第21話「突き進む者と、思いとどまる者」



─ ヤッセスポーツジム ──





 勇夫の手を引く綾音かジムに入るドアを開け、勇夫を中へ招き入れた。


 勇夫は中へ入るとロッカールームへと足を進め、着替えを済ませて綾音のところへやって来る。


「綾音ちゃん、今日も宜しく頼むぞ!」


「はい、勇夫さん!」


 この日、ジムの営業時間が終わるまで筋トレにいそしんでいた勇夫。勿論、筋トレ途中に綾音とのボディタッチや隠れてのキス等を繰り返し楽しみながら時を過ごしていた。


 営業時間終了が近づき、スタッフに退出を求められると、綾音に声を掛けた。


「綾音ちゃん、この後時間あるか?」


 その問い掛けに、綾音が満面の笑みで答える。


「いくらでも!」


 帰る用意を済ませジムから出る二人。二人が道路脇に並んで立っていると、後から声が掛かる。


「先輩、お疲れ様でした」


 綾音に声を掛けたのは、綾音の後輩の岩井美香いわいみか


「美香ちゃんもお疲れ様」


 美香はチラリと勇夫に目をやると、二人に頭を下げて帰路についた。


「それじゃあ行こうか!」


「ええ」


 勇夫が颯爽と右手を高く上げ、タクシーを止めると、二人は辺りを気にすることもなくタクシーに乗り込んだ。


「ドア閉めますよ。──どちらまで?」


 運転手の声が車内に響く。


「街外れのホテル街まで頼む!」


 運転手が勇夫の言葉に軽く頷き、車を発進させた。タクシーの中では、綾音が勇夫の手を取り、握った手の指を勇夫が撫でている。


「どうすれば綾音ちゃんと二人で過ごせるか考えたが、やっぱりこれが一番手っ取り早いな!」


「そうですよ。あれこれ考えて相手を欺こうとすると、余計にバレちゃうもの」


「香織には仕事だと言えばバレないけどな!」


「浩司も、適当に嘘を言っとけば疑わないから楽勝ですよ」


「俺達はもう戻れない……というか、これは……愛、だな」


「ええ……私も、これが本当の愛……だと思います」


 二人が顔を見合い、笑い出す。


「わっはっはっは!」

「きゃははは!」


 街から少し離れたホテルが立ち並ぶ通り。一際目立つホテルの前でタクシーを止めるように指示した勇夫。止まったタクシーから出てきた勇夫と綾音は、躊躇なくホテルに入って行った。



 ❑  ❑  ❑



 勇夫と綾音を降ろしたタクシーの運転手が、勇夫と綾音がホテルに入って行くところを見届けると、スマホを手に取りどこかに電話を掛けた。


 プルルルル…… プルルルル……


「あっ、お疲れ様です」


 ─『上手くいった?』


「はい。動画もバッチリです」


 ─『ご苦労様。残りの報酬は直ぐに振り込むわ。また宜しくね』


「へへっ、ありがとうございます」



 ❑  ❑  ❑



 数時間後、ホテルから出て来た勇夫と綾音は腕を組み笑顔で顔を見合っている。


 勇夫は、その日から足繁く綾音のいるジムに通い、二人の仲は深まっていく。




 ❑  ❑  ❑




 ─ 営業車の中 ──




 浩司は香織と真琴を迎えに行く為に、営業車を走らせていた。


「また赤信号だよ。早く青になれ〜」


 中々青にならない信号に、ハンドルを指でコンコンと叩きながら独り言を呟く。法定速度を守りながらも、最短で行ける道を選択し先を急いだ。あと少しで香織の家の前というところで浩司の視界に入ったのは、真琴を抱く香織だった。


 浩司は家の前で自分を待つ香織の姿を見て心が弾んだ。


「あっ、香織さんだ! 家の中で待っててくれればいいのに。僕が待ち遠しかったのかな? ははっ、まさかそんな事ないか」




 ❑  ❑  ❑




 ─ 八木家の前 ──





 香織は真琴を抱っこし、「迎えに行く」と言った浩司を、家の前でまだかまだかと待っていた。


 右を見たり左を見たりしていると、視線の先に一台の車が見え、その車を凝視する。



 ──んん? あれは浩司こうくんかな? 時間的にきっと浩司こうくんだわ!


 

