第30話 拒否できないお願い
ルーキーカップ六回戦目。初の王都選。地方とは違い、トラック半分を囲うアーチ状の観客席は人で埋まり、パドックを歩くレーサー達を熱を込めた視線で見て応援の声を上げる。
今年の地方選から選ばれたレーサーは十八名。八つの地方から上位二名が選出されている。
その中にはクードとサータの姿もある。二人はすでにレーサーのスーツに身を包み、メットをかぶっている。メットの下から見える口元はクードは笑っており、サータは唇を引き結んでいる。
自分は今回、レース関係者が観覧できる特別席でレースを見ていた。この席はお金が少しかかるのだが、クードがマーチャードさんを説得して全試合分のお金を払ってもらったのだとか……出世払いで返す、と言って。
今回、危惧していたヒートが、なぜか起きないでいた。体調はいつも通りだ。でも今まで周期がずれたことがないのに、ここに来てずれたというのが不思議でならない。自分の身体に、何か変かがあるのだろうか、ストレス……な、わけないか。最近はストレスはない。
残るレースは四回。地方選と同じように順位でのポイント制だ。確実に一位を取り続けなくても上位であれば優勝は狙えるがクードが目指すのは完全制覇、かつて自分が達成したものだ。それは当然負けは許されない。
(ここまで来たら記録を並べてほしいな、クードになら……)
クードは「絶対に制覇する!」と力強く語っていた。そして「今日も一位取ったらお願い聞いてね!」と頑張ったご褒美をねだる子供のように言っていた。
なんだかなぁ、と思う。クードに振り回されているのにそれを良しとしてしまう自分が。クードに“次を約束”され、それが嬉しい自分が。
……彼から離れようと思っているのに。
会場内にレースが間もなく始まるというアナウンスが響き、パドックにいるラウチェに乗った選手達が順にゲートへと向かう。
その時、ふとクードは立ち止まり、ニッと自信満々の笑みを浮かべ、手を上げた。
(こらこら、観客一人だけにパフォーマンスをするなったら……)
手は振らないが控えめに笑い返した。大丈夫、あなたなら勝てる――その意味も込めて。
王都戦のファンファーレが鳴る。地方選なんかより壮大な曲に、レーサー達が少々驚いていた。ラウチェ達は慣れたものだ、早く走りたくて、みなウズウズしている。
ファンファーレが鳴り終わり、一時の静寂。この静寂はいつも緊張する。スターターを担当する者によってタイミングはコンマの数秒単位だが、やはり異なるのだ。その合図を聞き逃すまいと、耳をすませ、空気の振動を探る。
(……今だっ)
パァンと火薬が鳴り、一斉スタート。
先に出たのは、やはりラックルズ。好調なスタート、逃げ足が速い。
クードはあとはラックルズに任せるとばかりに、手綱は振り落とされないように握っているだけだ。
サータは……流れに乗ろうと頑張ってはいるが遅れている。ラウチェがサータの迷いを感じているのか周囲の勢いに気圧されて前に出れない。彼は心が定まっていないから力が出せないのだ、でもくやしいが見守るしかできない。
レースは中盤。地方選よりもトラックが長いのでスタミナを必要とするが、どのラウチェも走る速度は、ゆるまっていない。一位のクードにみんな懸命に離されまいとしている。
(クードは勝ったらまた何をお願いしてくるつもりなんだろう……)
『望んでもいいんじゃないか』
ここ数日の出来事を思い起こすと、心があたたまる一方で、自分はどうやって彼から離れようかを考えている。彼といるのは王都戦が終わるまでと決めている。もしプロのレーサーになれば忙しくなり、一緒にいる時間もなくなるだろう。
(僕は望めないよ。クードの未来を汚したくはないから。レースが終わったら……)
『おっと! ラウチェが転倒っ! 転倒しましたぁっ!』
不吉なアナウンスにハッとした。
(クードっ⁉)
レース上には駆け抜けていくラウチェの後方に、取り残されたラウチェとレーサーがいる。レーサーが自分で立ち上がる様子から大したことはないようだ。
(クード、じゃない……サータでも、ないな)
良かった、と思うのは不謹慎だ。でも安堵してしまう。事故は時にレーサーの命を奪ってしまう。それでもみんなあきらめることはない。他のラウチェ達は高みを目指し、真っ直ぐに突き進んでいく。七色の尾を揺らして。
『お前の知らない場所で、あいつに救われた命がたくさんある』
フェルンの命は、きっとたくさんの人の役に立てた。そう思えば自分の悲しさは少しだけ癒える気はする。良かったのだ、これで。多くの人に素敵な未来を用意してくれたのだから。
『マーチャード選手! 地方選でも全レースで一位だったという素晴らしい技術のレーサーですが! このレースも彼は一位でこのまま通過するのでしょうかぁっ!』
気づけば最後の直線だ。ラックルズは先頭。クードは鞭は入れず、ラックルズの首をさすり「いけ! ラックルズ!」と声を上げていた。
そのやり方はかつての自分そっくり、というか同じだ。自分はラウチェを信じ、最後まで走り抜けられると信じていたのだ。
『いけぇ、アルグレーター!』
「いけぇ、ラックルズ! いけるぞ!」
クードはかつての自分の試合を観戦していたと言っていた。憧れのカミリヤ選手、クードにとってはラウチェを始める全てとなった人物。
そのことについて、言うべきなんだろうか。
(クード、実は僕は……)
いや、言わない方がいいか。カミリヤが誰だったかというのを知り、ガッカリされるのも嫌だし、逆にもっと付きまとわれても困るから。
『すごいです! マーチャード選手! 一位キープ! 単独です! これはかつてのチャンピオン、カミリヤ選手の記録も期待できます!』
……そうだな、この記録に並んでいいのは僕が許した人、だけだよ。
『後続、続かない! マーチャード選手、トップです! 単独首位! 今、目の前のゴールラインに向かってぇ――』
……あなたはすごいよ、クード。
力いっぱいのアナウンスと観客が一斉にワァァッと歓声を上げる。会場中がヒートアップしている。
クードはラックルズのスピードをゆるめると、ガッツポーズで喜びを表した。
そして――。
ラックルズに乗ったまま、くるりとターンをして観客席の方へと向かってくる。本来ならスタッフに連れられ、表彰式やインタビューが始まるのだが。
(おいおい、ちょっと、何してんのっ?)
ラックルズはクードの言うことを聞き、スタスタと歩いている。自分が呆気に取られている間には、クードは目の前に来ていた。
思わず席から立ち上がった。
「な、何してんですか、こっちに来るべきじゃ――え、わっ!」
クードはラックルズから降りると両手を伸ばし、身体を抱きしめてきた。それを見ていた観客がなんの盛り上がりなんだかわからないが歓声を上げている。きっと仲が良いね、という意味なのだろうが。
「レイさん、お願いだ、ハグしたい……というか、してるけど」
「い、今っ⁉」
これがクードのお願いごと、なのか。こんな大勢の人がいる中、堂々と。
無理だと言いたいが、すでに自分はクードに抱きしめられている。恥ずかしいがこれを突っぱねた方がクードに恥をかかせることになってしまう。
(バ、バカ、本当に……)
仕方なく、クードの背中に手を回した。観客がより一層盛り上がって指笛まで鳴らしている。
「何、してんですか……」
恥ずかしい。でも拒否もできない。それがわかっていながら、この場でこんなお願いをしてくるなんて。
「ごめんね」
クードはエヘヘと笑いながら、同じように自分の背中に手を回し、ギュッと力を入れた。
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