第24話 これからのこと

「レイさん、そろそろ戻ろうか」


 色々な会話後、クードが言い出した。

 クードは立ち上がると手を差しのべてくれたのだが。


「僕は……」


 戻れない。あなたを勝たせるためには。


「戻りたくないの?」


 その言葉にうなずくことも返事もできない。うつむく自分に、クードは相手を安心させるような優しい声で言う。


「レイさんはどうしたい?」


「僕、は――」


「うん」


「僕は――」


 あなたを勝たせたい。でもそばにいたら勝てない。でもあなたの勝つ姿をそばで見てみたい……とは言えず、言葉を飲み込んだ。


「ごめん、決めづらいんだよね」


 クードは目の前にしゃがむと、自分の両肩に手を置いた。


「じゃあレイさん、これはオレのお願いだ。次の試合とその次の五回戦目、両方一位取って地方戦を完全勝利して王都戦への切符を手に入れたら。オレのお願いをもう一つ聞いてほしい。とりあえずオレの条件なしの今のお願いは牧場にいてほしいんだ。オレ、不運なんかに負けない、運は良いから。絶対に勝つから」


 目の前にある彼の目は真剣だった。嫌だとは言わせず、絶対に大丈夫だと思わせてくれるような自信の色に満ちている。

 その綺麗な目に、そこまで言われたら自然と口は操られたように動き――。

『わかりました』

 そう言おうとした直前。急に彼の表情が変わり、いつものヘラっとした笑みを見せた。


「そ〜れ〜に。親父と契約してるんでしょ? オレのコーチ指導のこと。オレだって、レイさんがコーチしてくれるって言うから、王都の高いコーチとか断ってここに来たんだ。だ、か、ら、途中解約はダーメ。解約したら解約金高いよ?」


 こちらのぐうの音が出なくなるような正論だ。クード、得意気に笑っているし。


「……なんか偉そうですね」


「へへ〜、偉いんだよ、オーナーの息子だからね」


 堂々と言いながらも憎めないのは彼に悪意がないからこそだ。


「でも、オレはレイさんだからこそ、ここから先も見てもらいたいんだ」


 そしてサラッと恥ずかしいことを口にする……人を調子を狂わせる、駆け引き上手。なるほど、さすがやり手社長の息子だから。


「僕のこと、変だと思ってたくせに」


 あの瓶底眼鏡、今でも忘れられないセリフ。きっと自分と会うもの誰もが思っていただろうが、口にされたのは初めてだったから印象に残っている。


「そ、それは最初だけだ! 今は違うよっ、オレは――」


「えっ?」


「あ――」


 クードは慌てて口をつぐみ、視線をそらした。明らかな動揺だ。

 今の言葉の、その先は――。


「だぁっ! なんでもないっ! もう夜遅いから、ほら帰るよ! レイさん、ラックルズに乗って!」


 クードは勢い良く立ち上がると手を引っ張ってきた。


「え、また相乗り? ラックルズ疲れてますよ!」


 ラックルズは返事をするように「キュイ!」と鳴いた。問題ない、と訴えるように。

 あれだけクードに懐いていなかったラックルズがまるでクードの言葉に合わせるように動き、自分とクードを背中に乗せると、またダッシュで牧場へと向かった。






 ラウチェレース四回戦目。いつもの分厚いレンズの眼鏡を身に着け、二階の観覧席でその様子を見ていた。ラックルズとその他のラウチェ達がいつのようにパドックを回ってから、ゲートイン。そしてスタート。四回戦目も、もちろんクードの勝利。サータは二位だった。


 そういえばガイアの一件以来、サータがマーチャード牧場に来なくなった。彼の親戚も牧場経営しているから、そこで練習しているのだろうが。四回戦目の試合前に会場で出会っても挨拶だけで会話はなく、終わった後もすぐにいなくなってしまった。

 ガイアとの勝負をする前にサータが言っていたことを思い出す。


『俺は二位ばかりでした』

『俺、レイさんが好きです』


 その後、ガイアとのレースでラウチェから落下しかけたり、そこをライバルであるクードに助けられたり。サータにとってプライドが傷つくことばかりだっただろう。それは自分の、オメガの不運のせいかもしれないと思うと、サータには申し訳ない気持ちだ。


 ラウチェレースは楽しんで参加するもの……サータ、楽しんでいるのかな。


 五回戦目。地方戦最後。これが終われば王都戦に行けるがクードもサータも前のレースで上位キープをしているから負けてもポイント的には問題ない。

 でもルーキーカップ完全勝利を目指すクードは絶対に勝ちを目指す。何よりこの前の約束もあるから。


「サータさん」


 レース前、会場の外にいたサータに近づき、声をかけた。


「あ、こんにちは、レイさん」


 サータは挨拶を返してくれた。しかしその表情は固めだ。


「サータさん、元気にしてますか」


 なんて話しかけたらいいのか、戸惑ってしまう。元から自分だって明るい性格をしているわけではないから。


「はい、元気です。最近は顔を出さずにすみません」


「いえ、サータさんの練習、大丈夫なんでしょうけど、大丈夫かなと思って。いえ、僕が口を出すことじゃないんですけど」


「練習は、してますよ。どうすればもっと強くなれるかなって考えてますけど、なかなか、ね。難しいものです」


 サータはだいぶ疲れの色も見える。無理して強くなろうと頑張りすぎているのかもしれない。


「サータさん、そこまで気負わなくてもレースは楽しんだ者が勝ちますよ」


 自分はずっとそうだったから。ラウチェに乗っている間はとにかく楽しんだ。結果、チャンピオンになれたのだ。


「レイさん、なんか変わりましたね。明るくなったような……クードと、なんかありましたか?」


 胸の鼓動が“クードと何か”と言われた瞬間、はずんだのがわかった。なぜか動揺している自分がいる。別に本当に何かがあったわけじゃないけど、クードの優しさに助けられたことを思い出すと胸の中があたたかくなる。


「えっ、そう、ですか。特には変わりはないですが」


 動揺をサータに見せてはいけない。彼は勘が鋭いから。


「レイさん……」


 しかし、それすら察したのか、サータは両手をギュッとつかむと身体を引き寄せていた。目の前にサータの引き締まった身体が迫り、自分の髪にサータが顔をうずめたのがわかった。


「サ、サータさんっ!」


「俺、ずっとあいつの後ばかりくっついてる。嫌だ、そんなの。俺はあなたさえ、あいつに持っていかれちまうなんて……絶対、嫌だ」


 低い声、いつも温和なサータとは違う声。それだけ追い詰められているのを感じる。


「巻き返す、絶対、巻き返さなきゃ……そしてあなたを……すみません、レイさん。俺、行きます」


 サータは手を離すと、苦しげな表情のまま会場に向かっていった。


(……あのままではクードには勝てない。サータ、楽しんで、どうか)


 今は大きくも影のある彼の背中を見送るしかできなかった。

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