第36話 話し合い

 目が合ってしまった。

 私と目が合って、ニコリと笑う秘書の男。

 ヤバイ。マズイ。完全に私が理恵子だってばれている。


「ちょ、ちょっと、官兵衛! 早く追い払ってよ」

「あ? どう追い払う?」

「どうって……」


 えっと、全国で秘書と名の付く職業の人はお帰り下さい的な?

 それはちょっと乱暴か……常連さんの中に秘書らしき人はいたっけ?

 私が考えている間にも、秘書はこちらに近づいてくる。


「探しましたよ。やっぱり生きておりましたね」

「はあ……」


 車を覗く男はにこやかで、怒ってはいなさそうだ。


「ちょっと、話をしませんか?」


 逃がさないぞ。という圧がすごい。


「どうしましょう? 逃げますか?」


 修平君が、緊張してハンドルを握っている。

 ……駄目だ。そんなことをさせられない。ただでさえ利益のない定食屋を営んでいる修平君。定食屋さんが特定されているのに、ここで私と一緒に逃げるような真似をさせてしまっては、今後、お店を開けなくなってしまう。


「いい。私が、ちゃんと逃げずに話してみる。場所だけちょっと貸して」

「場所は……構いませんが、良いんですか?」

「良い。どのみち、生きていることがバレてしまったんだから、どこに逃げても一緒だし」


 そう。逃げたって一緒なのよ。

 だって、生きていることがバレているのに逃げてしまったら、きっと借金は、私の親に請求される。貧乏だし、きっと払いきれないで大変なことになる。

 

 これは、私が悪いんだから。私が解決すべきことなのよ。

 修平君にこのことで迷惑をかける訳にはいかないのだ。


「分かりました。お話いたします」


 私は、覚悟を決める。


 店に入って、テーブル席を一つ借りて、向かい合わせに秘書男と私は席につく。

 修平君は仕込みがあるから、キッチンに行ってもらった。

 だって、今日も営業があるのに、話を聞いている時間はない。

 でも、不安だから、官兵衛は私の膝の上。

 黒い木製の招き猫の姿で官兵衛は大人しく話を聞いている。


「探しましたよ。偽装自殺までして」


 私が崖の上に置いた靴と遺書は、すぐさま警察によって家族に届けられたそうだ。


「どうやって私を見つけたの?」

「これです」


 秘書男が見せたのは、SNSの投稿写真。

 『まじ、この店イマイチ! 注文ちゃんと聞いてくれねぇし!』という言葉と共にアップされた写真に、私がばっちり写り込んでいる。

 あ、これ。官兵衛が、招きの力を切った時に来た迷惑な客だ。

 あいつら、こんなことをしていたんだ。


「じゃあ、このお店、悪い噂がSNSに流れちゃってるの?」


 最近、SNSなんて見てなかったから知らなかった。うわ……どうしよう。ネットでは、このお店、実は炎上しちゃってた?


「この投稿者、他の店にも似たような投稿をして、本人が炎上しましてね。今では、この投稿も削除されているのでご安心を」

「そう。良かった」


 それなら、今後のお店の営業にも問題は無さそうだ。


「あの、お借りしたお金は必ず働いて返します。だから、この婚約のお話なかったことにはなりませんか?」


 私は、頭を下げる。


「なりませんね」

「どうしてっ!」


 結婚なんてものは、本人達の同意のもとで成り立つものでしょう?

 お家の跡継ぎとか、政略結婚とか、そういうものが関係ない現代において、どうして駄目なんだろう?


「なかったことにはなりませんが、そんな風に嫌だと言うならば、もっとよく話合う必要があると思います」


 穏やかに諭すよう話す秘書男。


「だって、貴女は、相手の名前もご存じないでしょう? 知ろうともしない。私の名前だって覚えておりますか?」


 うっ……。その通りです。どうせ、占いなんて変な物に頼って嫁探しするのは変態に違いないので、知る必要もないと思っておりました。「話にならんな。もっとよく考えんか」と、膝の上の官兵衛が、私にこっそり話しかけてくる。

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