第50話 新しいメニュー

 こうして私の借金は、借りる先が修平君に変わって、磯村時也との婚約は無事に解消された。

 お分かりいただけただろうか。

 そう、借金は無くなったわけではないの。

 貸主が、修平君に変わっただけ。


「ほれ、キリキリと働けよ! そんなことでは、いつまでも借金は無くならんぞ!」


 官兵衛うるさい。自分は時々、目を開けたまま寝ているくせに。


 修平君の定食屋さんで、本日も私は働く。

 家からは距離的に通えないから、住み込みで働かせてもらっているのも変わりない。


 恋人としての甘い生活?

 そんなの、借金があるのにできるわけがない。だって、一方的な関係なんて嫌なの。あくまで対等な関係で、恋愛を進めたいじゃない? それが私の矜持なの。

 つまり、あの莫大な借金を返すまでは、恋人関係は保留なの。

 ううっ! 官兵衛がちゃんと宝くじ当てていれば良かったのに。

 そうすれば、今ごろは、恋人同士の修平君と私で、仲良く甘い生活を過ごせたのだ。

 このままでは、いつ修平君に愛想尽かされるか分かったものじゃない。

 早く借金を返さなきゃ。


「理恵子、ウザい」

「美久、良いからあなたは早く宿題しなさいよ」


 カウンターに朝から腰掛けて動かないのは、美久。

 私をずっと監視しているのだ。

 冬休みの入って美久は、本日もここに入り浸っている。「だって、理恵子を修平君と二人っきりにするわけにはいかないもの」。美久は、そう言っていた。

 私と修平君が恋人になったってことは、美久に報告した。

 もちろん、修平君にした私の借金を返すまでは保留なのだってことも。


「だったら、そのまま借金まみれでいれば良いのよ。私が大きくなって、理恵子がおばさんになるまで放置しておいてね!」


 すっっっごく嬉しそうに、美久はそう言ったのよ!


 ぐぬぬ、美久め。

 修平君も、そんな困ったような顔をして美久の我儘を許していたら、その内に成長した美久に襲われちゃうわよ? ちゃんと気を付けてくれないと困るんだけれど。


 本日も忙しいランチタイム。

 一生懸命に働いて、お客がいなくなった時間に、美味しそうな匂いが厨房から漂ってくる。


「お疲れさまでした! 試食してくださいよ。ついに出来たんです」


 修平君が考えた新メニュー。

 美久と私の前に、修平君が小さめの皿を置く。

 本日は、ついに完成した新メニューの試食をする約束なのだ。


 私は、美久の隣に座って皿に視線を移す。

 皿の中には、まいたけ、ブロッコリー、ホタテ、海老なんかが入っている。ホワイトシチューだ。


「あら……、魚も」

「ええ。鱈をソテーして後から入れています」


 なるほど、鱈が煮崩れしていないわけだ。

 

「石崎さんに相談したんです。魚の臭みも、シチューに溶け込まずにすむでしょう?」


 お魚の専門家の石崎さんのセレクトならば、確かだろう。

 美味しそうだ。

 クンクンと匂いを嗅げば、ほんのりと香るものがある。

 これは……カレー? 


「カレーね! この匂いは!」


 美久が喜ぶ。そうよね、以前にカレーが食べたいって言っていたものね。

 スプーンで一匙すくって食べてみれば、魚介の風味がしっかりと出たクリーミーなスープに、カレーのスパイシーな味わいが後から広がる。

 ほんのりとした風味だから、シチューの味わいと喧嘩しないで味の奥行になっている。


「美味しい!」


 美久が目をキラキラさせて喜んでいる。


「そう、そしてこっちは別の風味」


 もう一つの皿が目の前に置かれる。

 こちらからは、カレーの匂いはしない。でも、なんだろう……。これ、ほんのりと甘やかな匂いが混じっている。


「甘酒じゃ。美味いぞ!」


 香りの正体を考えていると、官兵衛が口を出してくる。

 言われてみれば、確かにそうだ。

 上品な甘い甘酒の香りだ。


 私は一匙すくって食べてみる。


「美味しい。これ、すごい!」


 うまく溶け込んだ甘酒の風味は、ホワイトシチューの味わいに深い奥行きを足している。弾力のある海老、ほろりと崩れるホタテ、ふんわりした鱈の身。どれともよく合う。


「ええ~。美久は、さっきのカレーの方が良かった!」


 美久が拗ねている。

 まあ……確かに、子ども受けは、さっきの方が良いかも知れないが、このお店は政さんや石崎さんのようなお年寄りも多い。お年寄りには、こっちの甘酒入りのホワイトシチューの方が合うのではないだろうか。


「私は、こっちの方が美味しいけれどもな」

「意見が分かれましたね。困ったな……」


 私と美久の意見を聞いて、どちらか決める気でいたのだろう。

 そうよね。いつものメニューに合わせて、両方のシチューを作るのは、ちょっと大変そうだ。


「そうだ。交代で出してみたらどう?」

「交代ですか?」

「そう。週替わりでしばらく出してみて、お客様の評判が良かった方に決めるの」

「なるほど……それならば、なんとかなりそうですね」


 これだけ美味しいシチューだ。どちらも、お客様は喜んでくれるだろう。今から、お客様の喜ぶ顔が楽しみだ。

 

 ……そう言えば、官兵衛は? 官兵衛は、どちらが美味しかったのだろう。

 あの招き猫は、甘酒だと言ってから、一言も話し掛けてこない。


 チラリと官兵衛の方をみても、木製の招き猫だから、表情が読めない。

 ……まさか……また……。


「ぐう」


 意識を集中して聞いてみれば、官兵衛の寝息が聞こえてくる。

 やっぱり寝ている。

 サボり猫め。そんな風にサボっていると、また面倒なお客が来るじゃない……。

 

 のん気に眠る官兵衛を私はあきれ顔でみていた。


  

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