第2話 黒だから官兵衛

 私に抱きついてきた変態……男は、名前を磯崎修平≪いそべしゅうへい≫という。年齢は、私よりも二年年上。

 修平君に付き添われて、私は崖を離れる。

 だって、このまま夜になってしまえば、何か出て来そうで怖い。


「ずいぶん重い荷物ですね」

「当たり前でしょ? 私は、今までの人生を捨てて、幽霊として生きていくつもりだったの。それならば、生活に必要そうな物は、色々と揃えているわよ」

「幽霊として生きようとしている人が、夜に崖にいるのが怖いとか……」

「うるさいわね。だって、仕方ないでしょ? 怖いんだもの」


 修平君が苦笑いする。

 修平君、最初は変態かと疑ってしまったが、案外いい奴だ。

 私の荷物も半分持ってくれるし。


 修平君の言うように、私の荷物は、とても重い。

 テントに寝袋、鍋にヤカン、食器類に着替え……。芸人さんがただソロキャンプをするだけの、あのまったりとした番組を観ながら勉強して揃えたのだ。

 名前も明かせない十九歳の女の子が一人で生きていくには、当分の間、キャンプでもしなければ、ホテルも泊めてくれるか分からない。それに、ホテルに泊まることが出来たとしても、警察に通報されてしまうかもしれない。

 そんなことになれば、私の計画は、あっさり失敗してしまう。

 サバイバル覚悟で私は家を出た。


「ふうん……そうですか……まあ、色々と事情があったんでしょうねぇ……」

「当然よ。事情が無ければ、こんな面倒なことはしないわ」


 人生を捨てる覚悟をしなければならない事情。

 修平君が分かってくれるかは、分からないけれど。


「まあ……それは、後程聞くとして、着きましたよ。ここが、我が家です」


 そう言われて目の前にあるのは、古い定食屋さん。

 木枠の硝子戸に、手書きのメニューが書かれている。

 焼きそば定食に、サンマ定食、鯵の塩焼き定食……。


「定食屋さん……なんだ……」


 ガタガタと古びた音を立てて硝子の引き戸を修平君が開ける。

 扉の中に引かれた緑色のカーテンを開き、入り口付近にあるスイッチを修平君が押せば、チカチカと点滅して店内の蛍光灯が灯る。


 席はテーブル席が二つほど。カウンター席は二つ。こじんまりした店だ。


「祖父母が、定食屋さんをやっていましてね。それを、僕が引き継いだんです」

「じゃあ、今は、修平君一人でやっているの?」

「ええ。両親は、割と遠いところに住んでいて、そこで仕事がありますし。一人でここに住んで、定食屋を続けています」


 すごい。私とそれほど歳が変わらない男の子が、店を一人で切り盛りしている。

 ちょっと感動した。


「あ……祖父母の知り合いが、色々手伝ってくれていますし、それに良いアドバイザーがいましてですね……」

「アドバイザー?」


 親戚のおじさんか何かが、時々手伝ってくれているとか?


「出てきてください!! 連れてきましたよ!!」


 店の奥に声を掛ければ、チリリンと、涼やかな鈴の音が響く。

 あれ? 一人で住んでいるって言ってなかったけ? 

 連れて来たってどういうこと? 


 よく考えてみれば不思議だ。

 どうして、どうしてひと気のない崖の上にいた私を、修平君は見つけることができたのだろう。


「修平。遅かったな」


 中から声がして、出てきたのは、太った黒猫。真っ赤な首輪に鈴がついてる。

 金の瞳が、私を見つめている。 猫が抱えているのは、千客万来と書かれた小判。

 ね、猫???

 猫に小判……え、いいのか? それ。


「なんで? どういうことよ??」

「びっくりしますよね? この猫、招き猫なんです」

「ま、招き猫? ああ、それであんな風に小判を……いやいやいや、納得できない」


 慌てる私に、「僕も最初はそうでした」と、修平君が笑う。


「娘よ! 頭が高い!! 控えおろう!!」


 ひかえおろう……。

 猫にそう言われて、一応念のため、それっぽくお辞儀をしてみる。


「ふむ。苦しゅうない!! 我が名は、官兵衛≪かんべえ≫!! 存分に崇めるが良い!!」


 猫はふんぞり返って髭を撫でていた。

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