第18話 カミリヤの名

 オメガにとって番は一生を共にする者だ。番ができればヒートが起きても身体の交わりでそれを静めることができ、それができなくても番がそばにいるだけでヒートの症状がとても軽くなる。ヒートが起きても番以外に甘い匂いは発しなくなるから色々な面での心配はなくなる。

 ただし、もし不測の事態で番を失った場合、ヒート症状は重くなる。番以外との交わりでもそれは解消できず、一生を苦しんで生きるしかなくなる。


『な、なんで……?』


 フェルンの言葉に唖然とするしかなかった。フェルンはその言葉の意味がわかっているのかと思った。


『レイ、あのね……僕とガイアはずっと君のことが好きだったんだ』


『……あぁ』


 ガイアは短い返事をしただけだ。


『だから僕達は君と番になれたら嬉しいと思っているよ。それに番になれば君もオメガの苦しさから解放される。これからも夢を追うことができるかなって……あ、ごめん。なんか言い方がエラそうかも。別に交換条件とかそういうんじゃないんだ。僕達はただ君が好きなの、だから一緒にいたいし、君を助けたい』


『で、でも、オメガは不運の対象なんだよっ。ラウチェレーサーの間では近くにいるだけで勝てなくなるんだ、そんなの――』


『ごめん、言い方が違う。その、オメガうんぬんじゃなくて、一番大事なのはレイが僕達を好きか、どうかだ。なんかオメガを理由に君を脅しているみたいになっちゃうけど……違う、そうじゃないんだよ』


 フェルンはいつもの温和そうな言い方でなく、芯の通った鋭い口調で言う。


『レイ、僕は君が好きだ。君が苦しんでいるなら助けたい。オメガも、不運も関係なく、君と一緒にいたいんだよ』


 フェルンの言葉に頭の中が真っ白になる。彼がそこまで言うならきっと本気で揺るぎないものなんだと思う。でもそれを受け入れるのは――。


『あ、ごめんね』


 真剣な眼差しだったフェルンが急にその調子を崩し、苦笑いした。


『ガイアを差し置いちゃった、ごめんガイア』


『……いや』


 ガイアはずっと何かを考え込んでいるような顔をしている。


『ガイアも君が好きなんだよ?』


『う、うん……でも、僕は、二人を選べないよ。選ぶ立場じゃない……』


 選べばどちらかを不幸にするとわかっている。それなのに選べるわけがない。


『僕がこのまま退学して、レーサーをあきらめればいいんだ。二人とは――』


『そう言うと思っていたよ、もちろん』


 再び、フェルンが真剣な顔つきになり、ガイアに『行こう』と声をかけていた。

 二人が足早に寮から出て向かった先はラウチェを走らせるための広いトラックだ。そこには二人のラウチェがすでに待機しており、二人はそこに行くとメットを装着した。


『ちょっと、フェルン、ガイア! 一体何をっ』


 二人はラウチェを連れ、トラックのスタートラインに立つ。何が始まるのか、緊張に胸を押さえているとフェルンが『レイ!』と声を張り上げた。


『これは正々堂々とした僕とガイアの一騎打ちだ。だから君が気に病む必要はない! でも僕かガイア、この勝負で勝った方と君は番になるんだ!』


 レイの開いた口は塞がらないままに二人のラウチェは二人だけの目合わせで同時にスタートする。なんで、なんで、そこまで……! 自分の頭にはその言葉しか浮かばない。


(そんなことしちゃダメだ。なんで二人してそこまでするのっ)


 二人のラウチェが土を蹴り上げ、全速力で駆け抜ける。その二頭を見守るしか自分にはできない。


(僕は……どうしたら)


 戸惑っていても時は流れる。目の前の光景は流れていく。ラウチェ二頭のうち、一頭がゴールラインを力強く踏んだ。


『レイ!』


 一着でゴールしたのは――。




 僕はその人と番になった。身体を交わった。ヒートも落ち着き、学校生活も問題なく送れるようになり、卒業もしてラウチェレーサーの登竜門と呼ばれるルーキーカップに出場し、四月から九月まで行われる計九回のレースを勝ち抜くことができた。それまで誰もなし得なかったルーキーカップの全制覇……学校を卒業したばかりの名誉あるチャンピオン。


『レイ、すごかった……最高にカッコよかったよ!』


 その言葉はレース終わりに、観客もスタッフもはけたパドックで、番である人物に言われた。


『レイの番になってよかった』


『僕だって……君が支えてくれたから、こうしてチャンピオンになることができた。君がいなければ僕は夢をあきらめた人生を歩むしかなかった……ありがとう、本当に、ありがとう……』


 目の前の人物は嬉しそうにほほ笑む。

 そして地面に膝をつくと――。


『レイ、番になってもらってるのに、今更なんだけど。まだ伝えていなかったから……今、区切りが言いだろうから、言うね……僕と結婚してください』


 エヘヘ、と照れたように君が笑う。


『僕はずっとレイと一緒にいたいです。ずっとずっと一緒にいたい』


『フェルン……!』


『僕と一緒にいてください。レイ・カミリヤ』


 五年間、僕達は幸せな生活を送った。

 でも二人が番であることは公表はしなかった。フェルンは堂々と公表したかったようだけど、オメガの不運のことを考えるとその風評でフェルンを巻き込みたくないと僕は考えた。

 本当は、オメガでもこんな存在になれるんだということを世間にアピールしたいと思って、それを目標にしていたのだけど。

 今が幸せだから、いつしかそれもどうでもいいやと思うようになったんだ。


 しかし――五年後、フェルン・ミラー選手はラウチェレース中に事故死。カミリヤはレーサーをひっそりと引t退した。

 本当は誰にも知られない場所に行こうとしたが、長年お世話になっていたマーチャードさんにぜひいてほしいと頼まれ、知り合いのいない田舎の牧場に配属させてもらったのだ。


 レイ・カミリヤ……僕の名前。

 今ではガイアしか知らない、僕の本名だ。

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