第28話 そばにいて

「ぜひとも遠慮させていただきます」


 部屋から出ていこうとした自分の服の裾を、クードは後ろから引っ張った。


「ちょっとちょっと! だって泊まるとこないんだよ、そしたらレイさんはオレんちに泊まるしかないじゃん! 別に平気だよ、オレは」


 こっちが平気じゃないのだ。もうすぐ三ヶ月に一度の“アレ”もきてしまう周期。何も起きないだろうが大事なレース前後に迷惑をかけるかもしれないのだ。


「どこかしら空いている宿があるかもしれない。いいですよ、僕は」


「よくないよ、危ないから」


「大丈夫ですから」


 服を引っ張る力に抗いながら外に出るためのドアに手を伸ばしていると。


「そんなに、オレといるの、嫌?」


 その言葉に手が止まる。それに答えるとするなら当然嫌ではないからだ。


「レイさん、嫌なの?」


「い、嫌じゃない、ですけど」


「けど? だって牧場では同じ家の中にいたじゃん。メシだって一緒に食べたじゃん。それと同じでしょ」


 それでも部屋は違うから、夜通し一緒にいたわけじゃない。あと最近の自分はクードのことを意識してしまうから……一緒にいて、また変なことを口走ってしまいそうで怖いのだ。


「レイさん、こっち向いて」


 クードの両手が肩をつかみ、くるりと身体を回転させられる。


「いてよ、ここに」


 再び肩に手を置かれ、見上げる位置にクードの端整な顔がある。声がいささか鋭い気がして萎縮し、身動きが取れない。

 クードは片手を動かし、再び自分がかけている眼鏡を外した。すっかり彼の前でだけは素顔をさらすようになってしまっている。


「レイさん、どうする?」


 真っ直ぐに自分を見つめる瞳に鼓動の速さが増す、息が苦しい、言葉が出ない。


「ホントに、行っちゃうの、ねぇ――」


 クードの顔が近づく。額に彼の息づかいが当たったところで反射的に目をギュッと閉じて、彼の身体を手で押さえた。


「わ、わかりましたから! ここにいます、泊めてくださいっ!」


 根負けというやつ。今までどんなレースでも負けたことないのに、まさかこんな変な形で逃げ腰になる自分がいるなんて。


(……最悪だ……ん?)


 クードの身体を押さえた手の平が震えるのを感じた――いや、震えているのは自分じゃなく、彼だ……笑っている。


「あはは、ごめん、レイさん!」


 クードは大笑いしながら、自分の身体を包むようにギュッと抱きしめた。思わぬ全身の圧力とあたたかみに頭が真っ白になった。


「ごめん、びっくりさせた? だってレイさん、こうでも言わないとホントにいなくなっちゃうかと思ってさ」


 クードは深呼吸をすると「とにかくよかった」と安心したようだ。


「ねぇ、レイさん。オレがここにいてほしいと思ったのはホント。正直言うとさ、レイさんが離れた場所にいると心配なんだよ……だってレイさん、一応オメガだよ。大人でしっかりしてるけどさ、レイさんに何かあったらオレ、嫌だし」


 クードの言葉がゆっくりと脳に伝わってくる。オメガの自分を心配する、彼の優しさに胸が痛む。

 なんで、そんなに、優しいの? 聞いてみたいけど聞いてはいけないような気がする、その質問の答えを考えてしまうけど。自分の本心としては答えはいらない、答えは望まないのだ。ただこのあたたかみがとても心地良いと心が喜んでいる。


「それに、なんだかんだ言ってオレ、明日は病院行かないとでさ、病院で半日潰れるし、ラックルズとの練習はその後かな。丸一日レイさんといられるわけじゃないんだよな」


「……別に、僕は子守りが必要な年じゃないんですから大丈夫ですよ。練習する時は練習場に行きますから……だから、離してください」


「レイさん、どこも、行かない?」


 急に不安そうな子供のようになる。さっきまで男らしかったのに。


「行きません」


 手のかかる子、お調子者。でも自分を守ろうとしてくれるたくましい男性……不思議な人だ、そんな人なのに――。


「じゃあ一緒に今からメシ食べに行こう、ねっレイさん!」


「はいはい……だから離して」


 こんなにも自分の心を引っ張り回して、満たしてくれるなんて。






 翌日、クードを病院まで見送り、自分も街中の薬局を訪れた。地方よりも薬の種類も多いが、自分の持っている薬よりも効果的な物はないようだ。

 抑制剤……三ヶ月に一度起きてしまうヒートを抑えるためのもの。今までは薬で大したことなく過ごせたが前回から抑制剤の効きが悪くなっている。また歩けなくなってしまうほどの事態はなんとか避けたいものだ。


(王都戦、ぜひこの目でちゃんと見たいのに)


 一度番を作っているからヒートが起きてもアルファやベータを引き寄せることはない。でも体調不良は問題だ。そういえばレーサー時代もレースの周期がヒートにかぶってしまうことが多かった。その時はフェルンに身体を満たしてもらうことで落ち着くことができたのだが。

 今の自分には満たす相手がいない。一度失ってしまったら新しい存在を望んでもダメなのだ。オメガの性質がそれを許さない……どうしようもないことだ。


(しかたない、戻ろう)


 まだ時間はあるが、あまり街中をウロウロしても良いことはないだろう、クードの部屋に戻ろうかと考えていた時、歩く人々の間をぬって自分に近づく人物がいた。


「……レイ」


「ガイア……」


 現れたのは無表情の親友、といってもガイアは元から表情をオープンにするような人物じゃない。そこは自分と同じだ。


「また会えたな」


「あぁ、ガイア、王都で会えるって言ってたもんね……元気?」


「ふっ、お前が言うな……」


 ガイアは専門学校を出てからもここに拠点を置き、プロのレースに出走しているという。ルーキーカップにはもちろん出走するわけではないが、クードの活躍を楽しみにしている、と話してくれた。

 数年ぶりにこうして話すと色々あっても彼は話しやすい友人なんだと思える。


「あの時はすまなかった……フレイア選手も大丈夫か?」


「そうだね……今はちょっとメンタルが心配かな」


「そうか、悪いことをしたな」


「ガイアのせいじゃないよ」


 どんなことでも精神力は使うし消耗する。ラウチェレースの世界も心が強い方が有利だ。


「レイ、お前に、会ってもらいたい人がいる……今から、時間あるか」


 不意に出てきたガイアの誘い。なんだろうと思いつつ、自分はうなずいた。

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