あきらめないアルファは最後まであきらめない
第36話 再び失う恐怖
ラウチェレース、ルーキーカップ準決勝。
この日の天気はあいにくの雨。空は暗い雲に覆われ、少し肌寒さを感じる風が吹いているがレース会場は満員の観客で埋まり、パドックを闊歩するルーキー達は初めての足場の悪さに顔を引きつらせていた。
すでにメットをかぶった状態のサータも下半分に見える表情は真剣に唇を引き結んでいる。さらにはクードも“慣れないラウチェ”に苦笑いをしながら手綱を引いている。
観客はパドックを見て“ある違和感”に気づき、係員にその理由をたずねていた。
そしてクードの足元にいてパドックを歩いているのが、かつてルーキーカップチャンピオンのカミリヤが乗っていたラウチェだと聞くと驚きの声を上げた。またそのラウチェがレーサーとしては、すでに引退年齢であることに「大丈夫なのか」と疑問の声を上げている。
(僕もこうしたくはなかった、けどクードが言っても聞かないから……)
レース一週間前にクードはラックルズに、自分はアルグレーターに乗り、王都に再びやってきた。本番に向け、順調にコンディショニングをしていた時、事件は起きた。
ラックルズはトラックを回っていた時、突如バランスを崩して転倒した。クードも振り落とされたが彼はうまく受け身を取ることができ、大事には至らず。
しかしラックルズは――。
『足首、骨折……』
獣医からの診断を聞いた時のクードの愕然とした顔は、彼に出会ってから初めて見た希望を失った表情だった。特に何が悪いわけではなく、レースをするラウチェなら時折ある出来事だ、運が悪かっただけだ。
だがここに来て、という思いはクードも自分もあった。さすがに準決勝の前日にこの状況は挽回しようがない。
(僕のせいだ、僕の……)
オメガの不運、勝てなくなる、まさにその通り。後ろめたさに押し潰されそうになっているとクードが顔を上げ『大丈夫だ』とつぶやいた。
『……レイさん、レースに出れるラウチェは、まだいるじゃないか』
一体どこに。その言葉は口にせず、目で訴える。準決勝は明日だ。牧場に帰ればラウチェはいるが今さらレース出場まで鍛えることは不可能だ。
『いるじゃない、レイさん。何度もレースに出たことのあるプロのラウチェがさ』
『まさか……』
その予想は当たった。思わず否定するように手を振り払っていた。
『無理だよ! 何言ってんの⁉』
『無理じゃないよ、やってみなきゃ。だからレイさんも協力して。アルグレーターの力を借りられるように。オレはやるよ、絶対に』
その言葉を聞いて自分は叫びたくなった。クードが選んだ方法はアルグレーターに乗ること。アルグレーターに乗るのはあれほど無理だと言ったのに彼はそれを実行しようとする。
それに、アルグレーターは……事故とはいえ、フェルンに関わりのあるラウチェだ。もしそれがまた起きてしまったら。五年前のことが、また――。
(最悪だ、最悪だ……あの時もこんな雨だった、悪路だった、あの時と同じ……)
本当なら今すぐやめさせたい。レースに出ないでほしい。でもクードはあきらめない。その曲がらない信念は素晴らしいものだと思うけど。
(僕はあなたを勝たせたいよ……でもそれ以上にあなたを失いたくないんだよ)
パドック近くの特別席も一般の観覧席も屋根があるので観客は濡れずに観ることができる。パドックを回っていたレーサー達は雨に濡れ、ラウチェ達は濡れた羽をたまにバタバタさせながらゲートへと向かう。
アルグレーターは一応クードの言うことを聞いてはいるが、信頼関係ができていないから動きはぎこちなく、たまにアルグレーターが頭を振ってクードのことを振り払おうとしている。言うことを聞いてとはお願いしたけど。
(無理すぎる……クード、どうするんだよ)
無情にもファンファーレは鳴り響く。今までよりも長く、他の管楽器も混ざって壮大さが増し、聞いているだけで胸が高鳴るだろう、普通なら。
(不安しかない……嫌だ……)
レースが始まってほしくない。そんな願いはむなしく、ゲートは開き、ラウチェ達が一斉にスタートする。今までのレースで最初からトップに躍り出ていたクードは出遅れ、後方からのスタートになってしまった。
アルグレーターはレースに出たことはあるプロには違いないが、なにせ高齢だ。とっくに引退していてトレーニングもしていないのだ。それに乗るというクードの選択も間違っている。
スタートからしばらくは、まとまって走っていたラウチェの群れが徐々にバラけていく。トップに出ているのはサータのラウチェだ。サータは後方が気になっているのか、一度だけチラッと後ろを見ていた。
『先頭はフレイア選手! 期待のルーキー、マーチャード選手はラウチェの変更があったためか、まだ調子が出ないようです!』
依然クードは後方だ。アルグレーターは頑張っているが雨での悪路でスタミナ消費が激しいようだ。少しずつスピードが落ちている。クードはそれに焦りを見せず、アルグレーターの頭をなでているが。
(クード……)
アルグレーターを気づかってくれている。その優しさは嬉しい、嬉しいよ……。
自分は両手の指を組み合わせ、祈る気持ちでつぶやく。手指は寒さと不安で感覚をなくしていた。
(アルグレーター……お願いだ、クードを守って……)
レース後半、アルグレーターは順位を落としたままだ。トップとの差は歴然、勝ち目はない。
自分はあきらめていた。このまま無事にクードがゴールするのだけを願っていたのだが。
『おおーっ! 最後方にいたマーチャード選手! 徐々に追い上げてきています!、これは巻き返しもあるかぁっ!』
……そんなバカなと、目を見開く。
悪天候の中、最後方にいたアルグレーターの走る姿を視界にとらえると、アルグレーターの走り方に変化があった。素早く脚を動かす様子はかつての全盛期の走り方と同じだ。雨のぬかるむ地面を踏みしめ、降りつける雨を散らし、アルグレーターは頭を下げながら前に突き進んでいく。
信じられない、アルグレーターが走れている。クードが歯を食いしばりながら笑っている。
『すごい気迫だぁ! お見事です! マーチャード選手、追い抜きにかかっています!』
アルグレーターは前を行くラウチェを一頭、また一頭と追い抜いている。その追い抜きは凄まじく、観客を喜ばせ、怯ませるほど。
気づけば前にはサータのみ。
『さぁ! ラストスパートとなります! はたしてどちらがゴールを決めるのかぁ!』
サータとクードは横並びになり、一気にスパートをかける。やはりこの二人は他のレーサーよりも圧倒的な能力差があるのだろう。他のレーサー達はすっかり置き去りにし、二人の一騎打ちとなっている。
しかもクードはラックルズではないのだ。他のラウチェだ、しかも高齢だ。
(アルグレーター、まだあんなに走れるなんて)
クードはイケるとばかりに笑みを浮かべ、隣のサータも負けじと笑っている。両者はゆずらない、ラウチェは大きく揺れ動き、雨の飛沫がこちらまで飛んできそうな勢いだ。
(クード!)
ゴールが迫る、十、九、八メートル……三、二、一……アルグレーターが大きく一歩を踏み出すのが見えた。その瞬間、くちばしが前に出てゴールラインを通過した。
(やっ――)
こんな奇跡的なゴールがあるなんて。感動しかない、この場にいた誰もが歓喜の声を上げるはずだった。
しかし次に聞こえたアナウンスはその感動を打ち砕き、言葉を失わせ、頭を真っ白にさせるものだった。
『あぁ! マーチャード選手、なんということだぁ! ゴール直後、ラウチェと共に転倒っ!』
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