第17話 切ない過去、甘い匂い

 ガイアが自分のことを想ってくれているのは学生の頃から知っていた。ガイアは当時から人付き合いが苦手であまり話さないけど、自分とはよく話していた。


『レイ、さっきの走り、すごかったな』


『あ、ガイア。ありがとう。ガイアも先生にほめられていたじゃない』


 ラウチェレーサーの専門学校は王都にある。人気の職業だけあり、在籍する生徒数もかなりのもので。校内にはちゃんとレース用のトラックもあり、学生はそこで練習をすることができる。

 のんびりと他のラウチェ達が走る様子を眺めていたらガイアが隣に並んだ。それを見上げたら、ちょっとだけため息が出た……背が高くてうらやましい、自分はずっと背は小さいままだ。ちなみにガイアは一般的な性、ベータだ。


『ガイア、よかったらあとでラウチェの競争しない? 負けたらジュースおごる』


『あぁ、いいよ』


 ガイアはどんなくだらない誘いでも乗ってくれる、言葉は少ないけど付き合いやすい友人だ。

 自分はガイアと、もう一人の友人と過ごすことが多かった。


『レイ〜! あ、ガイアも見て見て! レーサーの最新雑誌手に入れたんだ! 一緒に見ようよ〜!』


 ふんわりとした金髪、にこにこと愛想の良い表情の彼は自分とガイアの間に入り、肩を組んできた。彼も同い年でラウチェレーサーを目指している。そのわりにのんびりとした口調で性格も穏やかな少年だ。


『フェルン、また雑誌買ってきたの? お金なくなっちゃうよ』


『だって憧れのレーサー見るとやる気が出るじゃない! やっぱりモチベーションって大事だからね~大丈夫、お金は頑張ってバイトしてるから』


 後にカミリヤの番となったフェルン・ミラー。彼もベータだ。この頃の周囲にアルファの性を持つ存在はいなくて自分だけがオメガだった。それでもまだヒートというものも起きなくて。そして周りにはオメガということは内緒にしていたから特に何事もなく、学生生活を送っていたのだ。


 そんな中、ヒートが起きたのは十九の頃だった。妙に身体が熱くて医務室に向かった時、オメガのヒートの始まりではないかと先生に告げられて病院へ行った。抑制剤をもらったのでその時はヒートをなんとか抑えることができたのだが。養成学校の先生からは『今後、レーサーとして続けるのは難しいのではないか』と言われた。


 これまでオメガの性でレーサーが華々しく輝いた記録はない。オメガ自体が珍しい存在ということもあるが、大体がヒートのせいで活動が難しくなる。ヒートは周囲の者を巻き込み、時には理性を乱してしまって悲しい事件に発展することもあるから。

 だからオメガは蔑まれている。厄介事ばかり起こす存在として扱われ“オメガは幸運を呼ばない”と“不運な存在”だと言われている。


 あらためて、くやしくなった。生まれた時から自分はオメガ……でもきっとオメガでも生きる上で大した障害にはならない、自分なら大丈夫と思っていた。僕はレーサーになって一番になって輝くんだ……そう夢を見ていたのに。

 急に自分の人生は終わった気がした。他のオメガ同様、オメガと知られないように隠れて暮らしていくか、もしくは誰かの番となって静かに生きていくのか。


(僕は表舞台で輝きたかったのに……あんまりだ)


 しばらく寮で塞ぎ込むしかなかった。覚悟もして退学届は準備しておいたけど。夢をあきらめたくない、どうにかできないかなとずっと考えていた。


(考えてもしょうがないんだよね……)


 両親のいない自分を引き取り、ここまで生活や資金面でお世話になったマーチャードさんにも申し訳がないけど、これ以上はどうしようもない。


(ルーキーカップに出てチャンピオン、なりたかったな……)


 あきらめなければならない。最後にもう一度、ラウチェを見て踏ん切りをつけなきゃ。そう思い、グラウンドに出てラウチェ達の姿を見た。

 疾走するラウチェ、興奮して甲高い声を上げながら走る姿。勝った負けたで一喜一憂するレーサーの卵達、駆け抜けた時に味わえる風。

 やっぱりいいな、なんて思った。このまま前に出ていたい、自分も走り続けたい、でもできない。泣きそうになったから慌てて寮に戻った。

 すると自分の部屋の中にいたのは親友である二人の姿だった。


『ねぇ、レイ……なんで退学届が机の上にあるの? これってレイの?』


 しまい忘れていた退学届を、震える手に持つフェルンと。悲しそうに眉をひそめるガイア。


『……レーサー、なるんじゃ、なかったのか』


『そうだよ、レイは人一倍レーサーになるんだって燃えていたじゃない。なのになんで? 何か悩みがあるの? 僕達にも言っていないことがあるの?』


 二人は心配そうに自分を見ている。自分の肩に二人が手を置いてくれると、それだけで本当に涙が止まらなくなった。


 二人に理由を話してしまおう。

 二人に全てを話した。

 二人は驚いた顔をしたが『やっぱり』とつぶやいていた。

 ……やっぱりってことは。


 フェルンは言いづらそうに、その理由を話してくれた。


『なんかね……レイ、最近すごく甘い匂いがするなって思ってたんだ……それがすごく、こう、興奮させるというか、嗅ぐとドキドキしちゃってね』


 ガイアも視線を伏せながら口を開く。


『前に聞いたことがある……甘い匂いはオメガ特有のものでヒートを起こしている。相手を求めている時の合図だと……』


 それを聞いて、ものすごく恥ずかしくなった。


『そ、そうなの? 僕、そんなの出ていたの? そんな気持ち、全くなかったんだけど』


 それはオメガの本能的なもの。無意識でも仕方ないと二人は言ってくれた。


『僕達はベータだから、君のヒートにそこまで苦しいわけじゃなかったけど。こういうのってアルファなら大変なんでしょ? アルファはオメガを求めるからって』


『事件も聞いたことがある……レイが巻き込まれる前でよかった……でも』


 ガイアが言葉をにごし、フェルンを見る。

 二人は視線を合わせ、うなずきあった。


『ねぇ、レイ……これは僕とガイアからの提案なんだけど』


 フェルンは緊張しているのか、自身の胸の前で拳を握りしめた。


『僕かガイア……どちらかを、番にするのは、どうかな』

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