第44話 3人の王

 きずなのもとへ、幼馴染であり将皇しょうこう学園の主将である天魔てんま 六道りくどうから果たし状が届いた。


『いつもの時間、いつもの場所で待つ』


 かつて、天勇てんゆうも含めて、3人がサッカーに熱中していた時期、毎日決まった時間に秘密基地に集まっていた。そこで、大自然を敵に見立てて練習をしたり、作戦を立てたり、拙いなりに充実した日々を過ごしていた。


 けれど、中学校生活半ばあたりで六道リクが引っ越したあたりから、その日常が崩れていった。初めのうちは、自分と天勇テンだけでも秘密基地に集まっていた。けれど、高校受験を視野に入れ始めたあたりからその関係も遠くなっていった。テスト前の週は休もう、塾がある日は無理、週末だけでも、1か月に一回ぐらいなら。半年に一回遊びに来る六道リクと合わせるために、1か月に一回という頻度が暗黙の了解となった頃には、練習とは名ばかりの日常会話ばかりになっていた。六道リクに、私たちの交流が少なくなっていることを悟られたくなかったから、2人そろって一生懸命日常会話をかき集めた。


 ただ、高校受験の時期が近づいてくると、日常会話からも色が無くなっていった。私は、ずっと毛嫌いしていた名家の息子としての生き様に向き合おうとしていた。いや、そんなかっこいいものではない。名家の息子であるなら世の為、人の為に生きなければいけないという「空気」を読んだ。父は「無駄こそ人間の本質だ」と良く言っていたが、そこに納得するだけの理屈が組めなかった。そして、離れれば離れるほどに浮かび上がってくるサッカーのイメージを無くすために、完全にサッカーをやめることにした。


 この行為は、いつかサッカーが好きな2人の為にもなるから。サッカーが大事なのはわかるけど、やっぱり世の中理想ばかりでは生きていけないし。そうやってサッカーを捨てるための自己正当化を続けてきた。2人と私の間には、サッカーが欠かせないことから目を背けて。


・ ・ ・ ・ ・


 3年前 きずなたちが中学3年生のころ


 受験前最後の集まりがあった。サッカー推薦で受験する六道リクも、さすがに面接などの受験対策で忙しいらしく、今回はパス回しをしながらの雑談で終わりそうな雰囲気だった。


 六道リク将皇しょうこう天勇テン英熱えいねつ、私が名門私立を受けるという話をした後、六道リクが聞いてきた。


きずなはサッカー続けるのか?さすがに厳しいか。」


「そうだね。勉強に専念することになると思うよ。」


「そっか~。レジェンドリーグできずなとも戦ってみたかったんだけどなぁ。」


「私の分も2人で楽しんでね。」


「おいおい、そんな寂しいこと言うなよ。部活でやれなくっても、こうやって俺ら3人でならサッカーできるだろ?お前だけ仲間外れなんかにはしないぜ~。」


 その言葉に、すぐさま「ありがとう」と答えられなかった。できることなら、流れのまま2人だけでサッカートークを続けて欲しいと思っていた。でも、そんなことを2人がしないことは分かっていた。


きずな?」


 唐突な私の沈黙に不安を覚えた天勇テンが声をかけてくれた。その思いやりに対して、よりにもよって煩わしさを覚えた。天勇テンは、私が徐々にサッカーから離れていっている事情をちゃんと知っているのに、なんでわざわざそこに触れてくるようなことをするのだと思った。今思えば、意地悪でもなんでもなく、ただ私が沈黙したからそうしたに過ぎなかったのだろう。


 気まずい沈黙の中、その気まずさから逃げ出すように言葉を吐きだした。


「サッカーからはもう完全に身を引こうと思ってる。」


「え?」


 六道リクは唖然とした様子でこちらを見ていた。我ながら愚かだと思うが、その言葉の意味を、口に出してようやく理解した。


「私の目指す理想には、膨大な時間が必要なんだ。だから、一分一秒でも無駄にしたくなくて……。」


 少しでも取り繕うように、自分の中で組み立てたサッカーを捨てることを正当化する理論を口に出したが、視線は地に落ちていき、語気も弱まっていった。どの理論を口にしても、2人とのこの時間を犠牲にするほどの説得力が出せなかったからだ。


「それは、大事なことだとは思うけど……。たまの息抜きぐらいは必要なんじゃない?そんな極端に考えなくても……。」


 天勇テンがそう言う。まったくもってその通りだと思う。サッカーを辞めるからといって、2人とのたまの息抜きすらやめたいと言い出すのは極端な考え方だ。けれど、そうでなければ新しい道を進むことなどできないという感覚もあった。


