第18話「不穏な空気」



 ─ 八木家リビング ──





真琴ま〜くん! お腹空いたかな?」


 いきなり泣き出した真琴をあやす浩司。


 そこへ、二階から下りて来た香織が真琴に声を掛ける。


真琴ま〜くん! どうちたの?」


 浩司から真琴を受け取った香織が、浩司に礼を言った。


浩司こうくんありがとね」


「いえ。真琴ま〜くんが泣き出したんですけど、僕何も出来なくて……。コップでも片付けときますね」


 浩司は、真琴をあやすことが出来ず、少し落ち込みながら思った。



 ──はぁ〜、子供が好きだったら何でも出来ると思ってたけど、実際の子育ては大変そうだよな。僕なんか面倒を見る事すら出来ないのに、香織さんは家事も育児も妥協せずやってるなんて凄いよな。何でもそうだけど、好きだけではどうにもならない。仮に、俺に子供が出来たとして、ちゃんとしたお父さんになれるのか? まぁ、こんな事考えるだけ無駄か。香織さんを見てたら大変そうだけど、やっぱり子供ほしいなぁ……。



 その後片付けも終わり、真琴の機嫌も良くなった頃に勇夫と綾音が二階から下りて来た。無言の勇夫に浩司が話し掛ける。


「やっと下りて来た。勇夫さんって、本当に筋トレ好きなんですね。疲れませんか?」


「はっはっはっ! 鍛え方が違うからな! オーバーワークも何のその……だ」


 勇夫の話を聞いて、浩司が苦笑いしている。すると、綾音が香織に申し訳無さそうに言葉した。


「あの〜、香織さん。私、片付けもしなくて、すいません……」


「いいのよそんなの。勇夫の相手の方がしんどいだろうしね」


 この時香織は、服の胸元を握りながら思った。



 ──あんなことを勇夫にさせられてごめんねなんて、浩司こうくんの前で言えないもんね。綾音ちゃんは家に帰ってから浩司こうくんに言うのかしら? なんかあまり嫌そうには見えなかったけど、ジムではあんな格好当たり前なのかしら? 私は嫌だな。例え知ってる男の人でも、あんな所に乗るなんて……。いや、浩司こうくんなら嫌じゃないかも?



 香織の心配をよそに、勇夫と綾音は何もなかったかのように黙って座った。


 そんな二人を見て、変な空気を感じた浩司が心で思う。



 ──あれ? この二人何かあったのかな? 好きな事してきた筈なのによそよそしいと言うか、なんか変な雰囲気を感じる……。気のせいなのか、流石に疲れたのか?



 浩司はなんだか居心地が悪くなり、綾音に声を掛けた。


「座ったところ悪いけど、真琴ま〜くんも寝ないといけないし、もう遅いからそろそろ帰ろうか」


 浩司の言葉に綾音が黙って頷く。


「浩司君! 俺が居なくても、何時でも真琴に会いに来てやってくれ! 真琴が、浩司君がいない時でも『こ〜うくん、くる?』って言ってるんだ。香織も助かるだろうし、君も子供が好きなんだろ? なんならどこかに連れて行ってもいいぞ。浩司君なら安心だからな。まあ、宜しく頼む!」


 まさかの勇夫の言葉に、浩司が笑顔で応える。


「わ、分かりました! 実は今日も、勇夫さんがいないのにって気を使ってたんですよ。勇夫さんがそう言ってくれるなら、気を使わずに遊びにきますね!」


 勇夫が笑いながら頷き思った。



 ──我ながら上手いこと言ったな。これで、香織と真琴を怪しまれずに浩司君に任せられる。その隙に俺と綾音は……。



 勇夫が横でそんな事を考えているとはつゆ知らず、香織が真琴の手を持って『バイバイ』と声に出しながら振っている。


 その様子を見た綾音が、首を傾げながら香織に話し掛けた。


「香織さん、そのスカートに付いてるクリップ何ですか?」


「ああ、コレね。どこかで引っ掛けたみたいで、破れちゃったのよ」


「そうなんですか〜、可愛いスカートなのに……。気を付けて下さいね」


「うん。ありがとう」


 香織のありがとうに綾音が笑顔で返した。そして、玄関の方へ振り向くと瞬時に笑顔を解き、すました目で右の口角を上げる。


真琴ま〜くん、ばいば〜い!」


 浩司が真琴に掛けた声に、反応する真琴。


「こ〜うくん、ばば〜い」


「ふふっ、浩司こうくんまたね! 綾音ちゃんもお疲れ様!」


 綾音が笑顔を作り直してもう一度振り返り、香織に一礼して二人は八木家を後にした。




 ❑  ❑  ❑




 ─ 二人が帰った後の八木家 ──





 何時もより遅くなった真琴のお風呂を、疲れたにも関わらず文句も言わずに一人で終わらせた香織。真琴を寝かせリビングに戻ると、勇夫が風呂から上がってきていた。後片付けは浩司が終わらせていたので、後は寝るだけ。


