【完結済】あきらめオメガは幸運をもたらさない…!?
神美
瓶底眼鏡と気楽なアルファ、最悪だし不安しかない
第1話 瓶底眼鏡のお眼鏡にはかなわない?
「親父っ、なんであんな瓶底眼鏡で暗そうなのがオレのコーチなわけぇっ?」
不満そうに語尾を上げたその言葉は自分が働くマーチャード牧場のオーナー、マーチャードさんの執務室前を通りかかった時、室内から聞こえた。
「親父が腕の立つコーチがいるっていうから王都からここまで来たのに、ありゃないよ。オレはてっきり、あの超有名な“カミリヤ選手”がコーチしてくれるかもって期待してたんだぜ」
「クード、口を慎みなさい。すでに引退したカミリヤがお前のコーチをしてくれるわけがないだろう。あと彼――レイは私の元で長年働いてくれ、今は“ラウチェトレーナー”をしている実績のある人物だ。見た目で決めつけるなど良くないことだぞ」
父であるマーチャードさんの叱責に、息子のクードは「だけどさぁ……」とブツブツ文句を言っている。王都から夢を抱き、遠路はるばるこの田舎に上がってきた若者としては瓶底眼鏡をかけた自分との対面は、さぞ残念であったと思う。
(悪かったな、こんな瓶底眼鏡で)
陰口など聞き慣れている、無視するに限る、まだ大した実績もないくせにオーナーの息子だからって偉そうに言うな。
気にするなと思いつつも沸々する胸の内をなだめようと自分の結った金髪をガリガリと指でかいてから、足早に執務室を離れた。
(僕だって、やりたくはないんだよ……だけどマーチャードさんが言うから)
厚みのあるレンズ眼鏡の中心を指で押し上げ、執務室が離れたので、今度は足元荒く廊下を抜けていく。
こんなことが決定したのは今から一週間ほど前……マーチャードさんに執務室に呼ばれた時だった。
『レイ、君に“ラウチェレーサー”としての指導を頼みたい者がいるんだ』
その依頼には、マーチャードさんに悪いとは思いつつも、もちろん拒否を示した。自分は今は“ラウチェ”を育てるトレーナーであり、レーサーを育成する立場ではない。コーチができる人物なら他にたくさんいるはずだ。
しかしグレー色のスマートなスーツを着こなし、整った口髭を蓄えた紳士であるマーチャードさんは苦笑いを浮かべた。
『それがね、少しお調子者な困ったやつでな。生半可なコーチじゃ嫌だとわがままを言って、雇ったコーチが来ると逃げ出すんだよ』
どれだけ自分勝手なやつなんだと、思わず肩をすくめた。プロを目指すのにそんな志でいいと思っているのか、なんにしても面倒なだけだ。
『それじゃあ僕だって同じですよ。僕はコーチ経験はないですし』
『そんなことはない、君には教える力がある。私は君なら大丈夫だと思っているよ』
マーチャードさんの、その絶対的な自信は疑問だった。今までやったこともなく、結果をもたらしたわけじゃないのに、そこまで言い切って大丈夫なのか。
『……無理です』
再度断ったが、その先はマーチャードさんにうまく乗せられた。さすがに何度も言われたら、長年この牧場で世話になっている自分に拒否権はない、むしろ従業員なのだから拒んじゃいけないのだけど。
常識外れなお調子者のコーチなど無理かもしれないが、とりあえず引き受けるしかなかった。
『……その人には僕のことは伝えてないですよね』
そこは大事なところだ……そこはマーチャードさんには“誰にも言わないで”とお願いしてあるから。
『もちろん、それは君との約束だからね。それに君を守るためでもある。そのことについては安心してほしい』
『……わかりました、できる限りのことはします』
深くため息をついてから了承を伝えると『ありがとう、息子を頼むよ』と言われ――。
一週間後にやってきたのは執務室でブーブー言っていた彼、クード・マーチャードだ。了承した後でマーチャードさんには『息子?』と突っ込んだのだが、本当にまさかの息子だ、たった一人の長男らしい。