 この感覚の根源は、きっと未練だ。「空気」を読んで名門校へ行き、順風満帆な生活を送ることよりも、泥にまみれながらサッカーをすることのほうが輝いて見えた。そっちのほうが、感動できると思った。けれど、一生それを続けることなどできないというのも分かっていた。そして、自分が片手間にサッカーに取り組めるような人間でないということも分かっていた。知れば実践したくなり、実践すれば研究したくなり、昼夜問わずサッカーのことを考えてしまう人間だと分かっていた。だから、「空気」に身を委ねられるようにするために、全部シャットアウトすることにした。


 天勇テンの言葉に何も返せないまま黙っている私を見て、六道リクがこう言った。


「そんな苦しい感じになるんなら、やめたほうが良いんじゃねぇの。」


「もう、決めたことだから。」


「立派だとは思うけどよ、危ういぜ。」


「簡単な道じゃないから、しょうがないよ。」


「だからこそ、俺らが必要なんじゃねぇの。」


「……だからこそ、2人と一緒にいると、辛いんだ。」


 その優しさが、居心地の良さが、決心を鈍らせるから。会話すればするほどに積みあがっていった未練が、本音を吐き出させた。


「……ど、どういうことだよ、辛いって。」


 面食らった様子で六道リクがそう聞いてくる。


「サッカーはもうできないのに、2人といると、またサッカーがしたくなってしまう。」


「やればいいじゃねぇか。」


「それで解決できるのなら、苦労はしない。」


「解決できるだろ。勉強と一緒にサッカーもやればいいじゃねぇか。」


「そんな簡単なことじゃないんだ。」


「簡単じゃなくても、きずなならできるだろ。」


 はじめは私をなだめるようだった六道リクの声が、徐々に訴えかけるようなものへ変わっていった。まるで、どれだけ苦労してでも俺たちを切り捨てないでくれと訴えかけるような声だった。


 私は、君たちに求められるほど立派な人間じゃない。2人が自分の意志で道を選んだ中、私だけが「空気」の顔色を窺って道を選んだ。困難に立ち向かえるほどの力も、意志も持ち合わせていない。


「……六道リクには分からないよ。」


 もう、理想的な私の姿を求めるのはやめてくれと、突き放すようにそう言った。思考がネガティブに凝り固まってしまっていた。喧嘩別れでもなんでも、私のような人間とはもう縁を切ったほうが良いと、私の中で勝手に判断した。


「……なんだよそれ。」


 六道リクは、大きくため息をつくと、頭を悩ますようにバリバリと頭をかき、また息を吐いた。


「お前がそう思うんなら、もう勝手にしたらいい。」


 その言葉を聞いて、もう2人と会うことはないのだろうなと感じた。荷が下りたというより、ぽっかりと何かが欠けたような気持ちになった。


「ただし!!」


 自業自得の感傷に浸っていた私に、六道リクが一言付け加えた。


「いつでも待ってるからな。」


 そう言った六道リクは、不満足そうな顔で帰っていった。天勇テンも、「僕も待ってるから」と言い残して去って行った。


 喧嘩別れすら覚悟していた状態の私には、ただ罪悪感と虚しい決意だけが残っていた。


・ ・ ・ ・ ・


 セレクション前に会った時は、急だったこともあってなし崩し的に会話ができたが、改めて会うとなると、どんな顔をしていけばいいのか分からなくなる。


 まずは謝罪からか。いや、この謝罪は自己満足なのではないか。私が謝れば、六道リクは私のことを許してくれるだろう。そして、その結果罪悪感が薄れてスッキリするのは私だけだ。本当に申し訳ないと思っているのなら、六道リクの為になるようなことをしたほうが良いんじゃないか。でも、六道リクの為になることってなんだろう?何か美味しいものでも持っていこうか。いやいや、そうじゃないだろう。


きずな~?入るぞ~。」


 壁に貼られた資料を前に終わりの無い思考を巡らせていると、まことが入ってきた。


「おぉ~。また内容新しくなってるな。」


 楽しそうに私の集めた資料たちに目を通している。まことは、暇があればこうやって私の部屋に遊びに来るのだが、いつもと違う点が1つだけあった。なぜか、まことの手には、『くさや』が握られていた。あのとてつもなく臭いと噂の、『くさや』だ。


 なんともおかしな光景に気が抜けた。待ち合わせ時間までまだ少しだけ時間はあるし、少しまことと話して頭のなかを整理しようか。

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