第42話 とまらないで

 ラウチェルーキーカップ最終戦。

 晴天の下、たくさんの楽器が広がりのあるファンファーレを奏でていき、最後は空に羽ばたいていくように消えていった。

 会場は満員。会場にいる人のほとんどが注目しているのはルーキーカップ完全制覇まであと一歩というマーチャード選手だが、もちろん将来性のある他の選手を応援している者も多くいる。


 大勢の人が注目する中、ラウチェ達はゲートインした。

 レイは特別観覧席に座り、クードに視線を注ぐ。クードが見つめる先には何があるのだろう、アルグレーターの高い位置から見えるトラックの地面、完全制覇の表彰台……自分と一緒にいてくれる未来。そうであったら嬉しい。ここで不運な出来事が起こらないでほしい、どうか無事に完走を。願うのはそれだけだ。


 周囲が静まりかえる。大勢がいるのに全体がシンとなる。会場一体が緊張感に包まれているのだ。


(クード、走り抜けて……!)


 ガァン、とゲートが開く金属音。思ったよりも大きな音になったのは、たまたまだろう。

 しかしその大きな音に緊張が頂点だったラウチェ数頭がレース開始直後に、バランスを崩して転倒する。


(アルグレーター⁉)


 転んだラウチェに足を取られ、アルグレーターがガクンと膝を折っていた。普通ならそのまま転倒してしまう事態だ。

 しかしクードは自身の体重を鞍上で移動させ、アルグレーターがすぐさま立ち上がりやすいようにすると同時に手綱を引いて頭を上げさせ、見事立ち上がらせた。


(すごい、そんな技……)


 アルグレーターは出遅れたがレースに復帰した。すでに三頭のラウチェは転倒したまま動けず、脱落となる。その中にサータは含まれていないようだ。


『今回、ルーキーカップ制覇に手がかかっているマーチャード選手! 最後方からのスタートです! 先頭はフレイア選手! ついで――』


 現在、サータが順調なようだ。他の選手名も呼ばれている。クードは先頭から十数メートルは離されているが最終戦は距離も長いから、まだ挽回のチャンスはある。


(けれどアルグレーターの体力を考えると、この距離はかなりつらい。後半になればなるほど……)


 アルグレーターは元は最後の直線ダッシュが得意だった。準優勝で勝利できたのもそれができたからだ。しかし前回のレースから一週間しか経っていないのと、やはり高齢が気にかかる。それでもどうかクードを最後まで導いてほしい。


『レース中盤! 各ラウチェ順調に進んでいます! 脚もきれいに上がっている――いや、ここにきて一頭、脚が崩れています!』


 誰かと思い、瞬時にスピードダウンしたラウチェに目がいく。それはクードではない。しかし一週間しか間のないレースは、他の若いラウチェでさえ負担なのだ。


『先頭、フレイア選手と他数頭、現在固まっています! マーチャード選手、まだ後方! ちょっと苦しそうです!』


 アルグレーターの脚の上がりが悪くなってきている。スタミナが尽きてきたのだ。

 残りはトラック半分を切っている。走り切ればまだいいが今は途中でスタミナ切れで転倒する可能性も高い。


(クード……リタイアも手の一つなんだよ……)


 転倒してケガをするよりは逃げるが勝ち。下手をすればフェルンのように命を落としてしまうから。


『マーチャード選手! ちょっと後退してきましたぁ! 完全制覇は厳しいかぁ!』


 制覇しなくてもいい。ただ無事に戻ってきてほしい。でもそんな願いはクードは納得しないと思う。彼は自分の命をかけてレースに挑んでいるのだから。


『コーナーを曲がったところで先頭部隊もやや後退! ここはスタミナを奪われるコーナーとなっており、やや傾斜があります!』


 サータ達、他のラウチェもスピードダウンした。アルグレーターがそこを狙っていければいいが無理に近い。ラウチェ達は少しつらそうに脚を上げ、レーサー達はラウチェに負荷がかからないように足を踏ん張って自身の身体を上げているため、レーサーも体力の踏ん張りどころだ。


『間もなく坂を上がり、最終カーブ! そこを越えれば最後の一直線です! はたしてこのままフレイア選手が逃げ切るか! マーチャード選手、最後方のままとなってしまうのか!』


 先方部隊が傾斜を上がりきる直前、アルグレーターは傾斜に入ったばかりだった。こんなのは誰もが認めるぐらい、もうあきらめるしかない状況だ。

 その時だった。クードは片手をメットに持っていき、器用にメットのバックルを外すとそれを脱ぎ去った。彼のふんわりした黒髪が風になびき、彼は涼しそうに笑みを浮かべている。


「いけぇ、アルグレーター! 風になれ!」


 遠目からでそう言っているかはわからないが、クードは笑顔でそう言って自身の体重を足を踏ん張って支える。

 するとアルグレーターの脚の運びが変わり、坂だというのにグンとスピードが出た。


(嘘、そんな、そんな体力なんて)


 アルグレーターが他のラウチェに負けず、いやそれ以上の足取りで坂を駆け上がり、中間を走っていたラウチェ達を追い越し、先方部隊に追いついた。

 先方は最後の一直線ということで猛ダッシュの態勢になり、アルグレーターもそこに並ぶ。


(アルグレーターに、あんな体力は……でも走っている。無理、している?)


 無理をすれば、どこかでそれが仇となる。やめて、最後の直線でのアクシデントは……昔と同じになってしまうから。

 このまま駆け抜けて、止まらないで。


「アルグレーター! クードッ!」


 レイは叫んでいた。クードに聞こえるわけはないのだが、彼は笑っていた――いや、ずっと笑っているのだ。彼はレースを楽しんでいるのだ、どんなに苦しくても、身体がつらくても。


 いや、苦しいからこそ笑っている……?

 クードの心臓は、大丈夫だろうか……。


(とまら、ないで……レースも、クードの心臓も……フェルン……お願いだ……)


 アルグレーターはさらに加速していた。

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