第43話「熱い口づけ」


 浩司が香織から勇夫に視線を戻すと、黙る勇夫に言葉を放った。


「何黙ってんだ? ──そうか、もっとやって欲しいのか。すまんすまん、気が付かなかった」


「い、いや……もう、終わりにしてくらぱい! 申し訳ありまぺんでじた! お、お金はちゃんと早急に払いまずじ、香織ざんにも二度ど近づぎまべん!! け、警察になんでい゛うわげないじゃないですか! もう、あなだ様の前には、がおをだじ……だじまぺん!!」


 頭をじめんに擦り付け謝罪する勇夫に、立ち去るように促す浩司。


「そっか。慰謝料は現金で手渡しで頼む。俺もおっさんの顔は余り見たくないから、それで最後になるだろうな。──手加減してやったんだから立てるだろ? 荷物も積み終わったんなら早く帰れ」


「ばい!」


 勇夫が鼻を手で押さえながら、千鳥足でトラックへと向かった。


「おい! 選択肢を間違うなよ?」


 浩司が勇夫を呼び止めて放った言葉に、勇夫がその場で土下座して頭を下げた。


「ぱい!」


 口が切れて思うように話せない勇夫を、浩司と香織が笑った。勇夫がトラックに乗り込み走り去って行くところを見届けると、浩司は香織の手を引き家の中へ入った。


「わっ!」


 家の中へ入ると、香織が浩司に抱きつく。


浩司こうくんにまた助けてもらったね。浩司こうくんは私の王子様かも……」


 香織はこの言葉を発した後に思った。



 ──わ、私何言ってるんだろ……。こんなこと言っちゃ駄目だって、ずっと我慢してたのに、つい思ってることを声に出しちゃった……。浩司こうくんは、私のこと友達だって言ってたのに。あ〜、嫌われたらどうしよ〜……。



 香織は首から上の体温が急激に上昇し、間違いなく自分の顔が赤くなっている事に恥ずかしさを覚え、浩司に抱きついていた手を離し、顔を隠して下を向いてしまった。


 そんな香織の気持ちを知ってか知らずか、浩司が逆に香織の背中に手を回すと、優しく抱きしめる。


「あっ……」


 浩司に優しく抱きしめられた香織から吐息が漏れた。浩司の胸に顔を埋める格好になった香織の心拍数が上がる。


真琴ま〜くんは大丈夫?」


「う、うん。勇夫が来た時にアニメを見させたの。真琴ま〜くんはアニメを見るとその場から離れないから大丈夫よ」


 外に長く居たので真琴のことを心配した浩司だったが、香織の話を聞いて胸を撫で下ろした。


「なら良かった。──香織さん……女の人は離婚したら半年は再婚出来ないんだろ? だったら、僕と付き合ってくれないかな? 勿論、結婚を前提として。僕は香織さんと真琴ま〜くんを幸せにしてあげたいんだ」


 香織が浩司の胸に埋めていた顔を上げて話し出す。


「まさか浩司こうくんにそんな事を言ってもらえるなんて思ってもみなかったわ。私達は友達のままなのかと……。私が言いたくても言えなかった台詞を言ってくれて……凄く嬉しい。──私からも、お願いします」


 香織がそう返事をした後に、二人は見つめ合った。少し心が落ち着いた香織が笑顔になって話し出す。


浩司こうくんが言ってる再婚出来ない期間のことを待婚期間たいこんきかんって言うんだけどね、昔は六ヶ月だったんだけど、今は百日なの。それにね、その法律自体が撤廃されるのよ。──それともう一つ、私は今妊娠していないから直ぐにでも浩司こうくんと再婚出来るのよ?」


 香織の話を聞いて驚く浩司。


「そうなんだ! だったら直ぐにでも……と思ったけど……香織さんは同棲期間があった方がいい?」


 香織が首を横に振った。


「そんなの要らない。浩司こうくんがいいなら、直ぐにでも結婚したい……」


 香織はそう言いながら、浩司の胸に頭を当てて下を向く。


 浩司は、下を向いている香織の顔を上げると、両手のひらを香織の頬に当てた。


「実は僕も、半年も我慢出来るかなって思ってたんだ。──法律でオッケーなら、今直ぐ二人で離婚届を出しに行って、そのまま婚姻届けを出そう!」


「駄目よ浩司こうくん、婚姻届には証人が二人いるのよ?」


「あっ、そうか。なら、僕の実家に寄って、サインを貰ってから役所に行けばいい! 親も混乱するだろうけど、いつかは話さないといけないから、どうせなら早い方がいい。香織さんの親にも挨拶に行かないと」


