第39話 ついにきたアレ
決勝戦は明後日だ。クードの退院はなんとか間に合い、今日には帰ってくる予定だ。
「アルグレーター、これが最後だ……走れるかい?」
柵の内側で元気にご飯を食べるアルグレーターに問いかけると「キュイ」と良い声が返ってきた。高齢なのにアルグレーターはやる気だ。きっと五年前に果たせなかったレースの勝利を、アルグレーターなりにずっと果たしたいと思っていたのかもしれない。
先日の転倒でアルグレーターは大したケガは負わずに済んだ。どうもクードがゴール直後にバランスを崩す際、アルグレーターが後続のラウチェ達に踏み潰されたり、周りの柵などにぶつからないようにカバーをしてくれたらしい。その技術にも彼の優しさにも本当に感謝しかない。
「アルグレーター、君は僕の最高のラウチェだ。君にとっても最後のレースになるだろうから、どうか本気で楽しんで走ってね」
別の柵ではラックルズが治療中だが彼も元気だ。きっとクードがルーキーカップの次に挑むレースでは活躍してくれるだろう。
まずはルーキーカップ完全制覇……それをこの目で観ることができるかもなんて信じられない。でもクードならきっと――。
「レイさーん、こんにちは」
明るい声で挨拶をしてきたのはすっかり元気になったサータだ。サータは買い物帰りなのか手に紙袋を抱えていた。
「クード、今日には退院なんですよね。ちぇ、決勝戦の敵が減るかと思ったのに」
サータがイタズラっぽく発するその言葉はもちろん冗談だ。なんだかんだ言ってクードと対戦できなかったとしたら彼が一番くやしがると思う。
「サータさんもコンディションはバッチリですか」
「えぇ、バッチリです。頑張って一位狙いますよ。レイさん、もし俺が一位取れたら、不本意でしょうけど、ちゃんとお祝いしてくださいよ? じゃなきゃ弟子としてはさびしいじゃないですか、コーチはもう一人の弟子ばかりにかまってるなんて」
サータのふてくされた表情に、苦笑いした。
「大丈夫ですよ、そこに関しては差別するつもりはありません。二人は僕の立派な教え子です」
そう言うとサータは照れたように笑い「レイ・カミリヤさんに指導を受けたなんてみんなに自慢できる」と言った。
「でもサータさん、僕は誰にも、僕がカミリヤとは公表していないんですよ。だから言わないでください」
「言わないんですか?」
「言ってもね……今さら何かが変わるわけじゃないですし」
もし公表すれば。オメガでも輝くことはできるんだと。隠れて生きているオメガの性を持つ人達に希望を与えることはできるだろう。
しかしオメガと知られるのはこの前のような危険もある。しっかりと助けてくれる番がいないと。
「……でもあいつ、目立つことが好きだからなぁ。最後になんかやらかしそうだけど」
サータは何かをボソボソとつぶやいていたが、よくは聞こえなかった。
「レイさんは体調とか大丈夫なんですか。慣れない王都だと大変でしょ」
「僕は大丈夫ですよ、なんともないです」
そう答えた後で、最近の異変を一つ思い出した。そう言えばずっと“アレ”がきていないじゃないか、三ヶ月に一度のアレが。こんなに周期が遅れたのは初めてだ。もしかしてもうピークが過ぎた、とか……それはそれで安心なような、複雑なような。
「じゃあ、レイさん、俺は行きます。またレース会場で」
サータと別れ、自分もラウチェ達の片付けをしてから「また後で来るね」と言ってクードのアパートに戻った。いつ戻ってくるのかはわからないがそう時間はかからないと思う。
(元気なクードに、また会うことができるんだ)
ある程度室内を掃除しておき、その時を待つ。胸の中がソワソワとしていて落ち着かない。いつ帰ってくるかななんて、帰りを心待ちにしている自分を思うと「重症だな」と自分に呆れが生じる。
「クード……」
ソファーに座りながら彼のことを思う。彼の声、笑顔、イタズラや照れ笑い。
そして病室だというのに“お願い”と言ってキスをし、それを受け入れてしまったこと。
そんなことを考えた時だった。
「……うっ」
胸に突然痛みが走り、手で押さえる。今、大きく心臓がドクンとはずみ、それが少し痛みを伴ったのだ。なんだと思っていると心臓は一つ、また一つと大きくはずみ、瞬時に全身へ血液を運んだようだ。
全身が熱くて、息が苦しくなった。声が出るくらい息が苦しくて、汗も出てくる。熱くて首を覆っていたネックウォーマーを外してみたが涼しくはならない。
「い、あ、何、これっ……」
身体が熱い、ゾクゾクと全身が震える。寒いとか悪寒がするとかそんなではない。
(これ、ヒートッ……)
長年、自分を苦しめてきたオメガの生理現象だ。ここしばらく周期がずれておかしいなと感じた。だが今のこの症状は、まぎれもないソレだ。
だが今までの非じゃないぐらい、症状が重い。ずれていたから? というか、なぜずれたんだ。そしてなぜ、こんな時に起きてしまうんだ。
(よ、抑制剤……)
フラつきながらソファーから立ち上がり、置いてある抑制剤を取りに行く。それがはたして効いてくれるかも不安だ。でも効いてくれないと明後日のレースまでには体調が回復しない。
(やだ、レース、見たいのに、クードの……)
また大きく、心臓がはずむ。思わず「ひっ」と声が出た。
とうとう立っていることもできず、床にうずくまる。自分の腕が当たった衝撃で顔を隠していた眼鏡もどこかに吹っ飛んでしまった。
(クード、さん……)
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