マーチャードさんはマーチャード商会として貿易や建築など色々な業種を手掛けている事業主で、この牧場も事業の一つだ。ただここは王都から限りなく離れた田舎。だから長年マーチャードさんの元で働いていても王都で暮らす彼に会う機会はなかったのだ。
『あー……あんたが、レイ、さん?』
ラウチェの食事となる果物入りの木箱を運んでいた時、突然鳥舎に見知らぬ男が現れた。
ふんわりとした短めの黒髪でわりとガッシリした長身の体格。王都という洗練された場所で育ったとわかる若者向けで細身のシルバー色スーツを着こなした姿は緑と茶色の多い田舎では、めちゃくちゃ浮いていた。
見ただけで、この若者の正体が誰なのかはわかった。
『……そうですけど』
『……眼鏡、すごいね』
男の一言に(いきなりそこか)と内心でツッコんだ。
確かに自分の身なりは一番に眼鏡が目立つだろう。下は汚れてもいいように白いシャツと茶色のオーバーオールで、首は虫が入らないように茶色のネックウォーマーをしている。長めの金髪は邪魔にならないように後ろで束ね、まさに牧場で働いてます的な容姿。王都住まいには見慣れないはずだ。
若者は頬を指でかきながら苦笑いしている、明らかに不本意そうだ。
『あー、えーと……オレ、クード。親父はマーチャード……オレ、あんたに“ラウチェレーサー”のコーチをしてもらえって言われたんだけど、ホントに大丈夫?』
失礼な言い方は若いせいだろうか。イラッとしたが大人としては表面には出せない。
『……僕はレイです。大丈夫と言われて大丈夫と答える自信はありませんけど、ラウチェのことなら自信はあります』
長年培った知識は、この牧場スタッフで一番だという自信はあるのでそう答えたが。クードは『ふ〜ん』と半信半疑といった様子。
『あんた、いくつなの?』
再びの失礼な問いに口の端がピクピクした。年上に対する話し方ではない、マーチャードさん、長男だからって甘やかしすぎでは。
『僕は今年で三十歳です。あなたの十個上』
『えぇ、うっそ!?』
クードは目をぱちくりさせた。礼儀はなっていないが純粋そうな、きれいな金色の瞳をしているが、純粋は無知とも言える。
『ま、まさかの年上⁉ 背、小さいから年下かと思った……あぁ、十個上……あぁ、そう。なら大丈夫かなぁ……?』
何が大丈夫なんだ、そして何が心配なのか。クードの失礼さにはため息しか出てこない。
“ラウチェレーサー”を目指しているということは王都の専門学校でラウチェの生態、育成方法、レースのルール等については大体学んでいるだろうから、あとは応用を見てやればいいくらいだろう。
……あぁ、でもコーチの指導から逃げ出しているようなやつだった……先行きが怖い。
『はぁ、まぁいいや……オレ、牧場グルッと見て親父に挨拶してくる』
『わかりました、後であなたのラウチェも見せてください。王都からの引っ越しでストレス溜めると困りますからね』
自分はなぜ年下に敬語なのだろう。これは性格だ、しかたない。それに彼は一応オーナーの息子だから。
クードは「じゃあね〜」と軽い挨拶をして去っていこうとした。あまりの軽さにあきれて考えも浮かばないと思っていると。
『あ、そうだ! あのさーっ』
クードは何かを思い出したかのように長い足をクルリと反転させた。
『最初に言っとくー! オレ、アルファだから! なんでも才能はあるからさっ! そこんとこ、よろしくねーっ!』
クードの若い気力と自信にあふれる、たくましい後ろ姿を見送りながら唖然とする。考えは浮かばないが、この言葉だけは口をついて出た。
『最悪だ……』
突拍子もない告白に、立っている力も抜けてしまいそうだった。
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