第16話 信頼の橋

 トラウマから逃げることに耐えられない。

 

 きずなまことが信頼関係を深めていた一方で、神住かすみは孤独に己と戦っていた。向き合えば気が狂ってしまうようなトラウマから、逃げることすら苦しくなっていた。望まない巨大な力がもたらした悲劇と向き合わなければ、良心が崩壊してしまいそうだった。

 

 英熱えいねつ高校との試合でまことに手を貸さなければこんなことにはならなかったのに。なんで手を貸してしまったんだ。どうせ点を取れるはずがないと思っていたんだ。本来の力を使って手助けしたところで何も変わらなければ、贖罪として選んだ守備の道が逃げではなく、過去の反省を踏まえた理想的なスタイルであると証明できる気がしていた。

 

 そんな僕の、『俺』の考えを一蹴するように、まことは点を勝ち取った。その瞬間から、自分の理屈の根幹に逃げの意志があることを分からされた。贖罪の道を歩んでいるというのに、他者に救いを求めていることに気づかされた。贖罪を大義か何かにすり替え、他者にその行動を認めてもらおうとしていた。信頼にかまけて他者に甘えていた。そんなことをして何になる。

 

 憤りをぶつけるように廃校舎でボールを蹴り飛ばす。以前までは、暴力の化身を出してシュート技を使うことができていた。だが、今それをやろうとするとフラッシュバックによって技どころではなくなってしまう。今まではあの惨劇の再発を防ぐための必要悪と割り切れていたが、真剣に向き合わざるを得なくなった今、割り切ることなど到底できなくなっていた。

 

 贖罪のためにはトラウマと向き合う必要がある。けれど、そのトラウマを乗り越えられる気がしない。贖罪とトラウマの板挟みにあい、ストレスが増大する。このままではまた誰かを傷つけるような暴走を引き起こすかもしれない。

 

 その思考がよぎった瞬間、英熱えいねつ高校戦で対峙することとなったあの惨劇の被害者、獅子神ししがみ 阿狛あこまの顔の傷を思い出した。ぐったりと座り込んでいる阿狛あこま、破壊された部屋に降り注ぐ雨、滲んでいく血、遠くに聞こえる誰かの声。

 

 今日何度目かも分からないフラッシュバックに、精神が限界を迎えた。限界を迎えた程度で止まるような自戒を繰り返していたことに呆れる。結局、自分を責める行為もトラウマから逃げる口実に過ぎなかったのだろう。実際、過去を反芻するばかりで何も為していない。

 

 ……はぁ。負の感情だけを増大させる箇条書きの思考が指数関数的に膨張していく。自分でも、自分の何を責めているのかすら整理すらできないほどに思考は加速していった。その思考の中に潜んでいたのか何なのか分からないが、ふと練習場に向かいたくなった。時刻は深夜2時。誰もいない場所に何の目的で行くのか。何となく理由はある気がするが、……はぁ。



・・・



 神住かすみ 天地あまつちに限らず、人間というものは自信がないと目の前の事象から逃げ出したくなるものだ。罪を償える自信が無い、小説を書き終える自信が無い、夏休みの宿題を解ける自信が無い。やりたいことではあるが、どうしようもなく自信が無い。そんなどうしようもない自信の無さを紛らわすために、自分の習慣として染みついた楽な作業をやろうとする。だから、自身の過去を振り返るのに疲れた神住かすみが、習慣のように通っていた練習場へ足を向けたのは不思議なことではないのだろう。

 

 彼がここへ出向いた潜在的な目的はもう一つある。自身の逃亡にハリボテの正当性をつけることだ。約一年間、彼はこの場所で練習をしてきた。その努力が正解の方角を向いていたかは置いといて、贖罪の為に日々懸命に努力していたというのは事実である。少し触るだけで一瞬にして崩壊してしまうような正当性であり、その崩壊は誰でもない神住かすみにとって深刻な精神ダメージを与えることになるが、その場所にたどり着くまでは良い思い出に浸っていられるだろう。

 

 そんな神住かすみにとって、練習場で待つ男の存在は良いものになるのか、はたまた悪いものになるのか。



・・・



 練習場に着いた神住かすみは、深夜二時にも関わらず何者かが練習場にいることに気づいた。時折サッカーボールのようなものが高く上がるところから、サッカーのリフティングでもしているのだろうと推測できた。それにしても静かだ。自然公園内の自然のさざめきに比べるとほぼ無音と言っていいほどの静かさでボールを操っている。しかも、かつて見たことないほどに洗練されており、一つの舞であるかのように流麗だった。ぼんやりとしか視認できないことと、その超人的な美しさに、怪異か何かではないかと疑ってしまうほどだった。魅かれるように練習場内へ足を踏み入れると、その存在が動きをピタリと止めた。


