オメガは退き、アルファは笑顔でそれを止める

第21話 アルグレーターに乗る

 あの後、クードはマーチャードさんの馬車で王都に搬送し、無事に治療を受けて回復することができたという。

 四回戦目のレースに間に合わせるように明日帰ってくる予定だと、先に帰ってきたマーチャードさんが教えてくれた。医師との話では本当はしばらく安静にした方が良く、心臓に負担をかけることは避けるべきらしい。

 けれどクードはそんなこと受け入れないだろう。クードは高みを目指していきたいのだから。


 クードの代わりにラックルズの世話をしながら、レイはラックルズから彼のことを聞いていた。クードは自分なりに一生懸命なこと、カミリヤ選手が本当に大好きなこと、胸が苦しくても苦しいと弱音を吐くことなく、養成学校を過ごしていたこと。

 それを聞いたら、クードの夢をあきらめさせることはしたくないと思った。彼の後押しをしたい、今の自分にできることはそれだけだ。


「マーチャードさん、僕を辞めさせてください」


 全ての業務が終えた夜、レイは執務室に入り、中にいた人物に声をかけた。


「僕がいてはあの子達の夢を邪魔してしまいます。僕がオメガであることはあの二人も察していますから、あの子達にオメガの不運のせいで勝てなかったと言われる前に僕は去りたいんです」


 マーチャードさんは背中で手を組んだまま、微笑を浮かべている。


「その言い方だと君はとてもあの子達を大切にしているように聞こえるよ」


「……否定はしないですけど」


 レイはゆっくり息を吐くと眼鏡を外した。人の前で眼鏡を外すなんて何年ぶりだろう。五年前に『レイの青い瞳はきれいだ』とフェルンは言ってくれたけど、今の自分の瞳はきれいではないと思う、あきらめた人の死んだ目だ、きっと。


「マーチャードさん、色々ありがとうございました」


 頭を深く下げ、レイは執務室を後にする。明日にはクードが帰ってきてしまうから、今夜のうちにいなくなっておきたい。荷物はまとめてあるから、すぐに発てる。

 でも最後にずっとお世話をしてきたラウチェ達には挨拶したい。レイは鳥舎を訪れ、中にいるラウチェ達一頭一頭、声をかけた。


「サナミ……赤ちゃんを立派なラウチェに育ててね」


「ラックルズ、あのお調子者に付き合えるのは君だけだ。どうか全力でレースを楽しんでね」


 鳥舎の一番奥の柵の中には自分と一番付き合いの長いラウチェがいる。


「アルグレーター……」


 養成学校の時から自分のレース人生を共に過ごし、ルーキーカップチャンピオンに導いてくれたラウチェ。そしてフェルンが最後に乗ったラウチェ。


「アルグレーター、最後に、一緒に走るかい……?」


 藁の上で休んでいたアルグレーターはレイの言葉に「キュイ」と返事をした。同意の鳴き声だ。

 柵を開け、手綱をつけ、頭をなでると気持ち良さそうに目を細める。


「ごめんねアルグレーター、全然最近は走らせてなかったね。ゆっくりでいいからトラックを回ろう」


 鳥舎を出てからレイはアルグレーターの背に乗った。久しぶりに乗るラウチェの背はあたたかく、やわらかく。高いところからの視界に胸が高鳴る。今夜は満月だから月明りだけで広いトラックを見渡すことができる。


 レイは手綱を握り、深呼吸をした。久しぶりの手綱の感触、ラウチェの息づかい。アルグレーターは高齢だから全力で走らせるわけにはいかないけれど。

 レイは「走って」とつぶやき、手綱を軽く引いた。

 アルグレーターはゆっくりと走り出した。昔は力強く、地を飛び跳ねる勢いで走ったものだが、今は浴びて心地いいぐらいの風が吹く速度でトラックを走っている。


「アルグレーター、ゆっくりでいいからね」


 でも久しぶりだ。本当に。気持ちがいい。僕はラウチェも好きだ、レースも好きだ……あらためてそう思う。もし再びレースに返り咲くことができたらどんなに楽しいだろう。

 だけど難しいかな……身体もなまっちゃっている。だから、これが最後でいい。最後に、風を感じたい……!

 アルグレーターは期待に応えるかのように徐々にスピードを上げ、レースに出れるまでではないが、それなりのスピードを出している。自分の金の髪が後ろに流れ、夏の湿気を含む空気が頬をなでる。胸の奥が嬉しくて熱くなる。


「最高だよっ、アルグレーター!」






 静かな田舎道。夏の虫がジリジリと音を奏で、砂を踏みしめる自分の足音が鳴き声に合わせるようにザクザクと響いている。


(これから、どうしようかな)


 大好きなレーサーも辞め、大好きなラウチェの世話からも退いたが。ずっとラウチェのことしか関わってこなかった自分に何ができるのか思いつかない。


(それとも……もっと離れた別の地で、ラウチェの世話の仕事をするか……いや、それじゃダメだな)


 結局、ラウチェに関わっていれば何かしらのことで自分の存在は明るみに出てしまうだろう。今回みたいに誰かのコーチをしたら、その教える相手が活躍すれば自分も表に出されるとわかったから。


(本当に退かなければ、また誰かを巻き込んでしまうから……)


 さびしい、さびしいな……むなしくて、先行きが怖い。フェルン、君がいたら、僕は明るい世界にいられたのかな……。


 ふと、音がした。なんだろうと思い、レイは顔を上げ、周囲を見渡す。

 音はこちらに近づいている。急いでいるような足音。だが背中に乗った人物を落とさないように、無謀な走り方はせずにこちらに向かっている。


(この足音は……)


 若いラウチェの足音だ。一歩一歩、強く速く踏みしめ、土を蹴る音。ガイアのラウチェは走るのに慣れた感じの重くも軽快な一歩だが、この速い足音は若いラウチェの特徴なのだ。


(……な、なんで、なんで、ここに……)


 そのラウチェはあっという間に目の前に現れ、鞍上の人物は優しく自分の名前を呼んだ。

 レイはあせりと不安に胸を押さえた。

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