 そう思った香織が、此方に向かって走ってくる車に大きく手を振ると、その車が窓を開けながら香織の横で止まった。


「香織さん、お待たせしました!」


 車の中から浩司がそう言葉を発すると、車から降りて香織の前に立つ。


「ありがとね、浩司こうくん


「こ〜うくん! こ〜うくんだぁ〜」


 真琴が浩司の顔を見た途端に嬉しそうに叫び、そんな真琴の頬をプニプニと触る浩司。


真琴ま〜くんこんにちは! はい、これあげる」


 浩司が、手に持っていた玩具を真琴に手渡した。


「わ〜! ブーブーだぁ〜」


 浩司が真琴に渡したのはミニカーだ。


「あん、真琴ま〜くんにプレゼントまで……ありがとう浩司こうくん


「いえ、僕がしたいだけなんで。お菓子にしようかと思ったんですけど、今からお昼なのにお菓子はまずいかなと……。ミニカー嬉しそうで良かったです。さ、乗って下さい」


 浩司がそう口にしながら後ろのドアを開けたことに、香織は罰が悪いなと思いながらも浩司に言った。


浩司こうくん、私の車で行きましょ。この車だと真琴ま〜くん乗せられないから……」


「え?」


 人を乗せる車に、真琴を乗せられないと言われて訝しげな顔をしている浩司に、香織はその意味を説明する。


「あのね、子供を車に乗せる時にはチャイルドシートがいるのよ」


「あっ、そうなんですか! すいません、全然知らなくて……」


 香織は笑顔を作り、浩司の肩を軽く叩いた。


浩司こうくんはまだ子供がいないから、知らなくて当然よ」


「そう……ですよね。──じゃあ車、お願いします」


 少し悲しげな顔をしている浩司。



 ──私、いらないこと言ったよね? あ〜、やっちゃった……。浩司こうくんは子供が好きだけど、綾音ちゃんが子供が好きじゃないんだったわ。私があんなコト言ったから、浩司こうくん悲しそうな顔してる……。私のバカ! 何とか元気になってもらわないと……。



 香織は浩司が来る前から自分の車に荷物を積んでいた。浩司が運転してくる車にはチャイルドシートが無いと分かっていたからだ。浩司を見ながら香織が保有する車に乗り換え、ランチに出発する。


 香織はずっと浩司の表情を気にして見ていたが、寂しそうな顔をしていたのは一瞬で、その後は終始笑っていた。その事に胸を撫で下ろし、その後はランチを楽しんだ。


 楽しい時間はあっという間に終わり、お腹が膨れた三人は、香織の家に帰宅することに。



 ❑  ❑  ❑



 ─ 八木家 ──




 香織の家に到着すると、浩司は早速約束していた仕事を始めた。香織が契約していた前のプロバイダーの解約からルーターの設置、ネットの構築やWi-Fiの設定などを手際良く済ませていく。


 リビングのローテーブルに置かれているノートパソコンを操作していた浩司が、ノートパソコンの前を離れ、席を隣に移動して香織にノートパソコンの前に座るように促した。


「香織さん、設定終わったのでここに座ってパソコンとスマホを操作してみて下さい」


 香織の腕の中で寝ていた真琴を隅に敷いてあるラグに寝かせて、浩司の隣に座る香織。


「じゃあやってみるね……わっ、速い! これならストレスなくネット出来る。浩司こうくんの前に設定に来てた人はもっと時間が掛かってたのに……浩司こうくんって凄いのね。──何から何までありがとうございます!」


「止めて下さいよ、そんな他人行儀な言い方。なんか淋しいじゃないですか……」


 香織が、横に座る浩司の顔を覗き込んだ。


「お客さんになりきって言ってみたんだけど、そんなに淋しかった?」


 香織と浩司の顔の距離がグッと近くなる。


 ピンポーン♪


「もう〜……こんな時に誰かしら? 浩司こうくんちょっと待っててね」


 香織がインターホンで対応し、玄関へと向かった。そんな香織の後ろ姿を目で追いながら、浩司は思う。



 ──い、今のはヤバかった……。香織さん美人すぎるんだよな。あんな綺麗な顔で近寄って来られたら、男なら誰でも落とされるよ。って、僕は何を言ってるんだろう……。お隣の奥さんの事を気に入るなんて、絶対に駄目だよな。綾音あやねんは筋トレの指導で勇夫さんと仲良くなったけど、僕は香織さんと話がしたくて会ってるんだから、これって浮気になっちゃうのかな? 子供の事とか、お互いに筋トレの話が嫌いだとか、話が合いすぎて一緒に居て楽し過ぎるのがいけない気が……。綾音あやねんもなんだか最近冷たい気がするし……。このまま香織さんと会ってたら、本当にヤバいかも……。



 配達員から荷物を受け取り、リビングへ戻りながら香織は思った。



 ──さっきの浩司こうくん格好良かったな……。自分から近づいたのに、ドキドキしちゃった。でも、これを続けてたら、浮気……になっちゃうかな? 私達は会いたいから会ってるみたいなもんだもんね。勇夫のことをちゃんと考えないとヤバい、よね? こういう関係は止めたほうがいいの? あ〜ん、どうしよう……。心が苦しいよ。



「ごめんね、浩司こうくん。宅配便だったわ。──でも、こんな物買った覚えないんだけどなぁ……。ん? これって、宛名が書いてないわね?」


 香織がダンボールに貼ってある伝票に目を通しながらリビングに戻ってきた。浩司は、怪訝な顔をしてそう話す香織の事は大して気に掛けずに、目を泳がせている。


「か、香織さん。僕……そろそろ会社に戻らないといけないんですよ。だから、また何か分からない事があったら連絡して下さい」


「あっ……そう、なんだ。つまんないな……」


「えっ?」


「ん〜ん、何でもない。今日はご馳走様でした。玄関まで送るね」


 淋しそうな顔をする香織を残して、浩司は八木家を後にした。

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