第42話「完全にぶち切れたぞ」
香織が自分の上に跨っている勇夫を手で押しながら足をバタつかせた。
「うっ! 重たい……。どいて!」
「何でここに居るのが分かったんだって顔してるな! 窓から真琴の泣き声が聞こえたから話分かったんだ! まさかお前が綾音の亭主と出来てやがったとは……この浮気女が! 俺の知らないところでイチャイチャしてやがったのか? 本当にムカツク女だ! 貴様を殴り倒して、俺の胸がスッとしたら帰ってやる! ──おお、怒り狂って忘れるところだったぞ。お前と肉体関係をもった浩司に言っておけ! 俺の嫁を寝取った貴様が慰謝料を払えとな!」
「不倫なんてしてないもん! それは貴方でしょ! い、いやーー!! 助けてー!」
「ハッハッハー、手をどけろ馬鹿女! 今日は平日だ、浩司は仕事だろーが! 誰も助けになんか来るか馬鹿が!」
勇夫が顔を隠す香織の手を退かせて殴り掛かろうとしたその時。
香織に馬乗りになっていた勇夫が突然後ろに引っ張られていく。香織は、いきなり軽くなった体を起して状況を確認した。
「だ、誰だ!」
玄関へと引っ張り落とされた勇夫が、腰を落としたまま興奮気味に振り返り見上げると、そこには浩司の姿があった。
「俺だよ」
仕事で帰って来るはずのない浩司に、驚きを隠せない勇夫。
「んなっ……き、貴様! 仕事はどうした! 香織とイチャつきに帰ってきたのか! 人の嫁を寝取りやがって……よくも抜け抜けと顔を出せたな!」
「はぁ? それはコッチのセリフだ。ここは俺の家だぞ。おっさんこそ良く顔を出せたもんだな。で……おっさんは俺の家で、香織さんに何してんだ?」
「うるさーい! いい加減にその手を離せ!」
勇夫が襟元を握っていた浩司の手を払いながらそう叫んだ。
「つくづくどうしようもないおっさんだな。俺の嫁は寝取るは、自分の元嫁には手を出すは、やってもいない事をやったって言うは……。おっさんは脳みそまで筋肉で出来てるから、常識ってもんが分からないのか? ──完全にぶち切れたぞこの野郎。ここじゃ狭いから、表に出ろよ……ぶち殺してやる!」
「貴様、誰に向かって口を利いてるんだ!」
勇夫の言葉に浩司が半目で勇夫を見下ろす。
「誰? ふんっ……俺と今目が合ってるヤツだよ。カスは馬鹿だから一々訊かないと分からないのか? 表に出る気がないなら、俺が引きずり出してやる」
浩司がそう言いながら勇夫に手を伸ばすと、勇夫がその手を振り払った。
「だ、黙れ! 誰が貴様の手など借りるか! ──いいだろう、表に出てやろうじゃないか。恥をかくのは貴様の方だぞ! 綾音に貴様のことを少し聞いたが、子供のお遊びだな。お前が今まで相手にしてきた奴らと俺とでは次元が違うぞ! そんな
勇夫の言葉に、目を座らせたまま半笑いする浩司。
「お〜、怖い怖い。何を考えてるか分からない奴って、違う意味で怖いな。まぁ、俺がちゃんと分からせてやるから安心しろ。──表に出るんだろ? なら、相手してもらおうじゃないか」
浩司が勇夫にそう言葉を投げ、先に玄関を出た瞬間。
「ぐおっ!」
後ろを向いてる浩司の背中を勇夫が思いっ切り蹴った。
「わっはっはっはっ!! 何だその様は! 粋がるヤツに限って弱いもんだな? わっはっはっは! ──んおっ」
仁王立ちして笑う勇夫の後ろから、香織が体当たりした。
「卑怯よ! 後から蹴るなんて……」
「いてててっ」
声を出し起き上がろうとする浩司に、香織が走り寄った。
「
「ああ、問題ない。香織さんは危ないから下がってて」
香織は浩司の事が心配だったが、浩司に言われた通りに少し離れた所で様子を見守ることにした。手を胸の前で組み、浩司だけを見つめている。
「俺の前でイチャイチャするな!」
「キモいな、おっさん。卑怯な真似しか出来ないおっさんは、黙って下を向いて泣きながら謝れ」
浩司の言葉が気に入らない勇夫が、顔を真っ赤にして立ち上がり上着を脱ぎ捨てた。
「もう許さん!! このクソガキが! 俺の鋼の肉体で粉砕してやる! 大人の喧嘩を教えてやらねば気がすまん!!」
「だから、キモいって……。男の裸なんか見たくないっつうの」
勇夫が両腕を横に上げて握り拳を作ると、肘を曲げて上腕二頭筋に力を入れた。
「この両コブに誓って貴様を倒ーす!!」
「何の漫画の真似だ? 頼むから死んでくれ」
呆れ顔の浩司に向かって、勇夫がパンチを繰り出した。
「一々ムカつくガキだな! 死ね! マッスル右ストレート!!」
筋肉ムキムキの腕から繰り出されたそのパンチを、浩司は顔を右に傾けてアッサリと躱す。
「んなにー!?」
浩司の左肩に乗るように止まっている勇夫の右腕を、浩司が左手で掴んだ。
「これは、長年苦しんだ香織さんの分だ! ふん!!」
浩司の表情が鬼のように一変し、右のアッパーで勇夫のみぞおちを殴った。