 用事を終わらせた香織がソファに座る勇夫の隣に座り、トレーニング部屋での事を話した。


「ねぇ、今日のあれはないんじゃない?」


「ん? あれってなんだ。──あー、綾音ちゃんが俺の上に乗ってた事か? まだ言ってるのか。もしかして、嫉妬してるのか?」


 香織が呆れて笑った。


「やめてよ、そんな訳ないでしょ?」


「じゃあ、何でそこまでしつこく言ってくるんだ?」


 香織がため息を付く。


「なんでって、私が同じ事を浩司こうくんにしてたらどう思う?」


 香織の質問に、勇夫が顎に手を当てて考える。



 ──同じ事と言われてもな……。を香織と浩司君がしてたら、俺はどう思うんだ? う〜ん……駄目だ、今の俺ならその状況を喜んで受け入れてしまうかもしれんな。そっちがそうならこっちもやりやすい……なんてな。とはいえ、そんな事を言える訳もない。ここは無難に答えとく方が吉か。



「ふむ、それは質問が可怪しいな。俺は先生に筋トレを教わってる。先生が横になれと言えばなるし、上に乗ると言われれば、はいと言う。だが、香織の言うそれは、どういう状況でそうなるんだ?」


「──それは……」


 口ごもる香織。


「答えられないだろ? それじゃあ逆に質問してやろう。香織は浩司君のことを浩司こうくんと呼んでるな。俺が綾音ちゃんのことを綾音あやねんと呼んだらどう思う?」


 この勇夫の問い掛けに、香織は直ぐに答えずに考えた。



 ──この人、口が上手いから言いくるめられちゃうわ。ここで、勇夫が綾音あやねんって呼ぶ事を嫌だって言ったら勇夫の思う壺だし、私が浩司こうくんって呼べなくなっちゃうよね? それは阻止しないと……。実際、勇夫が綾音ちゃんをどう呼ぼうが何とも思わないしね。ここは、の話はもうしない方が賢明かな……。



「それは、真琴ま〜くん浩司こうくんって呼んでるから、伝染っただけよ。名前の呼び方なんて何でもよくない? 浩司こうくんしか綾音あやねんって呼んでないけど、勇夫が綾音ちゃんのことを綾音あやねんって呼んでも私は何とも思わないけど?」


 香織の返しに勇夫は思った。



 ──香織が俺と綾音ちゃんを疑ってるかどうかを確かめる為に反撃してやったが、俺と綾音ちゃんの事を疑ってる訳ではなさそうだな……。今は、このバレるかバレないかの状態がスリリングでより興奮する。バレてないならそれでいい。だとしたらこの話し合いは無意味だ。香織が浩司君のことを何と呼ぼうが俺が気にしていないから、この話をこれ以上掘り下げても言葉が出てこん。それより、綾音ちゃんと中途半端に終ったからウズウズが止まらんぞ。しょうがないから、久しぶりに香織にでも鎮めてもらおうか。



「はっはっはっ! そうだな。俺の方が嫉妬したのかもな? それより香織……真琴も寝たし、今からどうだ?」


 勇夫の態度の豹変に、香織は心の中で。



 ──何よこの人。今からどうだ……なんて、どうもこうもしないわよ。でも、呼び方変えられなくて良かったわ。浩司君なんて呼び方、遠い人みたいでヤダもんね。それはそうと、もう長いことのに、この人なに急に盛ってるのかしら? この人とはもうそんな気分にならないかも知れないわ。適当にあしらって早く寝よ。



「勇夫って本当に元気ね? 私は家事に育児に疲れてるの。私のお願いなんて何も聞いてくれない癖に、自分の頼み事はさせようとするのは止めて。──じゃあ先に寝ます。おやすみなさい」


 この香織の態度に、握り拳に力を込めて勇夫は思った。



 ──くそっ! 俺のウズウズはどうするんだ! それに、何で俺が香織に頼まれて家事や育児をしないといけないんだ? 俺は仕事で疲れてるんだ! 家の事は女がするもんだろ……。そんな事より、折角俺が久しぶりにベッドで可愛がってやると言ってるのに、断るとはどういう了見だ? ふぅ〜、落ち着け俺……まあいいじゃないか。俺には綾音がいるんだから、香織は放っておこう。それはいいとして、これからどうやって綾音と二人きりになるか……。ジムでもこの家でも邪魔が入るしな……。ホテルに行くか? でも何時? 香織と真琴を浩司君に任せて? これは大至急解決方法を見つけないと、ウズウズが爆発してしまうぞ!

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