第16話 信頼の橋
トラウマから逃げることに耐えられない。
そんな僕の、『俺』の考えを一蹴するように、
憤りをぶつけるように廃校舎でボールを蹴り飛ばす。以前までは、暴力の化身を出してシュート技を使うことができていた。だが、今それをやろうとするとフラッシュバックによって技どころではなくなってしまう。今まではあの惨劇の再発を防ぐための必要悪と割り切れていたが、真剣に向き合わざるを得なくなった今、割り切ることなど到底できなくなっていた。
贖罪のためにはトラウマと向き合う必要がある。けれど、そのトラウマを乗り越えられる気がしない。贖罪とトラウマの板挟みにあい、ストレスが増大する。このままではまた誰かを傷つけるような暴走を引き起こすかもしれない。
その思考がよぎった瞬間、
今日何度目かも分からないフラッシュバックに、精神が限界を迎えた。限界を迎えた程度で止まるような自戒を繰り返していたことに呆れる。結局、自分を責める行為もトラウマから逃げる口実に過ぎなかったのだろう。実際、過去を反芻するばかりで何も為していない。
……はぁ。負の感情だけを増大させる箇条書きの思考が指数関数的に膨張していく。自分でも、自分の何を責めているのかすら整理すらできないほどに思考は加速していった。その思考の中に潜んでいたのか何なのか分からないが、ふと練習場に向かいたくなった。時刻は深夜2時。誰もいない場所に何の目的で行くのか。何となく理由はある気がするが、……はぁ。
・・・
彼がここへ出向いた潜在的な目的はもう一つある。自身の逃亡にハリボテの正当性をつけることだ。約一年間、彼はこの場所で練習をしてきた。その努力が正解の方角を向いていたかは置いといて、贖罪の為に日々懸命に努力していたというのは事実である。少し触るだけで一瞬にして崩壊してしまうような正当性であり、その崩壊は誰でもない
そんな
・・・
練習場に着いた
「こんばんは~。」
深夜2時にリフティングをしている人間とは思えないほどの穏やかな声は、聞き覚えのある男の声だった。
「
「おぉ!
謎の怪異の正体は
「こんな時間に何してんだよ。」
「そりゃお互い様だぜ。」
愉快そうに笑う
「笑ってる場合じゃないだろ。その怪我。」
「こんなんでも案外動けるもんだぜ。」
「動ける動けないに関わらず安静にしておくべきだろ。少なくともこんな時間にリフティングなんかしてる場合じゃない。」
「ごもっともで。」
理解は示すが、言うことを聞く気はさらさら無いという態度だ。
「……何のためにこんなことしてるんだ。」
もうどんな忠告も意味をなさないとあきらめ、改めて目的を問う。「う~ん」と唸りながら
「約束したから。」
「約束?」
「そう。『俺がお前らの光になってやる』っていう約束。」
「その約束ならもう果たしただろう。」
そう。あの一点は確実にチームの光となった。なのに、なぜ今もなおその約束に固執するのだろう。
「一瞬だけじゃかえって苦しめるだろう。ずっと光にならないと。」
考えてみればその通りな答えが返ってきた。約束を守るという手段が目的になっているのではなく、あくまで俺たちを導く光になることが
「深夜にここでボールを蹴ってればそうなれると思ったのか?」
「光とまではいかなくても、帰る場所に人がいたら安心するかと思ってさ。」
「誰も来なかったら何の意味もなさなかっただろうに。」
「そうだな。でも、やるべきだと思っちゃったからしょうがない。」
意味をなさない可能性を考慮したうえで、自分がやるべきだと思ったからやるという結論に辿り着く頭を羨ましく思った。自分がその一歩を踏み出せてない分、その思いはより強いものとなった。
「なぜそんなに自信を持てる?」
一歩を踏み出す恐怖に打ち勝てるほどの自信はどこから湧いてくるんだ。迷宮入りしてる自問自答を脱する鍵に手を伸ばすように問を投げかけた。
「別に自信はないよ。」
返ってきた答えは、予想の斜め上のものだった。前向きで考え無しな自信が返ってくると思っていた。
「自信はないって、なぜ?」
「なぜって、サッカーじゃ基本勝てることないし、サッカー以外はてんでだめだしで、逆に何に自信を持てと?」
それもそうか。度重なる大活躍で忘れていたが、
「じゃあ、なんでそんな自信満々に行動を起こせるんだ。」
「それは…」
考えもしなかった、というような様子で言葉を詰まらせた
