第15話 それぞれの原点

 夕日が山に隠れ、目に優しいオレンジ色が夜に飲み込まれていく頃、俺たちはいつも使っている練習場がある自然公園の中を歩いていた。会話もなく、視界も暗くなってきたせいで、夏の騒がしい音や、少ししつこい自然の匂いがより強く感じられた。

 結局、どちらからも会話を切り出せずに練習場に着いてしまった。一応ボールを持って来はしたが、だいぶ見辛いな。それもまた楽しいか。


きずな。」


 会話のきっかけづくりにきずなへボールをパスする。あえてバウンドするように出した意地悪なパスを、きずなはやりづらそうにトラップする。なんとかボールを足元に収めたきずなは、仕返しするようにサイドスピンをかけたパスを出してきた。


「甘い甘い。」


 そう言いながら、俺は難なくそのパスをトラップする。夜の闇に邪魔されてうまくきずなの顔を認識することはできないが、微かに笑う声が聞こえた気がする。

 さて、ぼちぼち本題に移ろうか。


きずなは~、なんか悩みとかないか?」


 会話のボールを渡すように、緩くパスをする。


「メンバーが集まらないことかな~。」


 きずなからも同じようなボールが返ってくる。


「それはもちろん手伝うけどさ~、なんかもっと、きずな個人に関する悩みとか。」


 俺の中で緊張が走る。踏み込みすぎではないか。まだきずなのことを完全に知らないが故の不安が渦巻いていた。

 そんな俺の気持ちを空振らせるようにきずなは、


「特にはないかな~。」


 と、ボールを返してきた。


「そっか~。」


 意を決した質問は不発に終わった。寂しいと同時に悔しかった。かつて1人で悩みを抱えることにあれほどまでに苦しんだというのに、いざ友人を救おうとなったら悩みを聞くことすらできない。お母さんみたいに上手くいかない。印象的な部分は思い出せるが、そこに至るまでの過程が再現できない。きずなの悩みを解決するはずだった俺が悩みを抱えてしまった。

 会話の無いままパス回しが続く。思考が言語化できないほどに加速してしまった結果、俺の頭は真っ白にショートしてしまった。そんな俺が出すパスを、きずなは何も文句を言わず返してくれていた。人間力の差を痛感した。きずなは幼いころから様々な人と交流していて、良い学校に行って、自分でチームを作る行動力もある。対して俺は、ずっと一人でサッカーだけをしてきて、学校には行かず、自分で環境を変えるだなんて思いつきもしなかった。全く違うのだ。それこそ、一度サッカーという枠を出てしまえば赤の他人と言っても過言ではないほどに俺たちは違う。

 どこか驕りがあったのかもしれない。自分の得意分野で上手くいっていたというだけで、サッカーを取ったら俺はただの食いしん坊でしかない。お悩み解決の専門家じゃないんだ。そんなただの友人に、いきなり「個人的な悩みはないか?」なんて聞かれて素直に話すだろうか。俺なら遠慮する。でも、それでも、きずなの悩みを解決してあげたい。背負ってる荷物を少しでも軽くしてあげたい。肩代わりしてあげたい。俺には大したことはできないけど、できる限りの精一杯を伝えようと思った。



・・・



 「俺ときずなは全然違うよな。」


 何も考えず心地よくパス回しをしていたら、まことが不意にそう言ってきた。


「そうだね。」


 私は未だに何も為せていないのに対して、まことはまだ出会って間もないにもかかわらず大きなことを為した。だから、ここでまことに私個人の悩みを打ち明けるなどという不甲斐無いことはできない。

 ならば、チームの課題解決の協力を約束してもらえた段階でパス回しを切り上げればよかったじゃないか。心地よさに甘えてしまった。こんなにも差がある私たちが、ボール一つを通して繋がれているような感覚に浸っていたくなった。本当に、不甲斐無い。


「俺はきずなみたいに色んな大人と話したことないし、学校とかも行ってないから勉強もサッパリだ。サッカーだって、文字通りいる世界が違うしな。」


 まことの違いは、私の違いと似たものだった。己が相手よりも劣っているという意味での違い。ただ、私が実績の違いと考えていたのに対して、まことは環境の違いについて考えていた。

