のホームまで移動する。エスカレーターではT20号が邪魔になるのでエレベーターを乗り継いで降りるが、人が多かったり車椅子の方が来たときは譲り、けっこう時間が掛かった。それでも君津行きまで乗り継ぎ時間が合ったので2人とも焦ることなく、地下2階のホームの端までたどり着くことができた。
君津行き総武線快速に乗り、混雑した車内でなんとかT20号を壁際に置け、安堵する。あとは君津で乗り換えるだけだ。
「明日1日あったから、根津でも良かった気がする」
巡が思い出したように言い、優海は即答する。
「ううん。館山に帰りたいから、これでいいと思う」
「うん。俺、山形から館山に来たはずなのに、俺も館山に着いたら『帰ってきた』って思うに違いないと感じているんだ」
「ああ、それ、多分、同じだ。今、私が居る場所はあの町だから」
巡は小さく頷いた。
「変わらないものは何もないね。この旅で俺、すごく変わったよ」
優海は自分もそうだと言いかけたが、言葉にするほどではないと思う。少なくとも巡ときちんと恋人関係になることができた。大きな変化だ。
この旅が終わったらどうなるのだろう。
そう考えつつ、館山を発った。その旅が終わろうとしている。
大きく変わったのは間違いないが、自分でそれが分かっても、ただそれだけだと思う。
途中でだいぶ空き、T20号の脇でまた簡易折りたたみ椅子に座る。これだけだって普通では考えられないことだ。車内で自分たちのような自転車旅行者を以前の優海が見かけたなら、理解不能の四文字で考えることを止めて視線を向けなかったに違いない。
変わらないものは何もない。
あなたへの愛は変わらない。
矛盾する2つの言葉を優海はかみしめる。
君津に着き、最後の乗り換えを終える。
車窓から内房の海を眺め、海の色が季節を経て変わっていることに気づく。
もう房総からは冬の冷たい印象は遙かどこか遠くへ行ってしまった。
もう、夏の色がかかっている。風が波をたて、緑の木々を揺らしている。
水田には水が張られ、多くの田では田植えが済んで、緑の葉を伸ばしている。
帰ってきた。
優海は思う。
館山駅に到着したのは17時半過ぎだったが、まだ日が沈んでおらず、明るかった。
ずいぶん、日が延びたものだ。
駅前のロータリーでT20号を組み立て、最後のライドになる。
旅は行って帰ってくるまでが旅だ。
この先もいろいろな旅をするだろう。
それは文字通り旅行かもしれないし、旅に
どんなことであっても行って帰ってくるものなのは変わらない。
T20号は優海の祖父が遺した家に行く道をたどる。
見慣れた通りに、見慣れた街路樹。
いつもの青空。
もう西の方は赤く染まり始めている。
リノベーションしたばかりの古民家の前にT20号は到着し、2人は降りてガレージに入れ、フィアット500の隣に置いて鍵をかける。
庭に花見月が植えられていて、ここでは白い花が開いていることに優海は気づく。
庭に植えられている木々に無関心だったことに、優海は少しだけ自嘲する。
しかしそれでもいいのだ。これから知ればいい。考えて、想うことができればいい。
優海は荷物を持つ巡と一緒に家の玄関前まで歩いて行く。
サクラがやってきて、ニャーンと挨拶してくれた。煮干しが欲しいのだろう。
優海が鍵を扉の鍵穴に差し込み、回し、引き戸を開ける。
「ただいま」
2人は声を合わせて、そう、家に挨拶の言葉を口にする。
それはただ言葉を一緒に口にしたというだけではない。気持ちまで一緒になった証だ。
優海は一足先に玄関に入り、巡を振り返り、彼を迎え入れる。
「おかえりなさい」
巡は満足げに、感慨深げに頷き、もう一度言った。
「ただいま」
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