第32話「怒りが込み上げてこない」
頭を掻く浩司に美香が話す。
「先輩って、子供が嫌いでしょ? だから私、浩司さんのことずっと心配してたんですよ。二人は上手くいくのかなって。そしたら、結婚しちゃたからビックリしました。──あ〜、浩司さん優しいから我慢してるんだろうなぁ〜って。無理してしんどくなってないかな〜……なんて思ってました。当たってるでしょ?」
浩司が声を出さずに顔を引き攣らせ苦笑いしている。
「はぁ〜、やっぱり。また顔に出てますよ? それが浩司さんの悩みの一つで……もう一つ、あるでしょ?」
「そ、それも顔に書いてある?」
浩司が質問を質問で返した。
「ふふっ、それは顔に書いてるんじゃなくてですね……。う〜ん、実はもう一つの浩司さんの悩みも分かるんですよね〜。私はその浩司さんのその悩みを確実に知ってるんですけど……。これは言わないでおきます。言っても信じないだろうし、私が浩司さんに嫌われるの嫌だから。──優しい浩司さんもいいですけど、自分を押し殺してばっかりじゃ、しんどくなっちゃいますよ? って、駄目だ……浩司さんと居ると何でも話しちゃいそうになっちゃう。それでは、美香はこの辺で帰りますね!」
浩司が慌てて言う。
「待って美香ちゃん、送るよ!」
「あ〜、また優しい! 私に彼氏がいなかったら、絶対に浩司さんのことたぶらかすのになぁ……。今なら浩司さんを落とせる自信ありますよ? なんてね。──ふふっ、送ってくれなくても大丈夫です。この先で彼が待ってるんで。じゃあ」
美香が軽く会釈して去って行く。浩司はその後ろ姿を見ていた。
「雅人が迎えに来てるのか……。美香ちゃんの言葉や態度に
「何がしんどいの?」
「わっ!」
また、後からの突然の声に驚く浩司。
「綾音か……お疲れ様」
「ねぇ、しんどいって何が?」
浩司が慌てる事なく返事をする。
「さっきまで美香ちゃんとここで話してたんだ。こんなに遅くまで仕事大変だなって。美香ちゃんが帰った後に、仕事って本当にしんどいよな〜って思ってたのが声に出たんだと思う」
浩司の返事に対して、綾音が疑うことはなかった。
「確かに、仕事は大変よね」
「今日は大丈夫だった?」
「うん、平気。さ、帰りましょ」
綾音のその返事に、浩司は思った。
──平気って、嘘だからだろ? 綾音のこと、全く分からなくなってきた……。こんなのでやっていけるかな? 証拠を突き付けて話をしたほうがいいんじゃ……。そもそも綾音は僕と一緒に居たいと思ってないんじゃないか?
二人は車に乗り込み、浩司が車を発車させた。
反対車線のジム周辺がよく見える位置に止められていた車から、その一部始終見ていた一人の人物が……。
その車の、スモークフィルムが貼られた後部座席の窓が開く。浩司が運転する車の助手席に乗っている綾音を目で追い、運転手に目をやるその女性は……
「あれがターゲットの夫ね……手間が省けたわね。報告では、夫の友人関係が少し危険とあったけど、これは私には関係ないから問題なし。──これで一通りの調査は終わり。後は、社長が絶対にジムに行かない日を見計らって、ジムに乗り込んであの小娘を脅せば……。滝野綾音、楽しみに待ってなさい………」
❑ ❑ ❑
─ 滝野家 ──
翌日の日曜日。
綾音は日曜日も出勤の為、朝早くから浩司が朝食を作り送り出した。
家の用事をする気力が湧かない浩司はダラダラと時を過ごし、昼前になると二階のベランダに出て外を眺めていた。
「はぁ〜、綾音はすこぶる冷たいし、香織さんとは会っちゃいけない気がするし……」
ため息ばかり付く浩司。すると、八木家から勇夫が出てきた。
「あっ、勇夫さんだ。また一人で出て行くんだ。あの人が綾音と浮気を……。そう思っても怒りが込み上げてこないのはなんでだ? それより、香織さんは綾音に怒ってるだろうな。怒りより、香織さんに申し訳ない気持ちの方が勝ってる。いくら勇夫さんと仲が良くないといっても、旦那さんだもんな。香織さん淋しいだろうなぁ……」
浩司はそんなことをブツブツと言いながら、勇夫が乗る車を目で追った。
「暇だな……。久しぶりに洗車でもするか!」
元々ジッとしているのが苦手な浩司は、いつもやっている家事ではなく、洗車をして気分転換をしようとした。
家の外に出ると、ベランダに居た時よりも外の雰囲気を感じられ、幾分清々しい気分になる。
「す〜……はぁ〜……。あ〜、やっぱり外は気持ちいいなぁ。──うわっ、この間雨が降ったから、泥だらけだ……」
深呼吸した後に自分の車に目をやると、汚れが目立っている事に驚いた浩司。綺麗好きの浩司には耐えられない程の汚れに気合を入れた。
「さぁて、やりますか〜! まずは車体全体に水をぶっ掛ける。砂埃に十分に水分が含んだら、水を掛けながらスポンジで優しく砂埃を落すっと。もう一度水をぶっ掛けて、こんどは洗剤を使って奇麗に洗い、水で泡を流して、またスポンジで水を掛けながら洗剤を奇麗に落す。そして、ワックスにもよるけど、濡れたままでもオーケーな物と水分を拭き取って使用する物がある。僕は面倒だから、濡れたままいけるヤツを優しくボディーに塗って、まずは水気をサッと拭いて、次にワックスが残らないように奇麗に拭き上げれば完成だ!」
浩司は車を一周して輝きを確認し満足している。一人で頷きながら誰もいないガレージで、今度は解説者の如く色指定についての説明を始めた。
「因みに、洗剤やワックスで色指定があるのは、コンパウンドの量が違うからだ。白い車用はコンパウンドは多め。濃い車用は少なめで、淡色やメタリック用はその中間。全色対応というものもあるけど、これはコンパウンドが配合されていないので、不安ならこれにすれば問題無し!」
浩司が車の周りを歩きながらぶつぶつと独り言を呟いていると、ご近所さんが家の前を通り目と目が合った。珍しい物でも見るような不思議な顔をされので苦笑いで返す。
今度は変な目で見られないように口を閉じ、別の事を考えた。
──香織さん、出てこないかな? 『こんにちは! 久しぶりね?』なんて……。いや、前みたいに話そうとはなったけど、今会うとヤバそうだから僕が誘いを断ってるもんな。この間も『浩司のバカ』なんてメッセージが来てたし。僕が見えても出て来る訳ないか……。
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