第37話 幽子は終わり

 官兵衛はいつも上から目線だ。

 こんな手のひらサイズの招き猫、膝の上でコロコロ転がっているのに。


「そんなに悪い話ではないはずですよ? 話を聞いてゆっくり考え直してみて下さいよ」


 柔和な笑顔。

 私は警戒する。だって、こういう大人は信用出来ない。営業スマイルの裏側で何考えているか、さっぱり分からないんだもの。


「占いなんて信じて、どうして私なんか? こんなに逃げている私に、どうして執着して何年も。そこが分からなくって、信じられないのだけれど」


 私、何も惚れられるような活躍していない。

 そんな一目惚れされるような美人でもないし。

 困っている行き倒れを助けたようなミラクルな経験もない。

 ごく普通の貧乏学生。そんな私に金持ちの社長が結婚の申し込みだなんて、それ、普通有り得ないから。

 

「なるほど」

「だから……その……若い女の子が好きなだけの信じられないくらいの変態かと思って」


 なるほど、ね。そう言って、すっと秘書男が指さしたのは、官兵衛。


「え?」

「その猫、話すでしょ」


 秘書の一言に、ガタッと音を立てて、キッチンから修平君が走ってくる。

 私のことが気になって、聞き耳立てていたのだろう。


「え? どうしてあなたが、官兵衛を知っているの?」

「どうしてですか! 官兵衛は、ウチの家の者しか知らないはずですよ!」

「その通りだ! どうして我を知っている!」


 私達全員、驚いてしまっている。

 

「それは、ウチの占い師に聞いていただかないと。ほら、話をしたくなったでしょ?」


 にこやかに笑う秘書男は、そう言ってウインクした。


 ◇ ◇ ◇


 どうしても気になって、私は、秘書男の車で占い師の元へ向かう。

 修平君も行くっていってくれたんだけれども、秘書男がそれを許さなかった。


「理恵子さん」


 修平君が私の本当の名前を呼ぶ。

 もう幽霊の幽子は卒業なのだ。もっと幽子でいたかったけれど、それはもう許されないない。逃げ続けていた理恵子としての責任を果たす時間だ。


 走ってきた修平君が、ギュッと私の手を握って私を見る。

 手のひらには、慣れた感覚。


 ーー官兵衛だ。


「え、どうして? 官兵衛はさっき修平君に返したじゃない」


 そう。話合いが終わって、私は膝の上に乗せたいた官兵衛を修平君に返した。

 だって、官兵衛はこの定食屋の代々の宝物だ。


「相手は官兵衛の秘密を知っている人間です。理恵子さんだけでは心配です。こっそり官兵衛を連れて行って下さい」


 修平君は、そう言って私に官兵衛を握らせた。


「でも、それじゃあ、お店が大変でしょ?」


 官兵衛がいないで店を開けば、また迷惑な客が来てしまうかもしれない。来客人数だって制限できないから、店の切り盛りは大変になってしまうはずだ。


「大丈夫です。店は僕一人でちゃんとやります。普通の店は、官兵衛みたいな招き猫なしでやっているんです。僕だって大丈夫です」

「修平君……でも……」

「そんなに心配なら、必ず、官兵衛を返しに来てください。約束ですよ」


 私の目を見て、そう微笑む修平君。そんなの断れなかった。

 手の中の官兵衛が、「勝手に決めるな~!」って叫んではいたので、ちょっとムードはなかったけれど。(官兵衛め)

 ちょっとキュッと締め付けてくる心は、私の正直な気持ちだと思う。


「あの男は、貴女の何なんですか?」


 嫌味なくらいに高そうな黒塗りの車の後部座席に乗り込めば、秘書男が聞く。


「知らない。……親切な優しい人……私を助けてくれた人……」


 修平君は、誰にでも優しい。きっと私でなくても助けてくれた。悔しいけれど私は特別じゃないから、関係と言われても分からない。


「まぁ……恋人ってわけではないようですね」

「そういう勘繰りは本当に嫌い」


 ポケットの中の官兵衛を撫でて外を眺めれば、景色がドンドン流れていく。

 遠くには魚市場。あれは……政さんの畑。美久は、ちゃんと学校へ行ったのかな? 最後の挨拶もできなかった。


「そう感傷的になるな。必ず帰るのだろう?」


 官兵衛がこっそり慰めてくれた。

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