第5話「出会い 後編」



 ─ 浩司視点 ──





 翌日、営業の仕事で外回りをしていた浩司は、昨日の綾音との楽しかった一時を思い出していた。話したくても前日の連絡先訊き忘れ事件のせいで話せない。その事実に、肩を落としながら歩いている。


「冷た! え、雨? 今日は降らない筈じゃなかったのかよ……」


 気付けば暗くなっていた空を眺めると、雨の降り始めの小さな粒が顔に掛かった。小さな粒は次第に大きくなり、激しさを増していく。突然の雨に遭遇した浩司は、近くにあった自転車置き場へ走り、雨宿りをすることにした。


 「はぁ……付いてない時はこんなもんだよなぁ。──綾音……何してるんだろ?」


 自転車置き場から空を見上げそう呟いた。


 落ちてくる雨粒を見ながら薄っすらと濡れた服を拭っていると、後の建物の一階がガラス張りになっていることに気付く。


 何て事は無いよく見るただのガラス張り。特段気になる所はなかったが何気に振り返ってみると、大きなガラスに白色のステッカーでヤッセスポーツジムと文字が貼られており、中にランニングマシンが数台並んでいるのが見えた。


 平日の昼過ぎだからか、中にはあまり人気ひとけがないようだ。


 浩司はジムに興味がある訳でもなかったが、何故かランニングマシン以外にどんな器具があるのか気になった。少し離れている建物のガラス越しのジムの中を目を凝らして見ていると、中にいる女性と思われる人と目が合った気がしたので焦点を合わせた。


「あれ? あのベンチに座ってる人、見覚えがあるような……少し遠くて見えずら……えっ……あっ! 綾音じゃないか!」


 その女性がガラスの方に近寄って来たことで顔がハッキリと見えた。間違いなく綾音だと確信する浩司。ガラスの向こうでも綾音が浩司に気付いたのだろう、大きく開けた口許に手を当てて浩司を指差している。




 ❑  ❑  ❑




 ─ 綾音視点 ──



 綾音はトレーニング器具の調整をしながら、浩司の連絡先を訊きそびれた事に落ち込んでいた。調整を終え溜息ためいきを連発しながら歩いていると、足も重たく感じ全くやる気が出ない。


 重い足を動かすのを止めてベンチに腰を下ろすと、ガラスに打ちつける雨に気付いた。ガラスの向こうでは傘をささずに走っている人がちらほら見え、次第に大粒になって降る雨に気を取られた綾音は、仕事をすることも忘れ雨に見入っていた。


「今日の朝の天気予報で、雨が降るなんて言ってたかしら?」


 ジムにはまだ人も疎らで少しくらい仕事をさぼっても平気だろうと思った綾音は、暫し雨が降る外を眺めていた。


 すると、建物の前にある自転車置き場に人影が見えた。その時は雨宿りをしているのだろうと思ったくらいで、一旦視線を外したのだが、自転車置き場に立つその人が、此方を覗き見るように見ていた気がしたので、もう一度視線を戻しその人を凝視した。


「ん〜? あの人ってこっちを見てる? あれって、知ってる人かな? えっ?! もしかして、こ、浩司じゃない?」


 綾音はベンチから立ち上がり、ガラスに近寄ると、大きく開けた口許に手を当て浩司を指差した。




 ❑  ❑  ❑




 さっきまでは心の中にまで雨が降っていた浩司だが、綾音の顔を見た途端に心の雨は止み快晴となる。現実に降る雨と心の中の快晴にギャップを感じながら、奥に消えて行った綾音を待った。



 綾音は重たかった筈の足がいきなり軽くなり、早く浩司の元へ行こうと跳ぶように外へ向かう。大粒の雨が降っている事など頭には無かった。



 またしても偶然出会った二人。



 浩司が外で綾音を待ち、綾音は浩司がいる方へと足を急がせる。

 互いの存在に気付いてから、時間にして十数秒後。建物の出入口から姿を現した綾音に、少し離れた所にいる浩司が声を張った。


「や、やあ! ──仕事で歩いてたら雨が降ってきて、ここで雨宿りしてたらガラス張りになってる後ろが気になってさ……」


「そ、そうなんだ……。あのね、私、昨日……」


 綾音は浩司に、連絡先を訊いていなかった事を言おうとしたが、途中で息を飲み込み両手でTシャツの裾を固く握り口をつぐんだ。


 そのまま見つめ合う二人。


 すると、自転車置き場にいた浩司が、雨も構わず綾音のいる建物の出入口まで走った。浩司が綾音の前に立つと、濡れた頭や服などお構い無しに話し始める。


「──僕さぁ、まさか綾音と連絡先の交換をしてなかったなんて、思いもしなくて。昨日家に帰ってから何てヘマをしたんだと落ち込んでたんだ。──それで、ですね……あの〜、連絡先の交換を……したいんだけど、訊いていいかな?」


 浩司が話し終わると、綾音が首元に掛けてあったタオルを外し、浩司の濡れた頭や服を拭きながら安堵の表情を浮かべ口を開いた。


「こんなに直ぐに、また浩司と話が出来るなんて。嬉しくて泣きそうになってきた……。実は私も同じ気持ちだったの。もう会えなかったらどうしようって、昨日の晩から落ち込んでて……。また偶然会えたのに、浩司が私のことをどう思ってるか分からなかったから、私から連絡先を訊いて教えてもらえなかったらどうしよう……って悩んでたの。そしたら、浩司が先に私の連絡先を訊いてくれたから、すっごく嬉しい。──あの、ス、スマホを取ってくるから少しだけ待ってて。どこにも行っちゃ駄目だからね!」


 綾音が走って建物に入って行くと、浩司は雨を降らす雲を見上げ、今日この時この場所で雨を降らせてくれた事に感謝した。


 その数秒後、スマホを片手に笑顔で戻って来る綾音。


 今度は間違いなく連絡先を交換した二人だが、お互いに仕事中だったのでその日はそこで、スマホを握った手を振って別れた。


 その日の仕事終りから始まったスマホでのやり取り。お疲れ! と打つと、今何してる? と返ってくる。既読になるまでソワソワしたり、一度打った文を消して打ち直したり、ハートの絵文字を入れるか入れないかで悩んだり……。


 はたまた夜中に電話をしたり、仕事中にメールをしたり、チャットアプリで楽しんだり、ディナーの約束をしたり、会ってデートを楽しんだり……。


 そして一月後。お互いに一人暮らしをしていたので、綾音の部屋を解約時して、浩司の借りている部屋で同棲を始めた。そこからまた数ヶ月が経ったある日、二人で海の見える遊歩道を夕日を背にして歩いていると、浩司がいきなり立ち止まり、片膝を付いて綾音に言葉した。


綾音あやねん! ぼ、僕と……け、けけ、結婚して下さい!!」


 急な出来事に驚く綾音だったが、その言葉に薄っすらと涙を浮かべると頬が夕日に照らされたせいか朱色に染まっていく。そして、声を震わせながら即答した。


「もっと、早く言ってよ……ずっと、ずっと待ってたんだから!」


 綾音の返事に浩司が立ち上がると、綾音が浩司に飛び付いた。浩司が綾音の背中に手を回し、その勢いのまま一回転する。二人は虚ろな目で見つめ合うと、その場で力強く抱き合い、熱い口づけを交わした。



 初々しく始まったお付き合い。付き合い始めた頃はスマホで話す事が多かったが、無理にでも時間を作り、会う回数が段々と増えていき、いつしか同棲するようになり、愛を確信した二人は早々と結婚するに至った。

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