お願い、前に進んで
第31話 もし勝ったら
残りは三回戦。地方選と違い、一ヶ月間に四回のレースはラウチェへの負担も大きい。次のレースまでには一週間あるが、とにかくラウチェの疲れを癒す、けれど身体がなまらない程度にトレーニングをする微調整が難しいところだ。
ラックルズを王都の中にある温浴施設に連れていくことにした。そこは屋外に設置されたラウチェ用の温泉みたいなところだ。湯煙が上がるほどのあつあつな温度ではないが、ぬるめのお湯にゆったり浸かることでラウチェも身体の疲れを癒やすことができる。
本当はクードも来る予定だったのだが「また検査なんだよ〜」と言って病院に行っている。どうも調子は良くないようで、そこが心配だ。
「ラックルズ……君の主人は大丈夫かな」
ラックルズは膝を追って身体の下半分だけをお湯に浸かって「キュルル」と気持ち良さそうだ。自分も濡れないようにしながらお湯の入っている浴槽の縁に腰を下ろし、ラックルズの様子を見ている。
昨日の一件――彼のお願いごとの件だが。
あの後、散々観客達には冷やかされ、大変だった。けれど一種のパフォーマンスみたいな感じで受け止められているようだ。
クードは今一番、チャンピオン候補として名が上がっている存在だ。性格もあの通りに調子が良く、目立つことが好きだ。そんな存在が関係者と抱き合っている……あの抱き寄せられている相手は誰なのか、どんな深い関係なのか。そんなあやふやな情報を周囲にもたらしておくのは、クードにとっても彼目当ての面倒な人間を寄せにくくする点ではいいのかもしれない。
そう思ってハグした理由は聞かなかった、そこはどうでもいいんだ。今は自分の存在を都合良く使ってくれればいい。自分は彼といるべきではないんだと、あらためて思ったから。あんなに輝いている彼には、もっと輝くべき相手が現れるはずだと、観客の声援を共に浴びながら思った。
「レイさん」
自分に近づく、人の気配。顔を上げるとさびしそうな笑みを浮かべるサータがいた。
「サータさん、こんにちは」
「ラックルズのお世話ですか、お疲れ様です……クードはまたいないんですか、大変ですね」
「そんなことはないですよ。大好きなラックルズのためですから。サータさんも休ませに?」
「はい、でも今はトリミングしてもらっています。手入れも大事ですからね。レイさん、隣にいてもいいですか」
断る理由もない、それにサータのことも気がかりだった。
「どうぞ」と促すとサータは隣に座り、どうしようもないと言いたげな苦笑いを浮かべた。
「昨日のレース、結局後方だったんです。全然ダメダメ」
「そうですか、でも地方選でポイント高いからまだトップ狙える可能性はありますよ」
それはなぐさめでもない、本当のこと。でも条件はある。
「それ、あいつがこの先、上位に入ってポイントを取らないことが条件ですよね……かなり厳しいですよ、それは」
「何が起こるかはわからないのがレースですからね」
「……でもレイさん、望んでないでしょ。あいつが転落していくの」
その問いには何も返事ができず、サータに申し訳ないなと思った。サータはわかっているとばかりに「いいんですよ」と、うつむく。
「そう、あなたの言う通りです。何が起きるかなんてわかりません……まだチャンスはあると信じたい。ルーキーカップのことも、あなたのことも。ねぇ、レイさん、あなたはクードが好きなんでしょうか」
その問いにも、もちろん答えられず。だけどどうすべきか結論は出ている。答えを述べるために、膝の上で組み合わせた指にギュッと力を入れた。
「僕は誰も選ぶべきではありません」
「それはレイさんの本心?」
「……そうです」
人間、嘘をつくと何かしら反応してしまうらしい。自分は目を伏せてしまった。サータは「ふぅ……」と一呼吸置いてから続けた。
「本当はレイさんだって好きな人のそばにいたいんでしょ。そこまで自分を追い込まなくてもいいと思います」
好きな人、誰のことですか。
そう言おうかと思ったが結局言えず。好きな人、という言葉を聞いた瞬間、頭に“彼”が浮かんだ時点で、そのごまかしも口にする気が起きなくなった。何も言わないでいると、サータは「そっか」と、ため息混じりに笑った。
「そんな感じ見せられちゃうとなぁ……もしクードに勝ったところで俺も望みないじゃないですか……どうすればあなたの頑なさを取り除けるのかなぁ……でもそれだけあなたの送ってきた時間が厳しいものだった、あなたは心をガードしなきゃいけなかったんでしょうね……オメガの人は、みんなそうなんでしょうか」
確かにオメガは生きづらい。幸せになれる人なんて少ないんじゃないだろうか。一時でも幸せを感じれた自分は幸せな方だと思う。
「レイさん、あなたがオメガだと公表すれば世界は少し変わるんじゃないですか?」
サータに視線を向け「どういう意味です」と聞いた。本当は聞かなくてもわかっている。彼はきっと最初のうちから気づいていたから。
「レイ・カミリヤさん……ラウチェの世界で有名なあなたがオメガだとわかれば、みんなもっと注目していたはずです」
「……なんで?」
自分も笑みを浮かべながら問う。その言葉にはなぜ自分のことを気づいたのか、なぜ公表するのが良いのか、彼の持つ理由を聞きたいという含みを持たせている。
「気づいたのは、なんとなくです、本当に。あなたからラウチェのことを教わるうちに知識の深さ、技術……あとアルグレーターのあなたに対する親愛の様子が、この人はあのカミリヤ選手なんだって気づかされました。感動しましたよ、目の前にカミリヤ選手がいるってわかった時は」
「ガッカリしなかったんだ、すごいですね」
「するわけないじゃないですか、そりゃ最初会った時、その眼鏡はびっくりですけど。でもあなたの存在はそれだけみんなに知れ渡っている。レジェンド的な人です。それでもオメガとは誰も知らない。あなたがオメガだとわかれば、オメガの人は自分も、あぁなれるかも、と夢を抱けるはず」
「そう……でもそれだけリスクもある。オメガは狙われる……どうあがいても身の危険は避けられない。僕はリスクよりも幸せを選びました。その結果がこれですけど、これが僕の道ですから……サータ、あなたにはまだまだ先はあります。今つまづいてもこんなの大したことじゃない。あなたはまだまだ輝けます」
サータは青い瞳を嬉しそうに細めるが、その奥には残念さも、かすかに光っている。
「レイさんと歩めたらいいのになぁ……」
「それは、ごめんなさい」
「ですよね……それなら――」
サータは手を伸ばし、手をつかんできた。あたたかな、けれどレーサーとして手綱を握る力強い手。
「レーサーらしく、やるしかないですね。レイさん、俺と勝負してください。もし勝ったら――」
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