第22話 風、最高っ!

 目の前に現れたのは月明かりを瞳にきらりと反射させる若いラウチェだ。


「ラックルズ……」


 その背中に乗っているのは、すっかり乗る姿も板についたお調子者のアルファだ。


「レイさん、散歩?」


「なんであなたが、戻って……明日じゃなかったんですか」


「んー、なんとなく、早く帰りたかったからさ」


 クードは屈託なく笑う。そんな笑顔を見ながら、この人には会いたくなかったのに……なんて自分は後ろ暗いことを考えている。


「……もう身体は?」


「大丈夫だよ、薬、強いのもらってるから。なんだろうね、最近、ちょいちょい調子悪くなっちゃうんだよね。まぁ医者の話じゃ、心臓に負担かけすぎらしいんだけど、仕方ないよなぁ」


 本当ならレースをやれる身体ではないような気がする。心臓が弱いのなら。


「それでもクードさんは、あきらめないんですか」


「あきらめないよ?」


 クードはすぐ言い切った。


「オレはあきらめない、オレはどうなってもラウチェに乗り続けるんだ。っていうか、心臓に負担かけないようにスマートに乗れるレーサー目指せばいいよな。あのガイアさんみたいにクールになって乗るとか」


「ふふ、クールになるのは、あなたじゃ難しいですよ」


 突拍子もないことを言われ、思わず笑ってしまった。なんだかクードにはいつも笑わせてもらっている気がする。

 今思えば彼に出会ってから。イライラも落胆も多かったが楽しかったかもしれない。まだ数ヶ月の付き合いでしかないけど、ハラハラドキドキして楽しかった。

 でももう大丈夫だ、クードは成長したのだから。


「クードさん、僕は少し散歩してきますから牧場に戻って休んだ方がいいですよ。四回戦目も、もうすぐですから――それじゃあ」


 適当なことを言ってみた。とにかく彼から離れなくては。心の中で「ごめんなさい」とつぶやいていた。


「……レイさん!」


 彼に背を向け、数歩歩いた時だ。


「レイさん、めちゃめちゃ、綺麗じゃん!」


 その言葉に息を飲んだ。合わせて足も止まってしまった。


「あ、ごめん! 言うタイミングなかったから」


 言っていることが順をなしていない……。


「えーっと、そう。オレ、ずっと思ってた。レイさん、あのひでぇ眼鏡取ったら、絶対綺麗な顔してんだろうなって!」


 ひでぇ眼鏡って……そういえば眼鏡、外していた。


「もっとさ、レイさん、前に出てもいいんじゃないかな! あ、モテるのがめんどくさいならあれだけどさ」


 そういうことじゃないんだって……。


「でもガイアさんも言ってたじゃん! オレも良いと思うけど! レイさんはもっと前に出て、もっと輝くべきだって――」


「僕は、あなたとは違うからっ」


 反論するようにいつの間にか言い返していた。


「あなたのように全てに恵まれた存在じゃないから!」


 レイは手を握りしめた。あなたはアルファだから。才能に恵まれ、全てに恵まれ、生きていきやすい。

 けれど僕は――。


「オメガだから?」


 そう言ったのはクードだった。やはり知っていたか。長い時間一緒にいたらバレてしまうだろうとは思っていた。でも知ったのはごく最近だろう。

 知ったからには、上を目指したいからには、そばにいさせてはいけない存在……それがオメガ、不運な存在。

 そう考えるだけで、また心がさびしくなった。


「レイさん」


 くやしい、なんで自分には何もないのか。いやあったのだ、かつてはあったのだ。けれど失ってしまったから、栄光も大好きな人も不運ゆえに失ってしまったから。


「レイさん!」


「えっ、ちょっと、なにっ⁉」


 気づいたら、身体を横向きに抱えられ、ラックルズ上に「よいしょ」と乗せられた。落ちないように自然な動きでレイがラックルズの手綱をつかむと、身体を挟み込むように彼の両腕が外側から同じ手綱をつかんだ。


「いっくよー、レイさん!」


「な、何してんの!」


「いけぇ、ラックルズゥ!」


 突然、突風が起きた……違う、ラックルズが全速力で走ったことにより、風が吹き抜けたのだ。下にはラックルズのたくましい筋肉の動きを感じる。脚の動きに合わせ、自分の身体も上下に揺れる。クードは自分を落とさないように、はさむ腕を狭めている。


「ちょっとー!」


「ひゃっほー!」


「クードさん! ラウチェは、一人乗りっ!」


「だって、ラックルズが乗せろって!」


 ラックルズがそんなことを言うわけないだろ、そう思ったのだが。ラックルズが全く嫌がる素振りを見せていない。普通なら負荷をかけすぎると嫌がるはずなのに。

 ラックルズは広い草原を駆け抜けていく。抜ける夜風が冷たいせいか、体力があまり消耗しないのか、ひたすら走り続けた。

 その間、クードは楽しそうに自分を腕に包みながらはしゃいでいる。たくましい腕がしっかり支えてくれるから抜群に安定感はある。


「レイさん、楽しいっ⁉」


「た、楽しいわけがっ!」


「だってレイさんも、レースが好きなんでしょ! ラウチェも好きだけど、この風が気持ちいいんでしょ! 最高なんでしょ! オレも最高だよっ!」


 クードが真後ろで雄叫びを上げると、うるさすぎて耳がビリビリした。こんなにヒートアップしてバカだなぁなんて思ったが。

 クードは本当に楽しんでいるのだ、レースを、ラウチェの風を、人生を。確かに、この風は最高だ。


「イエーイ! ラックルズ、オレのラウチェは最高だぜーっ」


 ……他のラウチェで楽しんでいたら、アルグレーターに怒られちゃうなぁ。

 でも少しなら、いいかな。本当にこれが最後だろうから。


「――くっ、あははっ」


「あ、レイさんが笑ったー!」


「ラックルズ、無理しないでね!」


「まだまだ行けるって!」


「ダメです!」


 風が流れ続ける。

 広い草原に、二人の叫び声と笑い声も抜けていく。

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