第9話 時間の過ごし方
お風呂に入って二階で一人。
壁に寄りかかって窓の外を見る。暗くなった外は、風が渡って木を揺らしているだけで、見ていても面白いことはない。
だって、本当に真っ暗なのだ。
ポツンポツンと灯る街灯以外に照らす物はなく、人も歩いていない。
田舎の夜ってこんなに暗いんだ。
修平君と官兵衛に拾ってもらって良かった。一人でキャンプ生活なんて、ちょっと危険だったかもしれない。
こんな時に、今までだったらスマホを見ていた。SNSをチェックして、好みの動画をチェックして、それから友達とメッセージを交わして。時間なんてあっという間に過ぎて渋々ベッドで横になる。
毎日、そんな感じに過ごしてきた。
なんに変哲もないありがちの過ごし方。
「時間って、こんなにゆったり流れるんだ」
今までの人生は、あの崖の下にぶっ飛ばして捨ててきた。
幽霊の幽子さんとなった私は、スマホの契約が出来るはずもなく、私は、それまでの中沢理恵子の生き方を全部放棄した。
スマホは……ちょっと惜しかったかもしれないけれども。
スマホ……買いたい。お金を貯めたら、どうにかチャレンジしてみようか。
「何をボケッとしておるのか」
声に振り返れば、官兵衛がいる。
畳の上で、前足をテチテチと舐めて毛並みを整えている。
「ボケッとって何よ。仕方ないでしょ? スマホも持っていないんだよ? どう時間を過ごせばいいのかも分からないよ」
「情けない! 最近の若者は、あの小さな箱に支配されて、自分で時を過ごすことも出来んのか」
官兵衛が、ハ~、ヤレヤレと、首を横に振りながら呆れている。
いや、招き猫は、スマホには興味ないだろうけれども、私は人間なのよ。
人間ならば、情報はほしいし、音楽も聴きたいの。一緒にされてもこまるの。
「うるさい。招き猫には分からないのよ。あのスマホと言う箱の有能さを!! 分かる? 世界のいろんなところに繋がって、アイドルの今日のご飯から明日の天気まで。欲しい情報は瞬時に手に入るのよ。夢中にならないわけがないじゃない」
招き猫相手に私は、スマホの素晴らしさを力説する。
ふうん。
官兵衛は、力説する私の話を、静かに聞いてくれている。
「そんなに欲しいならば、また買えばよいであろう? 修平ならば、給料の前借りも快く引き受けてくれるであろう?」
「それが、そう簡単ではないのよ。あれ、お金を出せばそれだけで買えるという代物じゃなくって、買うためには、身分証明書とか色々必要なのよ。私は、今までの中沢理恵子の人生を捨ててしまったのだから、ちょっと……ね」
そう。お金だけの問題ではないのよ。
スマホって、お金出したら購入できるわけではないの。
身分証明書なんてものが必要になってくる。
「家族に居場所がばれる?」
「そう! それがまずいのよ。そうしたら、家族に連れ戻されちゃう」
それは、困るの。せっかく偽名で生活を始めたのに。
「ふむ。何がそんなに困るのじゃ? 家族は、お前が嫌がるならば、無理に結婚しろと迫らないだろう?」
「……そうなんだろうとは、思うんだけどね。でも、じゃあ、今まで渡したお金を返せって話に絶対なるでしょ? それで無理にお金を返したら、家の生活は大変になると思うの。弟の学校の費用も必要な時期に、それは嫌なの。私が勝手に引き受けた話なのだから、私がお金を返して、私がケリをつけたいの」
そのための幽霊の幽子生活だ。
「それは……完璧に自分が悪いのではないか?」
「うっ……」
「見事なまでの自爆」
「……ですよね」
「ま、せいぜい頑張るのじゃな」
「頑張るわよ。それしかないじゃない」
官兵衛は、目を細めてニャンと鳴く。
官兵衛なりに励ましてくれているのだろうか? 口は悪いけれど。
猫……そうだ。
我が家は貧乏な上に、兄弟に猫アレルギーがいたから、飼えなかった。
そうよ。猫を飼ったときに、ぜひ試したいことがあったのよ。
人間と同じものを食べることが出来て、人間の言葉を話す不思議な招き猫の官兵衛。ちょっとあれだけれども、まあ、大きな定義で猫と言えなくもないじゃない。
私は、すっとカバンから武器(ただの紐)を取り出した。
「なにゃ!」
官兵衛の目が紐に釘付けになる。
これは……いけそうだ。
ただのパーカーから抜けた紐に、官兵衛の目が輝く。
こいつ、偉そうなことを言っても、やはり猫だな!
私は、ブンッと大きく紐を振る。
「ニャ!」
官兵衛が飛びついてくる。
すかざす私は、紐を引っ張って、ギリギリのところで官兵衛を躱せば、しだいに官兵衛がムキになってくる。
パシッ!
官兵衛が、小判を持つのも忘れて、全身で紐に飛びかかってくる。
とうとう捕まえた紐相手に、官兵衛が楽しそうに猫キックを繰り広げている。
「ふふふ!」
私は、官兵衛の珍しく可愛い姿に、つい笑い声が漏れてしまう。
「ハッ!」
しまった。官兵衛は我に返ってしまったようだ。残念……。
そろっと紐を手放すと、ばつが悪そうに小判を持ち直して、コホンと一つ官兵衛が咳をする。
「ま、たまには……我が遊んでやってもよいがな」
偉そうだ。あんなに夢中になって紐を追いかけて楽しそうにしていたクセに。
「あ、ねえ。修平君は?」
私は、気になる。そう言えば、修平君て、どうしているのだろう。
歯を磨きに降りた時には、もう早々に下の電気は消してしまっているみたいだけれど。外に出も遊びに行っているのだろうか? そんな夜に遊び歩くタイプには見えないけれども、案外、カラオケとか、居酒屋に友達となんてことも、大人なんだし、ないわけじゃないはずだ。
この辺りは本当に田舎だから、カラオケも居酒屋も、ずいぶん遠くに行かないとなさそうだけれども、修平君は車にもバイクにも乗れるのだから、大丈夫なはずだ。
「明日は早いからな。もう寝ているはずじゃ」
早っ! まだ……九時くらいでしょ?
そう……か。仕入れとかあるものね。
修平君の時間の使い方は、どうやら中沢理恵子の人生とは全く違う時間の使い方をしているようだ。
修平君の人生の時間の使い方に興味が湧く。
「明日は、そういうのも手伝ってみようかな」
「お前にできるのか? 明日は、午前四時には起きるのじゃぞ?」
「で、出来るわよ。それくらい!」
出来ると言い返してみたものの……。
朝四時かぁ……。
七時に起きて学校行くのでもギリギリだったのだけれど、大丈夫かなぁ、私。
寝てていいって言ってもらってたのに、余計なこと言ったかも。
自分で言い出しておきながら、自分の不用意な言葉をすぐに私は後悔していた。
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