第10話 番を失ったオメガは…
すごかった。まだ予選だけど見事だった。
ラウチェレースを見ていたら、やはり気持ちが高ぶった。自分はラウチェもレースも本当に好きなんだなぁ、とあらためて自覚する。
だから何があっても離れられたくない、この仕事、このやりたいことから。
どんなに悲しいことがあっても、すがりついてしまうのだ。
夜空の月明かりが牧場を照らす。初夏ということもあり、生ぬるい風が牧場の草を揺らしている。そんな中、牧場の一角に腰を下ろし、隣で膝を折って眠るアルグレーターの頭をそっとなでる。
(かわいい寝顔だな、君はずっと)
自分はラウチェが好きだ。このアルグレーターのことも大好きだ。
だけど、この子は一つだけ罪深いことに関わってしまっている。正確にはこの子のせいではない、あれは運がなかっただけなのだ。
それは五年前に亡くなったフェルン・ミラー選手のことだ。あの日、ミラー選手は“番”であるカミリヤに、こう言った。
『君と番になって明日は五年目という記念日だ。僕は君のラウチェ、アルグレーターに乗って明日のレースに出る。でも勝ったとか負けたはどうでもいいんだ。ただこの子に乗って出たいんだ、いいでしょ?』
『いいけど、どうせ出るなら勝てばいいのに』
『そ、それはそうだけど! ……それ言って負けたらせっかくの記念日が台無しになりそうだしぃ、一応安全パイを……』
『おっとぉ、ミラー選手、だいぶ弱気です、ここで失速かぁ?』
『じ、実況しないの! ……アハハッ、ごめんね、できれば勝つから』
『できれば、ね。ふふ、期待は少ししてるよ、頑張ってね、フェルン――』
ちょっと照れたような笑顔でミラー選手は言っていた。カミリヤにとっても勝ち負けはどうでもよかった。ただ記念日をそんな祝い方をしてくれるのが嬉しくて。もちろん勝ったらすごく嬉しいけど、負けても一緒に乾杯して残念会を開くのが楽しみだった。
次のレース、ミラー選手は宣言通り、アルグレーターに乗って出走した。アルグレーターはカミリヤのラウチェであったが、ミラー選手と番になってからは、たまに乗ることもあり、アルグレーターも彼には慣れていた。レースルールとしてもラウチェの入れ替えは問題ない。
世間は“親友として”仲の良い二人がラウチェを仲良く乗りこなしているんだという感覚だ。
“番であること”は、二人だけの秘密。
実力はあるも気難しいアルグレーターだったが、この二人なら自らの背に乗ることを許していた。だから、その時も……なんら問題はないと思っていたのだ。
その日は雨が降っていた。雨天であろうとレースは開催される。レース上の土がドロドロの悪路にはなってしまうが、それはたまに発生する荒れる可能性の高いレースというもので、お金を賭けている一部のファンには盛り上がるイベントだ。
ミラー選手はいつも通りに走っていた。身体の大きなアルグレーターを巧みに操り、ぬかるみももろともせず、一位をキープしていた。
『結婚五年記念カップだ、買っても負けてもいい。でもせっかくだから一位を取りたい! 一位頑張って取るから勝ったらごちそう用意してよね!』
そんな無茶はしなくても良かった。本当に勝っても負けてもカミリヤにはどっちでも良かったんだ。オメガのカミリヤと一般的な性であるミラー選手、番になって五年。これからもただ一緒の時間を過ごせれば、それが一番だったんだ。
一位になっていることに気を抜いていたのか、それとも降りしきる雨と悪路で手が言うことを聞かなかったのか。
……いや違う、運に見放されたんだ。オメガの不運のせいで。
ミラー選手はアルグレーターの手綱をつかんでいたのだが。その手綱はなんの因果なのか、突然切れてしまった。
カミリヤはその瞬間を観覧席の二階から見ていた。ゆっくりとスローモーションのように、アルグレーターから投げ出されるその身体を。
ぬかるみに倒れるその身体を。
後続から走ってきたラウチェに踏みつけられるその身体を。
そして動かなくなった、その身体を。
ラウチェからの落下事故。レーサーなら悲しいことだが、時折は起こる、それで亡くなった者は何人もいる。
それを覚悟でレーサーはレースに挑む。命をかけてその興奮に身を喜ばせ、風に心地良さを感じる、それがみんなやみつきになるのだ。
けれど大切な人を失ったら、やはり悲しい。
カミリヤはオメガだ。オメガは番ができたらその人と一生を共にするものだ。うなじを噛んでくれた相手と全てを共にし、心も身体もつなぎ、定期的に誰かを肉体的に求めるヒートという現象を落ち着かせることができるのだ。
番がいなくなってしまったら、もうそれはできない。他にどんなに素敵な人が現れても心も身体も別の人に染まることはできない。
オメガはそういうもの、浮わつくことはオメガの血が許さない。
オメガは幸運を呼ばない存在。
オメガは不運。
それはずっと世の中が言っていること。
そしてカミリヤは五年前、表舞台から姿を消したのだ。
「悲しいね、アルグレーター。君の主人は……」
また一ヶ月後にラウチェレース三回戦目が始まる。それまでクードとサータにやってもらうことはこれまでと変わりない。ラウチェの世話、トレーニング、ラウチェと自分達の体調管理。
「来月か……来月末は、僕が……ちょっと厄介だな……」
アルグレーターの頭をなでながら夜空を見上げる。気持ち良さそうな寝息を立てるアルグレーターの横で自分の呼吸は苦しく、どうしようもできない歯がゆさに唇を噛みしめるしかなかった。
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