第35話 作戦は破綻するもの

ごうを囮に使って相手を消耗させる)

(リスクを取って点を取りにいく)


 相手が作戦を変えてくると確信した場合、ハーフタイムでの作戦会議の重要性は、細かな微調整ではなく、大筋の戦略を決めることにある。なぜなら、仮定した条件のほとんどが砂上の楼閣のごとく脆くはかないものだからである。


 まことは、1人でサッカーをするようになる前は戦略というものを理解しながら動いていた。今でも、その経験を基礎に戦略を立てることはできるだろう。けれど、全体会議においては作戦を聞く側に回っていた。それは、灯理ともりたちの立てる作戦が自分の作戦よりも論理的で、チーム全員が納得しやすいものであると判断したことと、先ほど述べたように、この作戦がフィールド上では崩れることを理解していたからだ。戦略は試合中随時更新し、全体会議はチームの意志を統一するために利用するべきだと考えたのだ。


 そして現在、両チームが立てた作戦は、中央での力戦という形で崩壊した。FC vanguard陣営は、想定を上回る敵の攻勢に中盤でのキープへ甚大な労力を割かされ、大国天原おおくにてんばら陣営は、ごうまことへの対応が後手に回り、ごうを完全にフリーにするという甚大なリスクを背負わされていた。


 全ては、オフサイドラインが原因だった。大国天原おおくにてんばらが、ごうにパスを出させないためにまず最初にとった戦法は、オフサイドラインの引き上げだった。オフサイドは、ざっくりいうと敵のDFより後ろでの待ち伏せ行為を禁止するルールで、これによって、ごうへのロングパスは反則となった。


 しかし、唯一両者の戦略と予想が噛み合っていた場、すなわちまこと大河内おおこうちのマンマークペアが状況を再び裏返す。まことは、大河内おおこうちを引き付けオフサイドラインを強制的に下げさせた。これによって、大国天原おおくにてんばら陣営は、ごうのマークか中盤のボール奪取かの二択を強いられ、リスクを取った。


「さて、どうするか。」


「……。」


 マンマークというのは、マークにつく側もつかれる側も同じぐらい疲れる泥臭い戦法だ。マークにつく側は、相手を自由にしないために、決して相手の背中から手を離してはいけない。マークされる側はそれがうっとうしく、思ったようにプレーさせてもらえなくなる。


 本来であればこのような図式が成り立つ戦法だが、この場では違った。まことは、ほぼ何も感じていないほどにストレスフリーな精神状態であるのに対し、大河内おおこうちは、この作戦が机上の空論でしかなかったことを、実際に作戦を実行してから気づいてしまった。


(理論的には簡単だったんだ。誰でも倒せるけど厄介な相手だから、こいつにかき乱されないよう担当者を決める。でも、その他の脅威に目がいっちゃって誰も触れなかったけど、こいつの素のスペックってとんでもねぇんじゃねの?)


 ボールを持っているまことならまだしも、ボールを持っていないまことにマークを付けることは可能なのか。不可能であるならば、むざむざオフサイドラインを下げさせられているこの現状を変えるために、自分は前に出るべきじゃないのか。まさに今失敗を犯していることを知らせるかのように体が嫌な熱を帯びていく中、その疑念が大河内おおこうちの脳内を駆け巡る。


「そういやさ……」


 大河内おおこうちの思考を妨げるように、まことが声をかける。


「あんたって30m走どんな感じ?」


「30m…?は、分からないけど、50mなら6秒台だ。」


「そう……か。そういう感じか。まぁいっか。」


「急にどうしたんだ?」


「いや、こうやって棒立ちしてるのも飽きたかなと思ってさ。」


 その言葉に、大河内おおこうちは最悪の未来を予期せざるを得なかった。まことの顔が好戦的な笑みに染まっていく。


「楽しい楽しい鬼ごっこといこうか。」



・ ・ ・ ・ ・



「クッ…ソォ!」


 突如走り出したまことの初速は、大河内おおこうちをあっという間に置き去りにしてしまう速さだった。ただ速いだけでなく、動き出しすら把握できなかった。そんな離れ業を可能にしたのは、まことのハムストリングスと、独特の走法にあった。


 人間の脚の裏側には、ハムストリングスという加速筋が存在する。そして、それに連動するように脚の裏側の筋肉は加速に役立っていると言う。まことの脚は、正面から見れば思ったよりもスラッとしている。世界一の脚力を持つにもかかわらず、一般的なプロ選手と同等程度の細さだ。だが、横から見ると、異様に発達した加速筋の姿が確認できる。それを見て、加速筋の存在を知っているものたちは、まことの狂気を垣間見る。


 だが、まことの狂気はそこで終わらない。この加速力を手にしてなお、まことは相手に動き出しを読まれたら意味が無いと考えた。その末に辿り着いたのが、かかとでのスタートだった。


 つま先は本来ブレーキの為に用いられるもので、加速するためだけならばかかとだけで事足りるという説がある。かの宮本武蔵も、つま先は脱力し、かかとに溜まった圧力の反作用で踏み込みを行っていたそうだ。これによって、微弱な重心移動からの爆発的な加速を可能にしたまことは、相手に初動を察知されることなく走り出すことが可能になった。


 そんな超人的な行動を踏み台にしてまことが目指したものは、混乱した場の虚を突くこと。技と技のぶつかり合いによって弾けたボールへ、敵の背後からまことが飛びかかる。完全に虚を突かれた大国天原おおくにてんばら陣営が動き出す前に、まことはボールを前へ蹴り出した。


 その行為に最も驚かされたのは、まことを追っていた大河内おおこうちだった。他のメンバーはごうにパスを通されたと思い込んでる中、彼だけが、ごうにパスを出すことが反則の状況であることを知っていた。なぜなら、彼がまことを追ったことによって、オフサイドラインが上がっていたから。誰もがごうのほうを見る中、1人ボールを目で追っていた大河内おおこうちは、まことの行為の意味を知り、進路を直角に変更した。


 まことのパスは、中央のごうとは程遠い右サイドへと蹴り出されていた。左サイドにいた大河内おおこうちは全力でそこに向かおうとしたが、遅かった。FC vanguardの走り屋、火囃ひばやし かけるがそこへ駆けこんでいた。ペナルティエリアまで入り込んだかけるへ追いついた天津あまつは、かけるに渾身の大技を食らわせるが、既にかけるは後方のまことへパスを出していた。


 ペナルティエリア中央でボールを受け取ったまこと。しかし、落雷からかけるが意識を取り戻すよりも、右往左往した結果奇跡的に中央にいた大河内おおこうちまことの背後へたどり着くほうが早かった。


(取れる。)


 そう思った大河内おおこうちまことへ襲い掛かろうとしたその瞬間、背中を向けているまことの頭上から大河内おおこうちの頭を超えるようにボールが飛んでいった。その着地点を確認するように振り返った大河内おおこうちが見たのは、チーム全体で最も警戒しておかなければいけなかった巨人だった。


大河内おおこうち!!」


 ごうへ迫るように走ってくる南方みなかたが、大河内おおこうちの絶望をかき消すように声をかける。場を支配する重力の外から、挟み込むように2人が技を展開した。


原初の一撃ドグマ


 無慈悲に放たれたシュートが、大国天原おおくにてんばらへと襲い掛かる。


 

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