第40話 決めなきゃいけない

 目を閉じ、歯をくいしばる。何も考えられない。頭の中には今名前をつぶやいた人物がいる。自分はその人にどうしてもらいたいのだろう、この苦しみから助けてもらいたい? それとも、ただ会いたい……?


 うずくまった状態から身体の向きを変えられ、身体がふわりと軽いもののように持ち上がったのがわかった。

 何かと思ったが苦しくてまだ目が開けられない。身体はやわらかい何かの上に優しく置かれる。それだけで身体のつらさがほんの少しだけ軽減した気がする。


(な、にが……)


 薄く目を開けた。そこは普段、クードが使っている寝室のベッドの上。自分はいつもソファーに寝ているから、もちろんここで寝たことなどない。

 自分は今、仰向けでそこにいる。ぼんやりとした視界の中には心配そうに見つめるクードが、ベッド脇に立っている。


「レイさん……これって、ヒート、なの?」


 あぁ、クードが帰ってきたのだ。数日前にレース完走後に転倒し、入院した先から戻ってきてくれたのだ。それなのにこんな状態での再会とは、情けない。

 でも会いたかった、すごく会いたかった。彼を見た瞬間、また全身が震えた。


「はい……あの、薬、取って、くれますか……」


「レイさん、いつも、こうなの?」


 クードの様子が変だ。何かに耐えるように片手で口を覆い、深く呼吸をしている。


「まぁ、大体は……前も、見た、じゃないですか」


 ヒート時は体調を崩す。歩けなくなるぐらいの不調は前回と今回の二回目だけど。さらには今回は周期がずれたり、謎なことが起きているけど。


「でも、僕は、体調が悪くなるだけ……あとは何も、起きないです」


「そうなの、本当に?」


 クードは顔を覆いながらまばたきを繰り返す。気のせいか、彼の顔が赤く、目が潤んでいるような。


「レイさん、あのさ……オレ、ちょっと……いや、だいぶ、頭、おかしくなりそう……」


(……え……?)


 自分も寝転がりながら、まばたきをする。


「匂い……甘い匂いが、すごいんだ……これってオメガの、フェロモンってやつ? ヤバいんだけど……」


「そ、んな……そんなわけ、ない」


 荒い息を吐きながら布団をつかみ、上半身を起こした。確かに目の前のクードはいつになく苦しそうにしているけど。

 自分は番をなくしたオメガだ。一度決めた相手以外に匂いはしないはずなのに。


「す、すみません……薬、飲めば、多分……」


 治まる、かどうかはわからない。前回も効きが悪くなっていた。今の自分の身体には何か変化が起きているんだろうか……クードと出会ってから、変なのだ。


「……レイさん」


 クードは口から手を離すと、下ろした拳を握りしめた。


「薬って、効くの? ……効かない、んじゃないの?」


「それは……」


 わからない、けどクードの言う通りだ。多分、効かない。でも少しでも静めなければ何もできないから。


「多めに、飲めば、なんとか……」


「それじゃ、身体にあまり良くないでしょ……? ねぇ、レイさん――」


 クードがいつもお願いをしてくるみたいな言葉を発し、ベッドに膝をついて自分の顔を覗き込んでくる。その表情は苦しげだが何かを欲するように赤く色づいていて。自分の中に期待と不安が宿るが(そんなのはダメだろ)と自分を律する。

 けれどそんなことを思っても、彼は止まらない。


「レイさん……オレ、レイさんに色々言うのは、レースが終わってから――オレが優勝してから言おうと思っていたから、今は言いたくないんだ……でも、こんなレイさん見たら放っておけないし、オレも正直、我慢できない……」


 何を……? そんな思いでクードを見る。自分の息が上がっている、目も潤む。そんな自分を見ながらクードは眉間にしわを寄せている。


「こんなこと、言ったらレイさんに軽蔑されるか、嫌われるかもしれない。でも、ホント……レイさんが楽になれるかなと思って……だから嫌わないで、聞いてほしい」


 クードは手をつかみ、指を絡ませてきた。熱い手、指、そしてクードの呼吸。

 彼は耳に顔を寄せると、こうつぶやく。


「レイさんを、このまま、抱きたい」


 ちょっと待って、そんな言葉を口にしたかったが。せり上がる思いのせいで言葉が出せない。ダメだとわかっているのに、頭が正常に働かなくて、どうしたらいいのかわからなくて。

 ただ自分の身体が、考えに反して、彼を求めていて。


 クードは組み合わえた指はそのままに、もう片方の手を頬に触れてくると二度目のキスをした。触れてくるだけのキスは徐々に深くなり、彼の息づかいを感じさせる。自分の身体もどんどん熱さを増していくばかり。


 ……ダメ、こんなの、ダメ。

 結ばれるわけない、番以外との行為じゃヒートも治まらない。頭ではわかっている、わかっているのに。


(でも身体が動かないっ……)


 自分の身体じゃないみたいに、身体は彼を受け入れていく。普段、クードのラウチェの手綱をつかむ力強い指が壊れ物を扱うように自分をなでていく。


「レイさん……オレ――」


 身体をつなぎながら、クードは何度も何かを口にしようとしていた。だがそれは全てが終わったらと彼は決めているから。その言葉が聞けるのはあと少し先だ。


(クード、僕は……)


 その言葉に応えることは――。

 

「レイさん、絶対、勝つから、ね……」


 自分はどうしたらいいのか。どうしたいのか。わからない、彼を選んでいいのかわからない。

 けれど不思議なことが起こっていた。

 目が覚めた時、あれだけ苦しかったヒート症状は治まっていたのだ。

 それは何を意味するのか。


『奇跡は起こるものだよ』

 過去に言われたマーチャードさんの言葉。


『レイさん、前に進んで』

 少し前に言われたサータの言葉。


『望んでもいいんじゃないか』

 背中を押してくれるガイアの言葉。


『レイさん、絶対、勝つから』

 ……クード。

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