第40話 帰りたいけれどどうしよう

 私は官兵衛をひそかにポケットに忍ばせたまま、自室としてあてがわれた部屋に引きこもる。

 昼間の話を聞いてから、私は少し考える時間が欲しいと時也に言った。

 帰りたい。その気持ちは、少しも変わらないどころか、納言達の話を聞いてますます強くなる。


 まるでホテルの部屋のように清潔で整った部屋。机にベッド、間接照明のスタンド。元々ゲストルームなのだと時也が言っていた。


 窓の外を見れば、もう夕方だ。窓から屋敷の外は見えない。窓の外は中庭だし、二階だから、飛び降りるのも……無理か……。逃げられそうにはない。


 部屋の中で考え込んでいれば日が暮れて、官兵衛が黒猫に戻る。


「やはりおったか。納言め」

「何? やっぱり知り合い……妹なの?」

「まあ、同じ右甚五郎が作ったのだからな。妹だな」


 官兵衛は、フンフンと辺りを嗅ぎまわって警戒している。


「良かった。盗聴器も監視カメラもなさそうだな」


 官兵衛の表情が緩む。


「監視カメラって……まさかそこまでしないでしょう?」


 先ほど玄関を確認したら、監視員らしきオジサン二人。それに廊下にも何人も警備が巡回していた。逃げ出さないようには警戒されてはいるが、部屋の中には、さすがに何もなさそうだ。


「甘い! あの納言だぞ? あの納言のことだ。何をするかなんてわかったものではない!」

「いや、納言のこと何も知らないし」

「あいつは、ものすっごい執着心が強いんじゃ」

「え、そうなの?」

「そうじゃ。あいつは、我に執着して、別の家にもらわれるのが嫌で我を味噌蔵に閉じ込めやがったのじゃ。もう何日も出られなくって全身味噌の匂いで大変だった」


 官兵衛が怯えてプルプルと震える。

 味噌蔵でのことを思い出しているのだろう。


「まあ、たった二匹の兄妹なんでしょ? 離れたくないってその気持ちは分からないくないけれど……」

「甘い! 甘いのじゃ!!」


 前足でポフポフと机を叩いて官兵衛が抗議する。

 これは、その味噌蔵が相当に嫌だったのだろう。


「良いか? 我は木製だぞ? 味噌蔵に閉じ込めれて匂いが染みつかないわけがない。もう少しで味噌樽になってしまうかと思ったわ」


 動揺しているのか、テチテチと官兵衛は毛づくろいをする。


「ねえ。どうしよう官兵衛」

「何がだ?」

「帰りたいのよ。修平君の所に」

「なら帰れば良かろう?」

「でも、借金が。それだと修平君に迷惑が」


 フンッと官兵衛は鼻を鳴らす。


「納言がおるなら、理恵子の借金なんて、秒で稼ぐ。納言がいるなら放っておけ!」

「え、そうなの?」

「納言は金招きの招き猫じゃ」

「それはさっき聞いた」

「稼ぎっぷりはえげつないぞ? その気になれば、国家予算並みに稼ぐ」


 え……すごい。

 官兵衛よりも優秀なのでは?


「あ、また我に失礼なことを! 良いか? 人招きがどれほど高尚で味わい深いか! 金なぞ、いくら稼いだところで、人のつながりには結局勝てぬのじゃ!」

「そう……なの?」


 貧乏で苦労したことの多い私だ。

 お金のありがたみも良く知っている。

 もちろん、修平君と官兵衛と一緒にすごして、官兵衛の言う人のつながりの大切さも分かったが。それでも、あの美久の野菜泥棒の事件も、石崎さんのお店の事件も、お金があったならば、もっと早く解決したのではないか……なんて思ってしまう。


「理恵子よ。それは違うぞ。金とは大きな力であることは確かだ。しかし、それだけでは、何も成すことができないのだ。深いところで何事かを成すためには、確固たる『人』の力が必要なのじゃ」


 人招きの官兵衛は、私を諭す。

 

「官兵衛の言うことも分からないでもないけれど……」


 私が官兵衛に反論しようとしたところで、コンコンとドアをノックする音がする。


「わ、誰か来たみたい」


 官兵衛は慌ててベッドの下に潜って姿を隠す。

 私は、官兵衛が身を隠したのを確認してからドアを開ける。

 ドアの前に立っていたのは、時也だった。

 肩に納言も乗っている。三毛猫の姿。夜に猫になるのは、官兵衛と一緒なのだろう。さすが兄妹だ。


「もう少し……話をしましょう」


 部屋に入られても困る。

 官兵衛がベッドの下にいる。


「分かったわ。どこか、散歩しながら……中庭なんてどうかしら?」


 とにかく部屋から納言を離したい。

 官兵衛が見つかれば、納言はきっと離してくれないだろう。もし私が帰れなくなっても、官兵衛だけは修平君に返してあげたい。


「良いですとも」


 部屋のベッドの下に隠れる官兵衛をおいて、私は時也と納言と中庭に出た。

 

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