 …劣った環境に生まれながらも私より活躍している人間に、私の苦悩は分からないだろう。自分でも吐き気を催すような言い分が頭に浮かんだ。


「そんな俺じゃ、きずなが悩んでいる理由を理解できないだろうし、ましてやスパッと解決!!なんてことは到底できないと思うんだ。」


 思考を読まれたかのような発言にギクッとした。まさかまことがそう言うとは思わなかったから、その衝撃はなおさらだった。今までも世間の常識を超えて自身の望みを叶えてきたまことのことだから、今回も私の悩みを晴らすという望みを全身全霊で叶えにくると思っていた。話の着地点を見失った私は、まるで手品の結果を待つ幼児のような心持ちでまことの言葉を待った。


「けど…」


 ごくり、と固唾を呑む。


「一緒に頭を悩ませるぐらいのことはできるつもりだから。だから、もし一人で背負うのが苦しくなったら、いつでも話してくれよ。」


 その言葉は、とても自信がなくて、拍子抜けで、けれど、まことのありのままの優しさを感じられる言葉だった。思わずため息が漏れてしまうほどに、自然な気持ちになれた。その余韻を楽しむように足元のボールをこね回していると、闇に浮かぶまことの輪郭がそわそわと落ち着きなく動き始めた。また笑みが漏れた。


「随分と自信がないみたいだね。」


「仕方ないだろ。サッカー以外のことは自信ないんだよ。」


「そうだったね。……ありがとう。少し肩の荷が下りたよ。」


「そうか。良かった。」


 会話の余韻に浸るように数回パスを交わした後、「帰るか。」と、まことが切り出した。もうだいぶ夜も更けてきた。それが良いだろう。


まこと。」


 ただその前に、少し話をしたくなった。


「少し寄り道していかない?」


 そうして私たちは、自然公園の森の中にある段ボール小屋へと向かった。



・・・



 きずなに誘われて辿り着いたのは、俺が最初にこの世界で目覚めた場所だった。きずなが暗闇を携帯のライトで照らしながらボロボロの段ボール小屋へと入っていく。きずなはクモの巣を慣れた手つきで処理した後、かつて俺の自室が写っていた写真を持って出てきた。


「これが私。」


 ライトで照らした写真の中央を指差しながらきずながそう言う。その指の先には、くしゃくしゃの笑顔を携えた少年がいた。その顔は、今のきずなからは想像できないほどに無邪気なものだった。俺が疑いの目できずなのほうを見ると、それを察したきずなが無理矢理顔をくしゃくしゃにする。正直あまり似ていない。頑張ってくれたのに申し訳ないが、こらえきれなかった笑いが暴発した。その俺の様子を見て、きずなは苦笑していた。


「両隣の2人ははなぶさ天魔てんまか?」


「そうだよ。」


 一通り笑い終えた俺は、再び写真の話題に戻った。きずなの2人の幼馴染のことを聞くと、きずなは過去を懐かしむように話し出した。


「小さいころはしょっちゅう2人と遊んでてね。この秘密基地も、サッカーの特訓所として作ったんだ。これはその時に撮った写真。」


 秘密基地の話をしていたときは朗らかだったきずなの声が、徐々にトーンダウンしていった。


「中学校を卒業した後、私は学業に専念する道を取ったんだ。2人には何も話さず。周囲の期待に応えるために学業以外の全てを断とうとした。でも、できなかった。そして、恥知らずにもまたサッカーに戻ってきた。だから、せめて今まで捨ててきたものに見合うような夢を叶えようと思った。テンとリクに恩を返せて、周囲の期待を裏切ったわけではないと示せるような自分にとって理想のチームを作ろうとした。だけど、そのどれも上手くいかない。そう絶望したときには、気づいたら自分の理想まで分からなくなってしまっていた。やりたいことは山のようにある。けれど、それが理想かと問われれば違うんだ。こんなんだから上手くいかないのだろうね。」


