第23話「感情のコントロール」


 表情を曇らせ明らかに暗くなっている香織に、皆の前ということで優しい声も掛けられず、香織に罵声を浴びせる勇夫にも何も言えなかった浩司は、出せない声を心の中で出した。



 ──くそっ、僕が香織さんをかばってやらないといけないのに、勇夫さんの手前何も言えない……。綾音も自分が皿を落としたくせに何で黙ってるんだ? それに、二人して香織さんに家に帰れって……そんなこと言うか? あ〜腹が立つなー!



 この場にいると感情が顔に現れそうで、折角仲良くなったお隣さんとの仲がこじれてしまうと思った浩司は、汚れたマットを抱えて香織の居なくなったリビングを離れ、足早に洗面所へ向かった。


 洗面所に着くなり浩司は汚れたマットを洗濯機に投げるように放り込むと、顔を洗い心を落ち着かせている。


「はぁ〜、落ち着け浩司。とにかく感情のコントロールをしないと……香織さんの気持ちを分かってやれるのは僕だけなんだ。香織さんが我慢してるのに、僕が苛々したってしょうがないだろ……。香織さんは勇夫さんと上手くいってないように言ってたけど、綾音は勇夫さんと仲良くなって、僕が香織さんを庇うように勇夫さんを庇ってるのかな? 立ち位置によって見る目も変わるように善悪も変わる。それは分かってるけど……。ん? 待てよ……冷静に考えてみれば綾音と勇夫さんって似てるよなぁ。いやいや、今はそんな事どうでもいいか。──よし、もう大丈夫だ。ぶつぶつ言ってたら落ち着いた。顔に出さないように気を付けないとな」


 鏡に映る自分を見ながら声に出す事で、暗示を掛けるような効果があった。心も落ち着きを取り戻し、表情も元に戻ったことを確認してリビングへと戻る浩司。


 浩司がリビングへと歩いていると、真琴の泣き声が聞こえてきた。その泣き声に混ざって勇夫と綾音の話し声も聞こえる。


「ちっ、男のくせにビービーとよく泣くヤツだな……」


「子供って面倒臭いですよね?」


「だろ? 俺達気が合うな!」


「ですよね!」


 勇夫と綾音の話を廊下で立ち止まり聞いていた浩司が、これ以上二人の話を聞くのはダルいと思い、声を出しながらリビングに入る。


「あれ? 香織さん、真琴ま〜くんを連れて帰らなかったんですか?」


 浩司は表情に気を付けながら、とぼけてそう言った。


「そうなのよ。なんだかしょんぼりして帰っちゃったわ。真琴君を置き去りにして」


「ふん、香織が悪いんだから放っておけばいい!」


 浩司は二人の言葉を聞いて、自分の顔が引きっている事に気付き、二人に顔が見えないように真琴に近づいた。


真琴ま〜くん、ど〜ちた? 浩司こうくんだぞ。──ほら、抱っこだ」


「ぐすっ……こ〜くん、ママは?」


「ママはお家に帰ったんだって」


「ま〜くんも、かえる!」


 真琴が帰ると言った事で、浩司は考えた。



 ──そうだ! 僕が真琴ま〜くんを連れて行くって言えば、香織さんに会って話せるし、この場に居なくても済むぞ。よ〜し、さりげな〜くさりげな〜く。



 浩司は二人に顔を向けず、真琴の頬の涙を拭いながら言葉した。


「勇夫さん、僕が真琴ま〜くんを香織さんのとこへ連れて行きましょうか?」


「おお! そうしてくれれば助かる! 香織のやつ、しょんぼりしながらもムスッとした顔で出て行ったから、インターホンを鳴らしても出て来ないかもしれんな。それじゃあ浩司君も困るだろ……鍵を渡しておく。──次いでに話でも聞いてやってくれ。出来るだけ時間を掛けてゆっくりと話せば、香織の機嫌も直るだろ。帰った時に煩いのは敵わんからな! それじゃあ後は頼んだぞ!」


 浩司は精一杯の笑顔で鍵を受け取り、真琴を抱いたまま家を出た。




 ❑  ❑  ❑




 ─ 八木家 ──





 浩司は八木家の玄関に着くと、勇夫に渡された鍵を使って家の中に入った。


「失礼しま〜す……あれ? 香織さん一階にいないのかな?」


 ドアの鍵を閉め靴を脱いで廊下を歩いていると、リビングの向こうのドアが開き香織が出てきた。


「あっ、香織さ───」


「えっ!?」


 浩司も香織も、口を開けたまま固まった。


 二人が固まった理由。それは、出て来た香織が、上はニットを着ていたが下はカレーの付いたズボンを脱いでおり、下着姿で廊下に出てきたからである。


「きゃー!」


「す、すいません!!」


 浩司は謝りながら、空いている右手で目を覆って後ろを向いた。


 香織は洗面所に体を隠し、顔だけを出して浩司に話し掛ける。


「な、何で浩司こうくんがここにいるの?」


 香織の問い掛けに、後ろ向きで答える浩司。


「あ、あの〜、真琴ま〜くんが泣き出してですね、僕は香織さんが心配だったので、真琴ま〜くんを僕が連れて行くと言ってここに来た次第です……」


 香織は浩司の言葉を聞き、嬉しさのあまり洗面所から飛び出し浩司の背中に抱きついた。


「うわっ!」


「ありがと、浩司こうくん


 浩司は、香織の優しい声と柔らかな感触、それに下着姿の香織を見ていたので、興奮を抑えるのに必死になっていた。


「い、いえ……そんな事より、真琴ま〜くん眠そうなんですけど、どうしましょうか?」


 浩司が真琴を抱いていた事をすっかり忘れていた香織。


「やだ、私ったら真琴ま〜くんのこと忘れてた……。浩司こうくん真琴ま〜くんの抱っこ代わるね」


 香織がそう言って浩司の前に回った。


「わ〜! か、香織さん。駄目ですよ!」


「駄目? 駄目って何が?」


「ず、ず、ズボンか何か履かないと……」


 浩司の言葉に目を下に向ける香織。


「きゃっ!」


 香織は慌ててニットを下に引っ張り、下着を隠したが、今度はニットを引っ張り過ぎて胸がチラリと見えた。


「か、香織さん……。む、胸が……」


 ニットの胸元が引っ張られ、胸元が見えていることに気付いた香織がしゃがみ込む。


「いや〜ん、浩司こうくんに見られちゃった」


「僕、目を閉じておきますんで! 着替えに行って下さい!」


「うん、ごめんね」


 香織は急いで自室に着替えに行きながら思う。



 ──何コレ? 裸を見られた訳じゃないのに、凄く恥ずかしい……。



 手早くズボンを履くと、浩司の下へと急いだ。


「もう大丈夫よ……ごめんね浩司こうくん。あ〜、真琴ま〜くん寝ちゃったんだ」


「みたいですね」


真琴ま〜くん寝かせてくるから、リビングで待っててくれる?」


「はい」


 香織は浩司から真琴を預かると、二階の子供部屋へ向かった。その様子を見守る浩司が。



 ──香織さん短パンだ。綺麗な脚だなぁ……。階段を登ってる後ろ姿が……ごくっ……色気が半端ない。さっき下着姿を見たから余計に魅入っちゃうよ……。



「いやいや、見てちゃ駄目だろ……リビングに行こ……」


 浩司はリビングにあるソファに腰を下ろし、「落ち着け落ち着け」と口にしながら香織を待った。

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