第28話 いなくなった石崎さん
官兵衛は語る。
修平君の鞄の中で聞こえてきた魚屋のおじさんの本音を。
息子の言うことを無視して商売の準備をしていた石崎さんのところへ、息子さんが来たのだそうだ。
隣の店にまで聞こえてくる言い争いの声。
「そもそも、こんな店に俺は思い入れなんて一欠片もないんだ!」
「何だと? この店の売り上げでデカくなったくせに何を!」
怒鳴る息子さんに言い返す石崎さんの声。
ガチャンと何か物騒な物音もしていたから、きっと気の短い石崎さんが何かを叩いたのだと、叔父さんは思ったようだ。
「馬鹿か? こんな採算の合わない店で苦労するくらいなら、普通の仕事をした方が良かったんだ!」
「はぁ? 普通??」
「そ、そうだよ。ああ、そうだよ! 魚臭いって友達に揶揄われて、どれほど嫌な思いしていたか! 休みもなくって、旅行の一つも行けない! どれほど嫌だったか!! この店の全部が嫌だったんだよ!! 良い機会だよ! こんな商売辞めちまえ!」
売り言葉に買い言葉で、キツイ言葉になってしまったのだろう。
肉親だからこその遠慮のない言葉は、鋭い刃物になってしまった。
叔父さんが心配して様子を見に行くと、顔面蒼白の石崎さんの姿があった。
実の息子から言葉の刃を向けられて、母親である石崎さんは、ショックだったようだ。
石崎さんは、気力を失ったのかもしれない。
おじさんが声をかけようとしたが、石崎さんは青ざめて、「もういい」と言って、店のシャッターを閉めてしまった。
しばらくしてから、元気のない石崎さんから隣の店のおじさんは、修平君たち常連客のことを頼まれたのだという。
商売人の辛さは、おじさんも知っている。石崎さんが今まで店を守って踏ん張ってきたのも知っている。
おじさんは、石崎さんの頼みを断れるわけがなかった。
「背負って育てた我が子に、『全部嫌だった』なんて言われたらね」
ため息と共に聞こえてきたのは、魚屋のおじさんの口には出せない言葉。
「我も知っている。夫婦して店に出て、赤ん坊を背負ってな。そうかぁ、あの赤子がそんな生意気な口をきくようになったかの」
フフッと官兵衛が笑う。
いや、笑い事ではない。
石崎さんの息子さんがどんな赤ちゃんだったかなんて知らないけれど、石崎さんが息子さんの言葉にショックを受けて店に出られなくなったのは、困るのだ。
「官兵衛……」
「何ともならん。ならんぞ! 無理矢理に店にババアを呼び寄せたところで、ババアに気力がなければ意味がない」
「分かっているわよ。だから、ね……」
私の考えを口に出すより早く読み取った官兵衛が、ええっと驚く。
「全く、野菜泥棒の時といい、ろくなことを考えんな!」
官兵衛が呆れる。
「なんでよ? それが一番手っ取り早いでしょ?」
「やらんぞ! なぜ我がそのような真似を……」
スッと差し出したのは、官兵衛お気に入りの猫用オヤツ。
「くっ卑怯者め! 崇高なる我が……そのような……」
迷っている。官兵衛が、めちゃくちゃ迷っている。
よっぽど美味しかったのだろう。
ゴクリと喉を鳴らす。
これは、交渉成立だろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます