なぜ君は優しくなったのか

第11話 まさかの誘い

 広大な敷地を有するマーチャード牧場には本番レースに似せた2000mのトラックが作られている。レースに参加するラウチェはもちろんそこでトレーニングをする。

 ラックルズは本番のようにトラックを走り、最後の一直線を走っていた。土を蹴り上げる全力ダッシュ、だんだんとラックルズの本領が発揮できるようなってきた。前を見据える黒い瞳も爛々としている。


「いいね、ラックルズ! すごく力強くて良い走りだよ」


 走り終えた後、レイは一生懸命走ったラックルズの頭をなでた。


「走りもすごく滑らかだ、やっぱり走るのが好きだから覚えが早いんだね」


 今日はサータがいないから、このトラックはラックルズが独占して使用している。

 たくさん走ったラックルズは羽毛の下に汗をかき、まだ少し息を荒くしているが楽しそうだ。


「もう今日はやめにして、このあとはゆっくりしようね。お水もたくさん飲まないと」


「ねぇ、レイさーん、オレも良い感じだった?」


 急に声をかけられて、レイはハッとした。ラックルズに夢中で彼に騎乗していたレーサーのことを忘れそうになっていた。まだラックルズの上にいるのに。


「問題ないです」


「それだけ? オレの乗り方とか大丈夫? レイさん、こいつばっかりでオレのことは全然見てくんないからさぁ」


 そりゃそうだろう、という言葉は発したらあまりにかわいそうなので心の中に留めておこう。

 正直ラックルズは気にかけている。それに乗っている人のことは、あまり気にしてない……問題がないから。あと色々言うとめんどくさいから。


「今のクードさんの乗り方も問題ないです。あとはレースの場数を踏んで慣れていってください」


「それってオレに問題はないってこと?」


「そうですけど」


「ふ〜ん……」


 クードは納得がいくような、いってないような複雑な表情を浮かべている。そんな顔をされても元よりクードはセンスはあるのだから、あとは慣れていってもらうしかないのだ。それの何が不満なのか。


「この前のレースの後、レイさんがすげぇほめてくれたからさ、なんか嬉しかったんだよね」


 だからまたほめられたい、と。犬じゃないんだから。


「まっ、レイさんがそれならいいか」


「はい、もう今日はラックルズは休ませてあげてください。お水とご飯あげるの忘れずに」


「わかってるよ〜」


 クードの今日の世話はこれで終わりだ。ラックルズのことは任せて自分は他のことをしよう。

 そう思ってこの場を離れようとした時、クードが「レイさん!」と呼び止めてきた。


「ねぇ、たまにはさ、オレと出かけない?」


「……は?」


 予想外の言葉にレイはまばたきを繰り返した。

 今なんて言った、この人……出かける? 僕に出かけるって聞いてきた? 何かの間違いか?


「いやさ、レイさんとはこうしてもう三ヶ月くらい、ほぼ毎日一緒にいるけど。一緒に出かけたことないなって。レイさんとはラウチェのことでしか関わってないなと思ったから」


「別にただのコーチですから、それでいいでしょう?」


 我ながらひどい言い方だとは思う。クードは不満そうに「そうだけどさ〜……」と口を尖らせている。


(この僕と、出かける……?)


 クードの誘いを聞いた自分がまず思ってしまったのは、この人は何を企んでるんだろうという疑心だ。クードみたいな目立つ人物が自分なんかと仲を深めたいわけがない。何かしらのメリットを得るため、裏があってそんなことを言っている……そう思ってしまうのだ。

 自分は彼よりも年上。返しはいつも、こんなふうにひどいものばかり。だから誘われるに値する存在ではない、はず。


「オレと出かけるのは嫌なの、レイさん」


「嫌というか……」


 不安になるのだ色々。だって僕と仲良くなりたくなんて思っていないだろ。君が知りたいのは僕の知るカミリヤ選手のこととか、ラウチェのこととかだろ。

 それなら関われるのは嫌なんだ。


「じゃあレイさん、このあとも牧場の仕事するんでしょ? オレにもなんか教えてよ。ラックルズの世話以外のこととか、オレなんもやったことないし」


 言い回しが変わり、なんと答えていいやら。


「でもあなたはオーナーの息子さんだし……雑用とかは」


「そんなの関係ないっしょ」


 散々悩んだが。今日のクードは牧場の他の仕事をしたいらしい……ということで自分を納得させることにした。


「わかりました。この後は市場に買い物に行きます。サナミの出産も近いから、それの準備もしたいので」


「へぇ、市場なんてあるんだ。楽しそう、行ってみたい」


 クードはパッと顔を明るくした。

 市場といってもラウチェ関係のものが売ってる市場なので別に華やかなもんでもないのだけど、まぁいい、それで幻滅したら、ついてくるのをやめるだろう。

 クードがなぜ急にそんなことを言い出したのかわからないが、とりあえず連れて行くことにした。


 市場は牧場から歩いて二十分ほどの場所にある。田舎にある市場だがラウチェを飼育するために必要な道具が揃っているため、行き交う人々は多い。ラウチェに乗って訪れたり、馬車で来たり。市場にはテントや大きな布で天幕を作った店など色々な形の店が存在する。


「へー、ここが市場か、なんかラウチェばっかりだな」


「ここにあるのはラウチェ関係の物だけです」


「人間のものはないんだ、アクセサリーとか」


「そういうのは王都で買ってください」


「はは、そりゃそうだよね」


 クードはがっかりしたふうでもなく、陽気に笑っている。こんなもんかぁ、とがっかりするかと思ったが、これはこれでよくわからないが楽しいようだ。


「で、何を買うんだっけ?」


「サナミが出産できるように毛布とか藁とか、その他の細々したものとか」


「色々大変なんだなぁ。ま、荷物運びなら任せてよ」


「はぁ……どうも」


 そう言ってくれるクードが意外で。任せろと腕を曲げる姿がちょっとたくましいじゃないか、なんて思ってしまった。

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