 浩司の言葉に香織の顔が緩み涙を流した。その涙を浩司が親指で拭うと、その雰囲気から香織が目を閉じる。


 浩司と香織の唇が徐々に近づき、やがてその距離が0センチに……。熱い口づけは嫌な事を忘れさせ、唇を離した二人の顔は幸せに満ちていた。




 ❑  ❑  ❑




  ─ 新しい八木夫妻 ──




 八木家、滝野家の離婚が成立してから八ヶ月が経過した。


「おい、綾音! この家は何だ? ゴミ屋敷じゃないか!」


「もう、朝から五月蝿いわね……。掃除をしてないんだから、ゴミ屋敷にもなるでしょ」


「お前……何をしれっと言ってるんだ? 掃除をしていないなら、掃除しろ!」


 勇夫の言葉に綾音が髪をくしゃくしゃにしながら言う。


「あんたねぇ、家の事何もしないくせに偉そうに言わないでよ! 少しは動きなさいよね。買い物も行かないし、その筋肉は何のために付いてるの? 全くの無駄筋じゃない! それに何なのよこの家は、中古だし狭いし。あんた社長でしょ? もっとマシな家なかったの?」


「む、無駄筋……何だその口の利き方は! 俺のこの自慢の筋肉が無駄だと? 仕事も後輩に裏切られて首になった挙げ句、友達からも見放された惨めな女のくせに、俺にくらい可愛い女だと思われるようにしろ! 新しい仕事も探さず家でゴロゴロしてる奴が偉そうな口を利くな! それにこの家は、元々お前と遊ぶ為のセカンドハウス的に選んだんだ! そんな高い家を買うわけがないだろうが! お前も分かるだろ? 慰謝料や諸々で金を吐き出したんだ。それに……何故か仕事が減って会社は火の車だ! 新しい家を買う金など無い! ──ハァハァ……よし、分かった。そこまで言うなら明日の土曜日に買い物に付いて行ってやろうじゃないか! その代わり、この家のゴミをどうにかしろよ!」


 綾音がため息を付く。


「何でそんな上から目線なのかしら……。まあいいわ。取り敢えず明日ね。絶対に一緒に買い物に行くんだからね? 分かった?」


 離婚をして二人で幸せを掴んだはずの勇夫と綾音だったが、結果は見るも無惨な新婚生活となっていた……。




 ❑  ❑  ❑




 ─ マチョキンホーム ──




 ──くそっ、あの女……良い女かと思ったが、とんだ食わせ者だったな! チッ、香織の方がよっぽどマシだ! ──そうだ、あんな女とは別れて香織と再婚すればいい。あいつはまだ一人でいるだろうし、俺の話に飛び付いてくるんじゃないか? わっはっはっ。善は急げだ……。



 勇夫が会社の自分の席でそんな事を考え、香織に電話を掛ける為に事務所の外へ出ていく。その姿を仕事をしながら見つめる燐々りんりん


 プルルル……プルルル……


「香織か? 俺だ、勇夫だ!」


 ─『え? な、何で?』


「はっはー! その声は……俺からの電話に喜んでいるようだな?」


 ─『はぁ? 馬鹿言わないで。切るわよ』


「まっ、まま、待ってくれ! じ、実はだな、香織の偉大さ……いや、俺の中での香織が未だに消えないんだ。俺の体が香織を欲してしるんだよ」


 ─『気持ちの悪いこと言わないでよ! この電話があった事、浩司こうくんに言い付けるわよ?』


浩司こうくん……や、ヤツか! 駄目だ駄目だ駄目だ! お前はまだあんなヤツと友達なのか? まぁいい、俺は香織とやり直したい! また連絡する、じゃあな!」


 勇夫が電話を切って事務所に戻ると、建物の陰から燐々りんりんが姿を現した。


「勇夫……私を差し置いて、性懲りもなくまた全妻に復縁の電話を……。小娘と終わりにするなら、次は私でしょ? 私の体を弄んでおいて、私を次のパートナーに選ばないなんて。──どうせ小娘と再婚しても、直ぐに駄目になると思ってたから我慢してたのに。どうあっても私を求めないというなら、こっちにも考えがあるわ……ふふふっ」


 燐々りんりんが鬼の形相で、会社が契約している駐車場へ向かった。

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