第5話 新しい始まりの朝
朝、布団を中で目を覚ます。
寝袋があるから大丈夫っていう私に、修平君は、客用の布団があるからと、押し入れから出してくれた。
二階のこの一室は、私の部屋にしてくれた。
修平君の部屋は一階。トイレと風呂、台所も一階。
二階は、私の部屋として使っているこの部屋だけ。
「僕は、一階にいて、二階には上がりませんから。気兼ねなく自由に使って下さい」
修平君は、そう言ってくれた。
カラカラと窓を開ければ、そこには、木製の物干し台がある。海が近いから、風にほのかに潮の気配を感じる。
朝日が気持ちいい。
鼻をくすぐるのは、煮物の匂い。
もう、修平君は起きて定食屋さんの仕事をしているのだろう。
私が服を着替えて一階に降りれば、大きな鍋の前に立つ修平君。
「あ……幽子≪ゆうこ≫さん。おはようございます」
『幽子』というのは、私の偽名。
こんな片田舎の定食屋さんに私が転がり込んでいるとは、誰も思わないだろうが、見つからないように念のため。
一つの人生を終えた今の私には、幽霊の幽子が相応しい。
「おはよう。修平君。すごいね。こんな早くから仕事?」
まだ時刻は朝の七時。営業時間は、十一時からではなかったっけ?
こんな時間から仕込みをするんだ。
「何を言っている。修平は、もう三時から魚市場に行って仕入れて来たんだぞ」
官兵衛の声に振り返れば、棚の上に片手をあげた小さな黒い招き猫。『千客万来』と書かれた小判を手に持っている。昨日、猫の姿でいたときに持っていた小判と同じ拒小判だ。
「本当に……招き猫だったんだ」
「そう言ったろう? 聞いておらんかったのか!」
念話とかテレパシーという類だろうか。木製の官兵衛の口は全く動いていないのに、官兵衛の声は聞こえてくる。
「だって、まさかこんな古ぼけたちっぽけな招き猫が、本当に夜には猫になるなんて」
私は言い返す。だって、本当に招き猫の官兵衛は古ぼけてちっぽけ。
ポケットに入ってしまうくらいに小さいのだ。
「失礼な! 我こそは、かつて社にそびえるご神木が落雷にあい黒焦げになったところを、その黒焦げを活かして名工甚五郎が招き猫をこしらえた姿! 古ぼけたとはなんじゃ!」
「名工甚五郎? 甚五郎ってあの、日光の眠り猫とか彫った有名な左甚五郎?」
修学旅行に行った時に、ガイドのお姉さんがそう言ってたのを覚えている。
とても腕利きの職人で、左甚五郎の彫ったネズミや小鳥は動き出したという逸話があるくらいだ。じゃあ、官兵衛もその左甚五郎の作品なの? それってすごくない? え、じゃあ、官兵衛は、国宝級の価値があるってこと?
「あ、いや、左ではない。≪≪右≫≫甚五郎という名前であったはずじゃ」
「右?……偽物じゃない」
なんだ。
右と左では、大きな違いがある。有名人の左甚五郎とは全くの別人だ。
「偽物とはなんじゃ。偽物とは! 我が父、甚五郎は、まごうことなく、素晴らしい職人! 稀代の名工じゃ!」
いや、彫り上げた招き猫が、こんな風に生きて動いているのだから、名工なのだとは思うのだが……。でも、それでも、右と左では大きく違うと思う。
やっぱり世間では、名工の甚五郎と言えば、左甚五郎なのであって、右ではないだのだ。
「だってそうじゃない」
「まあまあ、そう喧嘩しないで」
修平君が、笑いながら店のカウンターに、食事を並べる。
ご飯に、あら汁。それに焼き鮭が一切れ。ほうれん草のお浸しに、たくあん。
「お魚、平気ですよね? 朝ご飯食べちゃってください」
「うわ! すごい! これ、修平君が、全部作ったの?」
私をほとんど歳の違わない男の子が作った料理とは思えない。さすが、店を一人で切り盛りしているだけはある。
「小さい頃から祖父母の仕事を見るのが好きでしたし、分からない所は、官兵衛が教えてくれましたし」
照れ笑いをする修平君。
私は、わくわくしながら料理に口をつける。
「美味しい!!」
しっかりと出汁の利いたあら汁。お腹のすっと降りて体の芯方ほっこりと温めてくれる。口の中でホロホロと崩れる魚のアラは、アラだから骨は多いけれども、それでも身はふっくらしているし、ジュワって口の中に広がるお出汁は臭みもなく美味しい。
ご飯も艶やかで、一粒一粒が、艶やかだ。
台所の奥を見れば、かまどがみえる。かまどで炊いたご飯なんだ。
「嘘! 炊飯器じゃないんだ!!」
「官兵衛が、どうしても譲れないと言いまして」
「当然じゃ。この片田舎の定食屋。当たり前の物を丁寧に作ることが大切に決まっておる。新規客を見込むのは難しいのであるから、リピート率を上げるのが得策じゃ」
独自のマーケティングを語る招き猫って初めて見た。……あ、いやいや、招き猫が語るってだけで珍しいのだけれど。
招き猫って、幸運的な何かで福を呼ぶんじゃなかったけ?
こんなプロデュース的な集客をする招き猫、初めてみたんだけれど。
いいのか? それで……。
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