第25話「覚醒する意識」


 香織の一段と大きくなった声が浩司の耳に届くと、深い意識の中から突然覚醒した。



 ──うおっ! な、何だこの状況は! ぼ、僕は何をやってるんだ? こ、これはヤバいだろ! こんなの愛なんかじゃない。一時の感情に流されるなんてどうかしてるぞ。香織さんの心の隙を突くようなことをするなんて、自分で自分が情けない。早く手をどけないと。って、あれ? 駄目だ、体が言う事を聞かない。興奮し過ぎて、体が香織さんから離れたくないって言ってる。とにかくこの興奮を早く収めないと……。



 そう考えている間も、言うことを聞かない浩司の体は暴走を楽しんでいる。



 ──どうすれば落ち着く? 何か真逆の事を……そうだ! ぼ、煩悩だ……煩悩の説明をしろ浩司! 煩悩とは……欲望や欲求、執着心などを筆頭に心身を乱し、煩わせる心の働き。仏教では、煩悩は悟りに至る道を妨害する作用でもあると説かれている……。ふぅ〜、訳の分からないことを考えると素に戻れるな。はっ! 落ち着きを取り戻したのはいいけど、この状況はどうすれば……。



 香織は、漏れる吐息と早る鼓動、そして快感を覚えた状態だったが、急に浩司の手が止まった事で少し現実に戻され、浩司の顔に目をやった。



 ──はぁっ、あっ、こんなの、初めて。嫌な事が全部飛んでいっちゃう。こ、浩司こうくんの手が……止まった。浩司こうくんはこんな事してちゃ駄目だって思ってるのね。私も駄目なのは分かってるんだけど……。こんな状態じゃ浩司こうくんに逃げたくなっちゃう……。駄目よ香織! 泣き言なんて言ってないでしっかりしなきゃ。浩司こうくんに迷惑を掛けてどうするのよ。もうこれ以上求めては駄目……。



 お互いの意識が覚醒すると、お互いが心の中で相手を気遣っていた。


 すると、浩司が固く目を瞑り、ブレーキの効きを取り戻した体に命令し、右手を香織の太腿から離脱させた。そして、本来なら言いたくもない言葉を無理やり口にする。


「か、香織さん! このままだと、僕は貴方を襲っちゃいそうです! でも、そんな事は絶対に許されない。これは、いい切っ掛けだと思います。一旦お互いの間に線を引きましょう。僕は香織さんに失礼な事はしたくない。それと、これ以上自分の気持ちを抑えることが出来そうもないので、変な事をしてしまう前に、すいませんが失礼しまっす!」


浩司こうくん! 待って!」


 浩司は香織の呼び掛けにも振り向く事なく玄関へと急ぎ、靴をいい加減に履いて八木家を後にした。


 走って行く浩司の背中を見ていた香織は思った。



 ──こんな感じで離れちゃったら、次会いづらいよ……。私が誘ったから余計に恥ずかしいし……。それに線を引くって、会わないようにするって事だよね? あ〜、私が変な気持ちになっちゃったせいで、変な方向に行っちゃったじゃない! 私の馬鹿馬鹿!



 香織の気持ちもいざ知らず、八木家を飛び出した浩司が息を大きく吸い言葉を吐いた。


「あー!! 辛い! これは辛いぞ!」


 浩司の叫び声が夜の住宅街に溶け込んでいく。




 ❑  ❑  ❑




 ─ 滝野家 ──





 浩司が真琴を連れて家を出た後、勇夫と綾音が顔を見合いニンマリと笑った。


「時間はあまり無いぞ!」


「ええ、分かってるわ。上に行きましょう」


 綾音が勇夫を先導し、二階への階段を駆け上がると、綾音の後から付いていく勇夫がいきなり叫んだ。


「綾音! 玄関の鍵はどうする?」


 綾音は足を止める事なく言葉を返した。


「閉めると逆に怪しいから、開けたままにしておきましょう」


 綾音の返事を聞いた勇夫が、足を止めて呟く。

 

「開けたまま……バレる可能性があるという事か……」


 呟き終わると、瞬時に二階の方へ視線を上げてダッシュしながら叫んだ。


「これはなかなかのシチュエーションじゃないか! 燃えてきたぞ!!」


 勇夫が二階へ辿り着くと部屋に入る綾音が目に入り、狼のような顔で後を追った。


 浩司と綾音の寝室に入って来た綾音は、後ろで叫ぶ勇夫の声に興奮を覚えていた。


「服は着たままの方が安全よね。下だけ脱いでここに隠しとこ」


 綾音はスカートの下に履く下着を脱ぎ、ベッドの下へ放り投げた。そこへ、勇夫が到着する。


「ここは……君達の寝室か! 他人の夫婦のベッドでセックスとは! 何たるシチュエーションだ! 長く楽しめないのは残念だが、大きな火を一瞬で灯して直ぐに消すのも悪くない! 行くぞ、綾音!!」


 勇夫が叫び終わると、ズボンを脱ぎ去り綾音をベッドに押し倒した。


「きゃっ!」


 綾音の唇を奪い、舌を雑に絡めると、右手はスカートの中へ。


「あぁっ! あんっ!」


 綾音もお返しとばかりに、勇夫の下着の中へ手を入れる。


「ほぅっ!」


 粘り気のある音が一時部屋に響き、鼻息の荒くなった勇夫が言う。


「もう出来るだろ!」


「ええ、十分よ。私、凄く興奮してる。こんなの初めて……」


 二人は合体すると、幾度もトランスフォーメーションを繰り返し、やがて雄叫びを上げた後に解体した。


「ハァハァッ、燃え尽きた!」


「一回がこんなに短くて濃いのは初めてよ……。 はぁはぁ……また、味わえるかしら?」


「どうかな? ハァハァ……こんな、シチュエーションは、二度とないかもしれんな!」


 二人は息を切らせたままベッドから立ち上がり、汗を拭い衣服を整えた。その時、窓の外から言葉は聞き取れないが、誰かが叫ぶ声が聞こえてくる。


「なんだ? この住宅街に馬鹿でもいるのか?」


「いやね、馬鹿は。──でも私、筋肉バカは、ス・キ!」


 綾音が勇夫にもたれ掛かりキスをした。


「ンン……」


「綾音ー、どこだぁ〜!」


 いきなりの浩司の声に飛び上がる程驚く二人。


 驚きのあまりバランスを崩した綾音が、もたれていた勇夫に全体重を預ける格好になり、足を滑らせた勇夫が壁に派手にぶつかった。


 一階に居た浩司が、二階から聞こえる大きな音に驚き、階段を駆け上がった。


「綾音! どうしたんだ!」


 大きな声を上げて、音が聞こえた部屋のドアを勢いよく開けた浩司が目にしたのは、壁に向かって逆立ちをしている勇夫だった。


「え……えぇー!?」


 間違いない反応を見せる浩司。


「こんな所で、な、何をやってるんですか?」


 これも当たり前の反応だ。自分の家の夫婦の寝室で、隣の家の主人が逆立ちをしている。驚かない方が可怪しいというもの。


 勇夫が逆立ちを止めて大笑いする。


「ハッハッハッハッ! 綾音ちゃんに家を見せてもらってたんだが、急に筋トレがしたくなってな! 大きな音を出してしまった! すまんすまん!」


 浩司は勇夫の話を聞いて、この人ならありがちだなと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る