「ごはっ! ごほっごほっ、うえ〜〜……」
勇夫がくの字になり、咳き込みながら両膝を着く。土下座をするような格好になった勇夫の髪の毛を浩司が鷲掴みにすると、勇夫の顔が見えるまで頭を上げた。
「綾音と不倫した事は、慰謝料を払えば終わりにしてやる。あんな女はもうどうでもいい。──だがな、
勇夫が泣きそうな顔で言う。
「ごほっごほっ……。そ、そんな……。お、俺の鋼のボディーが全く意味をなさんとは……」
「ん? 俺のは子供のお遊びなんじゃなかったのか? 大人のくせに何も知らないんだな? みぞおちってのはな、ダメージを受けると横隔膜の動きが止まって、呼吸困難に陥るんだよ。オマケに
「俺の自慢の筋肉を無駄筋と言うな! クソっ、貴様は何者なんだ? どこにそんなパワーがある。──し、しかし、香織の事はこっちの話だ。貴様が許す許さないは全く関係がないじゃないか!」
浩司に髪の毛を掴まれている勇夫が、すがるように浩司のズボンを掴んだ。
「ちゃんと聞いとけよおっさん、さっき俺が言っただろうが……。他人の夫婦の事は俺には関係ないけど、おっさんと香織さんは理論上もう夫婦じゃないってな。──良く聞けよ? 香織さんは俺のダチなんだよ。俺はダチが苦しんでるのに、横で笑ってられる性格はしてないんだ。例えダチが全て悪かったとしても、俺はダチを守る。それに、香織さんは全く悪くないだろ? だから、おっさんのやった事は俺にとって許される事じゃないんだよ。──そんなの、当たり前だ。そんな事も分からないのか?」
勇夫は無言で浩司の顔を見ている。
「おっさんに俺の気持ちを分かってもらおうとは思って無いし、話が分かる分からないはどうでもいい。俺が言いたいことは……二度と香織さんに近づくなってことだ!」
勇夫が震えながら声を出した。
「──綾音が言ってた……浩司はヤバいって……。俺はそれを笑っていなしたが、もしかして、今朝来たあのガラの悪い五人組は貴様の差し金か? いきなり俺の店に来て、他のお客を睨んで、店の中を歩き回って無言で帰って行った……あの五人は……」
「ガラの悪い五人組? さぁ……知らないなぁ。朝からそんな事があったんだな。おっさんがガラの悪い奴に変な物件を世話して、恨みでも買ったんじゃないか? だったら、これからもそんな嫌がらせが続くかもな?」
浩司の言葉を聞いて、震えが止まらなくなった勇夫。
「よし。──それじゃあ、最後に俺の分をお見舞いして今日のところは終わりにしようか」
「や、やめて……。け、警察……」
その勇夫の言葉に、浩司が言葉を返した。
「警察警察って、お前らはよっぽど警察が好きなんだな? 先に手を出したのはおっさんだろ? ──ん? なんだよその顔は。今から俺がおっさんを殴る事は正当防衛にはならないって言いたいのか? いいか、よく聞けよ? 俺は怒ってるんだ。法に触れようが、俺が今からおっさんを殴る事は止めない。もしこの先今回の件で警察が俺のところに来ても、おっさんが今日犯した罪をどうこう言うつもりはないから安心しろ。──だけど、その筋肉の脳みそで一つだけ覚えとけ。俺がもし今回の件で警察に捕まる事があったら、俺が使えるもん全部遣って、多方面からおっさんの全てを終わらせてやるから覚悟しとけよ?」
浩司がそう言い終えると、勇夫から言葉は返ってこなかった。浩司は、振り上げた拳に力を入れ、青くなった勇夫の顔面に叩きつける。
「ごぶっ!」
一発で終わる事はなく、二発、三発と浩司の拳が勇夫の顔面に届く度に、勇夫の顔の形が変わっていく。
「おっさん、手が邪魔だ。どけろよ」
「そ、そんな……。勘弁し───」
「どけろ!」
勇夫の言葉を遮るように浩司が怒鳴った。
「は、はひー!」
勇夫が顔の前から手を退けると、浩司が最後の一発をお見舞いした。勇夫は鼻血を吹き出し、顔を手で覆いながら浩司にひれ伏す。
「ずびませんでじた! ゆ、ゆるじで下ざい! い、慰謝料も払いますし、もう、二度と香織には近づぎまぜん!!」
浩司はひれ伏す勇夫を睨み、声を荒らげる。
「香織? 香織さんだろ?」
浩司の声にビクつく勇夫。
「ず、ずいまぜん! か、香織ざんには近づぎまぜん!」
「俺は優しいから教えといてやる。少しでも選択肢を誤ると、おっさんを待ってるのは地獄だ。俺がおっさんを永遠と続く地獄のループにいざなってやる。死んだほうがマシだと思えてくる程の地獄にな……。もちろん、証拠は残さないけどな? それと、俺は気が長いから、慰謝料は早急に頼むぞ?」
浩司が勇夫から目を離し香織に目をやると、軽くウインクした。香織が浩司のその仕草に微笑み小さく頷く。
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