 きずなは自分自身に失望するように息を吐いた後、おどけるように肩をすくめた。こんなこと言われても困るよね、といった様子だった。

 対する俺は、少し嬉しい気持ちに包まれていた。悩みを話してくれたこともそうだが、きずなの悩みに自分が共感できることも嬉しかった。何も理解できず、頭を悩ませるだけになると思っていただけに、無力な自分への恨めしさがスッと消えていった。


「理想って、気づいたら見失ってるよな。」


まことも経験があるのかい?」


「あるよ。こんなところが共通点になるなんて、なんか複雑な気分だな。」


 「そうだね」と、きずながほほ笑んだ。そして、俺の話を聞かせてくれと言わんばかりに近くの切り株へ腰を掛けた。俺も近くにあった木にもたれかかって話を続ける。


「最初はただなんとなく楽しいからやってたんだ。でも、お母さんとの約束とか、お父さんとの関わり方とか、チームを破綻させてしまった責任とか、後戻りができなくなってしまったような焦燥感とか、いろんなものが重なって沼にはまっちまった。そして、理想がなにかも分からないまま行きつくところまで行きついてしまった。」


 あの頃の絶望感を思い出して気が重くなる。一緒に頭を悩ませることによる解放感よりも、果てしない悩みへの憂鬱のほうが募ってしまいそうだ。でも、その絶望感が形になることを俺は知っている。


「そのときの絶望は、否応なく俺の積み上げてきたものを否定した。でも、そのおかげで、何のしがらみもない純粋な俺自身の理想を見つけることができた。俺の理想を包み隠していたごてごてしたものを、絶望が削ぎ落したんだ。」


 「結局、その理想を叶えられる環境が無いことに気づいてまた絶望するんだけど」と、おちゃらけた様子で付け加えた俺の言葉に、きずなは反応しづらそうに笑った。でも、こっちの世界に来ることができたからそれも解決した。


「だから、きずなが理想が分からなくなって絶望したんだったら、きっとすぐに理想に辿り着けるさ。とんでもなく苦しいだろうけどな。」


「…そっか。」


 大して間を置かず、きずなが小さく笑った。


「結局お悩み解決できてしまったね。」


「運が良かったな。」


まことがそう言うなら、そうなんだろうね。」


「……また、不甲斐無いとか思ってんじゃないだろうな。」


 悩みが解決したというのに、どこか気落ちした様子のきずなに問いかける。


「…そうだね。」


 誤魔化そうと逡巡した様子が見えたが、結局素直に答えることにしたようだ。まったく、


「それに関してはちゃんと文句あるからな。」


 そう言った俺をキョトンとした顔で見てくる。


「お前自信がこのチームのことをあぶれ者の集まりって言ったんだぜ。不甲斐無くていいじゃねぇか。むしろ、あぶれ者どもを束ねるリーダーなら、そんぐらいさらっとやってもらわなきゃ困るぜ。」


「不甲斐なくていい?」


「そう!あぶれ者精神極まりすぎて全然集まらないやつらのことを見習って欲しいもんだ。」


 「不甲斐なくていい」と、繰り返しその言葉を咀嚼したきずなは、点と点が繋がった納得感で全身を緩ませると、小さくつぶやいた。


「原点回帰ってやつか。」


 満足のいく答えに辿り着けたようだ。本当に、今日絆きずなと話せてよかった。



・・・



 行きとは打って変わって、俺たちは楽し気に話しながら山を下りた。


「まだ帰らないの?」


 「練習場に戻る」と言った俺に、きずなが心配そうに問いかけてくる。


「やんなきゃいけないことを思い出したからさ。」


 きずなは何やらいろいろ言いたいことがありそうだったが、諦めたように大きくため息をついた。


「その様子じゃ、何を言ってもやめる気はないんだろう?」


「えへへ。」


「まったく…。怪我にだけは気を付けてね。」


「あいよ。」


 遠くなっていくきずなを見送って、俺は再び練習場へと向かった。俺がこのチームに誓った約束を守るために。

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