第4話 いざレース、手綱もわからん

 ラウチェレース会場に足を運ぶのは数年ぶりだ。レース会場は牧場から歩いて行ける距離にあり、小さな町に隣接している。普段は森に囲まれた静かな町だが、レースが行われる際には多くの人が集まり、出店も出てにぎやかになる。


 久しぶりに感じる、会場に近づくごとへの観客の熱気と興奮と歓声。味わうだけで身体の中が満たされていくのを感じる。こういう時、レーサーも今日のレースの行く末に緊張と不安を感じるものだが。


「うわー、ヤバいね、結構人が来るんだ! あ、出店とか出てるし!」


 隣を歩くレーサーには、その緊張は関係ないようだ。クードはラックルズの手綱を引きながら、落ち着きなく周囲を見回している。


「レイさん! レース終わったら遊ぶ時間ってある? 出店巡りしたーい!」


 レーサーは風の抵抗を受けにくいよう、サラサラした手触りで身体にフィットする全身スーツを着用する。クードも今はそれを着ているから筋肉質な体格がスーツの上からわかるのだが……キョロキョロしている様子が、この人レース初めてなんだということも見ただけでわかる。


「遊ぶのは終わってからにしてください。それにこれは地方選の第一回目ですから盛り上がりは大したことありません。王都で行われるレースになると観客も出店も倍になりますよ」


 その分、当然だが強者揃いになる。クードがラックルズに乗る様子を少し見せてもらったが乗り具合は問題なさそうだった。ラックルズとの相性だが、そこもラックルズにお願いしているから“今回は”大丈夫だ。


(でも終わったらラックルズの世話をイチからやり直させて信頼関係を結ばせないと)


 ただ乗るだけなら、どんな者でもできる。だが高みは目指せない。ラウチェと信頼を結び、自由に走らせることができなければ。


「ところでレイさん、結構熱気があるのに、首にネックウォーマー巻いて暑くないの?」


「……暑くないです」


「それってずっとしてるの? その特徴ある眼鏡も?」


 今そんなこと聞くなんて本当に緊張感のない人だ。


「いやさぁ、オレ思うんだけど、レイさんって、服装変えれば結構見た目が――」


「クード!」


 話している最中、誰かの呼び声。振り向くとラウチェレーサーのスーツを着た若い男性がいた。


「クードもこっちの地方選に参加なんだ?」


「おー、なんだよ、お前もかぁ。俺はこっちに親父の牧場があるからさ。あれ、サータもあるんだっけ?」


「うん、俺も親戚んちがあるからね」


 サータと呼ばれた毛先が跳ねた銀髪の男性はクードと同い年だろうか。クードと同じぐらい体格が良いが、クードより落ち着いた話し方が温和そうな印象を受ける。青い瞳はレース前の興奮からか爛々と淡く光っているように見えるが、レイを見ると珍しいものを見るように丸く開いた。


「あ、こんにちは! 眼鏡、すごいですね」


 にこやかにそう言われると、なんと返していいやら。ひとまず挨拶を返すとクードが説明してくれた。


「この人は親父の牧場で働いていて、オレのコーチしてくれてるレイさん、ラウチェにめっちゃ詳しいよ」


 先日は『瓶底眼鏡』とか言っていたが、さすがに友人の前でバカにはしないようだ。

 サータは「そうなんですか」と頭を下げた。


「レイさん、はじめまして。養成学校でクードと同学でしたサータ・フレイアです。まだまだラウチェのことは新米ですので至らないところとかあったら、ぜひ教えてください」


「あ、ちなみにサータもアルファだよ」


「ちょっと、クード、そこはいらない情報だろ」


「っていうかお前、なに真面目きどってんだよ」


「うるさいなぁ、上達するにはプロに聞くのが一番なんだよ。ちなみにレイさんって昔はレーサーだったりします? すごい落ち着いていて慣れてる感じがします」


 二人でわちゃわちゃしていたが急に話がこちらに飛んできた。そこについてどう答えようか躊躇したが、まぁいいかと思い直す。


「乗っていたことはあります」


 その答えに「え、マジ?」と声を上げたのはクードだった。


「レイさんってレーサーだったの? トレーナーだけじゃないの? え、じゃあラウチェ走らせることができんじゃん! ねぇねぇ、成績ってどれぐらいいったの? ルーキーカップも出たの?」


 矢継ぎ早にクードが質問してくる中、会場のアナウンスが鳴った。ルーキーカップに出場するレーサーはパドックにお願いします、という内容だ。


「……話は後に。僕はパドックに入ることはできませんから二人とも早く行ってください。遅刻したら即失格ですよ」


 クードは「それはヤバい」と言いながら、ラックルズを引いて足早に会場に向かった。

 しかしもう一人の新人レーサー、サータは何か気になるのか、青い瞳をこちらに向けている。


「どうしました、サータさんも早く行った方がいいですよ」


「あ、はい……あの、レイさんって……あ、いえ、なんでもないです、では――」


 何か言いたげだったがサータは丁寧に会釈してからクードの後を追った。

 そんな二人を、うらやましいなという思いで自分は見ている。懐かしい、レースに向かう、あの気忙しさが。


「……レーサー、か」


 まさか年若いサータにそこを見抜かれるとは思わなった。何も意識はしていない、見た目はこの通り“地味”にしているのに。


(レーサーは……いいよね)


 ラウチェに乗り、風を切って走り抜ける。あの時の爽快感、清々しさ、胸を満たす興奮は今でもよく思い出す。あれはラウチェに乗り、全力で走った時にしか得られないもの。何度でも味わいたくなる、刺激的なものだ。

 もう間近で感じることはないと思っていたけれど、またこうして、ここにいるなんて。


『――会場の皆様にお知らせします』


 感慨にふけっていると突然、アナウンスが聞こえた。


『マーチャード牧場のレイ様……お連れ様がお呼びです。至急レーサーのパドックまでお越しください、繰り返します――』


 思わず「は?」と声を上げる。パドックにはレーサーか要人関係者以外は入れないのだが、なぜ呼ばれたのだ。クードが何かしでかしたのか。

 それとも自分が元レーサーだと知ったから観客席からでなく、パドックから見ることができる特別観覧席に誘ってくれたのだろうか。まさか、あいつがそこまで気を使えるわけが……。


(でももしかしたら、そうだったりして)


 特別席は一般席より、より近くレースを感じられる。草や土の匂いもラウチェの息づかいも。もしそうなら、胸が高鳴る。好きなものを目の前で見られるのだ。

 ドキドキしながら会場に入り、受付に声をかけてパドックへの通路を通してもらった。細い通路を抜けると、そこはレース会場の端に設けられた草地のパドックだ。青々とした草の匂いが鼻を抜けて心地良さに表情がゆるみそうになった、のだが。


「レイさぁぁぁん」


 どこからか間の抜けた声がした。


「ちょっとー、レイさん、助けてっ! ラウチェのレース用手綱ってどうやってつけんの⁉ 早く早くっ!」


 そこには金具のついた手綱を持ち、ウロウロするラックルズに右往左往するクードがいた。


(……少しでも期待した自分がバカだった)


 何度目のため息か、気持ちの高揚もどこへやら。ため息をつきながら手綱を手渡してもらった。

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