「できる自信はないけど、その道を進むと決めた自分のことは信じてるからじゃない?」
子供が無邪気に今日発見した事柄を伝えるように、嬉々として教えてくれた。聞いた側よりもすっきりした様子で、ご機嫌だった。一方の自分は、その自己肯定感の高さに打ちのめされそうになっていた。聞いた瞬間はその通りだと納得いったが、能力的な自信が無くとも、そこまで自分を信じることができるものなのか。なぜその道に間違いが無いと信じ切れるのか。
「なぜ自分を信じ切れる。」
「たくさん失敗してきたからじゃないか?」
「どういうことだ?」
「たくさん失敗して、それでも今ここにいるのだから、この先もきっと大丈夫だと思うんだ。」
楽観的というには根拠が伴っているような雰囲気を感じる。少なくとも、ただ悲観的になっている自分よりかは、確かな足場の上で楽観的にものごとを見ているように感じた。なぜだ。なぜそんなに……。
「…取り返しのつかない失敗をしていたらどうしたんだ。」
「それも背負って生きていくよ。」
「それを人が許すと思うのか?」
「多分大丈夫だと思う。」
「なぜそう思える?」
「そんな俺でも信じてくれる人がいるから。」
それは甘えじゃないのか。他者に甘えて自分の行いを正当化しようとしているだけじゃないのか。何よりも、そいつらがお前を見限ったらどうするというのだ。
「手のひらを返されるとは思わないのか。」
「少なくとも、今は大丈夫だと思うぜ。」
「…あいつらに全幅の信頼を置いているということか。」
「自分は入ってないみたいな言い草だな。」
「はなから裏切ってるようなものだ。信頼される資格はない。」
「俺は信頼してるぜ。」
「綺麗ごとだな。」
「綺麗ごとはこっちのセリフだ。あのとき、俺のことを信じてくれたのはお前だろ。」
「なに?」
「
「違う、あれは…」
失敗すれば自分を肯定できると思ったから。その言葉が口から出てこなかった。信頼される資格など無いと言っておきながら、その信頼を裏切ることが怖かった。言葉の続かなくなった俺を見て、
「一体お前に何があって何を思ってるかは分からないけど、あのときお前が俺のことをちゃんと見たうえでなお信頼してくれたから、俺はこれからも、例え取り返しのつかない失敗をしたとしても、自分を信じて生きていける。」
やめてくれ。また、望んでしまう。光に手を伸ばしてしまう。俺には、僕には、
「……僕が取り返しのつかない失敗をしていたらどうする。誰かの人生を終わらせかねないことをしていたら…。」
「俺はお前の生き様を信じる。」
「その罪から逃げようとしていたとしても?」
「それも含めて生き様だろう。好きに逃げればいい。俺も好きに信頼する。」
甘えとも依存とも違う、お前はお前、俺は俺、その前提のもとに成り立つ危なげながらも確かな信頼の橋。
もう何も不安は無くなっていた。できるかどうかの自問自答は消え、やるかやらないかの二択に変わっていた。あとは自分に打ち勝つだけだ。
そう覚悟を決めたと同時に、
「
「どうしたんだよ、じゃないよ!まさかこんな時間まで外にいるだなんて思わなかった……って、
親しい関係ではないが、お互いに腹の内を知った者同士である
その空気を破ったのは絆だった。
「明日…というか、もう今日か。練習には来るのか?」
ここにいる理由やその他の詳細なことには触れず、事務的にこちらの意志を確認してきた。これもまた信頼なのだろう。
「少し、時間を貰う。」
自分と嘘偽りなく向き合う時間が欲しい。ただ、その言葉が2人を不安にさせることは分かっていた。2人は、俺が試合に出てくれないかもと思うだろう。だから、自分の逃げ道を消すためにも、決意を伝える。
「試合には絶対出る。だから、待っててほしい。」
「「分かった。」」
何を聞くでもなく信じてくれた。そして、駄々をこねる
他者への信頼は甘えで、その行為は相手に迷惑をかけるものだと思っていた。ただ、それは少し視点をずらすだけで嘘みたいに姿を変えてしまった。能力や性格の一部だけを信頼するのではなく、お互いがお互いの道を歩んでいて、その道を互いに尊重し合えるという関係。この関係を一方的な甘えにしたくない。あの二人だけじゃなく、俺を支えてくれた母や、
俺は自分自身に打ち勝つ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます