第15話 熱い手の平、優しい君

 肩を支えてくれる手の平が熱く、触れる指先は自分を落とさないようにしてくれているのか、ギュッと力が入っていた。


「急いで来てよかった……見つけたのがオレで良かったね、レイさん」


 この声は――。


「今朝から、なんか様子が変だと思ったんだけどさ、レイさん言いたくなさそうだったし……でもさっきパドックで見かけた時にわかったんだ。だからレース中も気が気じゃなかったよ」


 そんなに心配かけていたなんて、悪いことをしたな……でもそれでも勝てるんだから、さすがだなと思う。


「レイさん、大丈夫? 急いで牧場に帰った方がいい? それともゆっくり移動した方が身体が楽かな?」


 なんでこんなに優しいんだろう。この前からずっとクードが優しすぎて変な感じだ。それは体調にも、いつの間にか現れていた。さっきまですごく苦しかったのが今は少し楽になっている。これも彼のおかげなんだろうか。

 ……偶然、だよな。


「ゆっくりで、大丈夫です。ラックルズの疲れもあるでしょうから」


 こんな時でもラックルズを気にかけたからか、クードは小さく笑い「相変わらずラウチェには優しいね」と言った。


「レイさん、少しは自分にも優しくしなよ?」


「……なんですか、それ」


「そのまんまの意味だよ」


 クードは自分の身体を支えながら、ゆっくりとラックルズを歩かせている。

 静かな時間……ラックルズの足音だけが聞こえ、揺れが気持ち良くてちょっとウトウトしてしまいそうだ。なんとなく黙ってるのは気まずくて「今日も余裕でしたね」と今日のレースのことを話してみた。


「あの調子なら次も余裕ですよ」


「え、本当?」


「本当です」


「オレだいぶ、うまくなったかな?」


「とてもうまくなったと思います」


「カミリヤ選手みたいになれそうかな?」


「夢じゃなくもないですけど、まだ先は長いですよ」


「そっか、頑張るよ」


 真っ直ぐな返答に、レイは笑ってしまった。本当にカミリヤ選手が憧れなんだな。自分もここまで彼をほめるようになるとは思わなかったけど。でもほめるに値する実力になったのは事実だ。

 再び静かな時間に戻る。ラックルズの足音がリズミカルに聞こえる。いけない、意識がなくなりそうだ。


「……オレさ、前に身体が弱かったって話をしたろ」


 クードの言葉に、眠りそうだった意識が戻ってきた。そういえばちょっと前に『自分に元気があったら』とか、そんな話をしていたな。


「オレね、生まれつき心臓が弱かったんだよ。手術しないと大人までは生きられないって言われてたんだ」


 そうだったのか……それはかなり重病だったんだな。でも今こうしてここにいるということは、その手術は成功したということなのか。


「手術はね、大きくなるまでしばらくはできなかったんだ。心臓移植を受けるにも適合するドナーがいなかったから。でもある時、適合するドナーが現れた。すぐに手術は行われて一応成功した。でも完璧じゃないんだ。もし身体の不調があったら王都にいる医者に診てもらわなきゃならない。だからたまに牧場からいなくなってる。ごめんね、レイさん」


 そうだった。クードが牧場に来たばかりの頃、突然一週間くらいいなかった時がある。あの時は王都から離れたばかりだったから。田舎では遊ぶ場所がないから王都に行ったんだとばかり思っていたけど……そうじゃなかったんだ。

 こちらこそごめん、そんな考えをして。


「あんまりさ、興奮したりすると胸が痛むんだ。先生の話じゃ、急に適合が合わなくなるっていうこともあるらしい。そうしたらオレの心臓は止まっちゃうんだ。だからあんまり走ったりするのも本当は良くないんだ」


「そのわりにはラウチェに乗ってますよね。レースに出るのも、本当は良くないんじゃ……」


 少なからず、レースではみんな頭にアドレナリンが出て興奮するはずだ。心臓に負担をかけてはいけないのなら、レースはやるべきではないのでは。


「それでもオレはカミリヤ選手みたいになりたい」


 その言葉は衝撃的で、レイは言葉を失う。心臓病を患って生きるか死ぬかもわからないのに。

 そこまでクードはカミリヤ選手に憧れているのか。


「カミリヤ選手を初めて見た時、オレはまだ自分の足で走ることもできなかった。でもレース会場に親父に連れていってもらって、あの輝いてる姿を見たらオレもああなりたいって思ったんだ。カミリヤ選手はオレに生きる希望を与えてくれたんだ。まぁ、会ったことも話したこともないんだけどね」


 ……そんな相手なのに。


「だから、オレはどんなことがあってもレースはやめない、あきらめない。カミリヤ選手の記録に並ぶんだ。もしダメだったとしてもレーサーとして名前を残せるように頑張るつもりだよ」


 クードの強い決意。聞いているこちらが胸が苦しくも熱くもなる。


「そうですか……立派ですね」


 あらためてカミリヤ選手はすごいことをしたんだなって思う。ルーキーカップチャンピオンだけでなく、病気で夢を抱くことが難しい子供にも夢を与えたのだから。


「でもこうしてオレがレースに勝てるようになったのはレイさんのおかげだよ」


 急に自分の名前が出てドキッとした。


「レイさんがいなかったら、オレはラウチェのことなんかわかんないままだったよ。ただ乗ってればいいんだって、ラックルズに無理させるしかできなかった」


 つつましいことを言うクードに「最初は瓶底眼鏡とか言ってたじゃないですか」

と冗談混じりにつぶやくと「あ、聞いてたの?」と、ちょっとだけ焦っていた。

 ……聞いてたよ。一番最初、会った直後にマーチャードさんに『あんなの無理』ぐらいの勢いで言っていたことを。変われば変わるもので、ずいぶん高評価になったものだ。


「それは、悪かったよ……だってレイさんの容姿、初対面にはなかなか衝撃的すぎるからさ」


「よく言われます」


「オレ思うんだけど、レイさん、その眼鏡とか、なんだかあつぼったいその格好とかやめれば結構良い感じになると思うんだけどな」


「なんですか、それ」


 クードは「そのままの意味です」と言って笑う。でも今更いい感じになったとしても自分にはどうしようもない。自分のことを見てほしくないから、こういう格好をしているのもあるから。


「いいんです。僕は、ずっとこのままで……いいんです」


 体力が尽きてきたのか、急に眠気が襲ってきてしまった。


「ごめんなさい。クードさん、少し眠らせてください」


 彼に対してこんな風に言う日が来るとは思わなかったが今回だけは、ちょっとだけ頼らせてもらおう。

 クードは「いいよ、おやすみ」と言うと、その後は黙ってラックルズの手綱を引きながら牧場へと戻ってくれた。


 途中、何やら彼がつぶやいていたような気がする。

 後でその言葉が夢だったのか現実だったのか、思い返してもわからなかったが。

 レイが焦りを感じた言葉だった。


 やっぱりオメガだったんだね、レイさん……。

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