「こんばんは~。」


 深夜2時にリフティングをしている人間とは思えないほどの穏やかな声は、聞き覚えのある男の声だった。


まこと!?」


「おぉ!神住かすみか!」


 謎の怪異の正体は日元ひもと まことだった。先ほどまでの妖しげな美しさが嘘のように、俺の声を聴いて嬉しそうに駆け寄ってくる。


「こんな時間に何してんだよ。」


「そりゃお互い様だぜ。」


 愉快そうに笑うまことの体には、テーピングやら包帯やらがおびただしく巻かれていた。深夜にこんなところでボールを蹴っているだけでも十分に謎だったが、この怪我で愉快に笑っている様が更に謎を増大させた。


「笑ってる場合じゃないだろ。その怪我。」


「こんなんでも案外動けるもんだぜ。」


「動ける動けないに関わらず安静にしておくべきだろ。少なくともこんな時間にリフティングなんかしてる場合じゃない。」


「ごもっともで。」


 理解は示すが、言うことを聞く気はさらさら無いという態度だ。


「……何のためにこんなことしてるんだ。」

 

 もうどんな忠告も意味をなさないとあきらめ、改めて目的を問う。「う~ん」と唸りながらまことが返答に悩んでいる。伝えるべきか否かで悩んでいるようだ。そんな真剣に悩むほどの意図がこの行動に含まれているのだろうか。

 

 神住かすみが更に深まる謎に首をかしげていると、自問自答に決着がついたまことが、ぱっとこちらに向き直った。


「約束したから。」


「約束?」


「そう。『俺がお前らの光になってやる』っていう約束。」


 神住かすみの脳裏に、英熱えいねつ高校戦の熱がよぎる。その約束は、現在後悔している手助けの原因となった言葉だった。だが……


「その約束ならもう果たしただろう。」


 そう。あの一点は確実にチームの光となった。なのに、なぜ今もなおその約束に固執するのだろう。


「一瞬だけじゃかえって苦しめるだろう。ずっと光にならないと。」


 考えてみればその通りな答えが返ってきた。約束を守るという手段が目的になっているのではなく、あくまで俺たちを導く光になることがまことの目的なのだろう。ただ、その目的を達成することと、深夜に1人で練習場にいることのつながりがつかめない。


「深夜にここでボールを蹴ってればそうなれると思ったのか?」


「光とまではいかなくても、帰る場所に人がいたら安心するかと思ってさ。」


「誰も来なかったら何の意味もなさなかっただろうに。」


「そうだな。でも、やるべきだと思っちゃったからしょうがない。」


 意味をなさない可能性を考慮したうえで、自分がやるべきだと思ったからやるという結論に辿り着く頭を羨ましく思った。自分がその一歩を踏み出せてない分、その思いはより強いものとなった。


「なぜそんなに自信を持てる?」


 一歩を踏み出す恐怖に打ち勝てるほどの自信はどこから湧いてくるんだ。迷宮入りしてる自問自答を脱する鍵に手を伸ばすように問を投げかけた。


「別に自信はないよ。」


 返ってきた答えは、予想の斜め上のものだった。前向きで考え無しな自信が返ってくると思っていた。


「自信はないって、なぜ?」


「なぜって、サッカーじゃ基本勝てることないし、サッカー以外はてんでだめだしで、逆に何に自信を持てと?」


 それもそうか。度重なる大活躍で忘れていたが、まことが自信をもてるような環境はここにはない。


「じゃあ、なんでそんな自信満々に行動を起こせるんだ。」


「それは…」


 考えもしなかった、というような様子で言葉を詰まらせたまことは、自身の中にあるその理由を探し当てるために天を仰ぎ始めた。明らかに存在する自信の出所に言葉を与えようとしているその様子に期待で胸が膨らむ。まことは体が傾ける全ての角度に傾きながら考えた後、ピンと来た様子でその理由を教えてくれた。


「できる自信はないけど、その道を進むと決めた自分のことは信じてるからじゃない?」


 子供が無邪気に今日発見した事柄を伝えるように、嬉々として教えてくれた。聞いた側よりもすっきりした様子で、ご機嫌だった。一方の自分は、その自己肯定感の高さに打ちのめされそうになっていた。聞いた瞬間はその通りだと納得いったが、能力的な自信が無くとも、そこまで自分を信じることができるものなのか。なぜその道に間違いが無いと信じ切れるのか。


「なぜ自分を信じ切れる。」


「たくさん失敗してきたからじゃないか?」


「どういうことだ?」


「たくさん失敗して、それでも今ここにいるのだから、この先もきっと大丈夫だと思うんだ。」


 楽観的というには根拠が伴っているような雰囲気を感じる。少なくとも、ただ悲観的になっている自分よりかは、確かな足場の上で楽観的にものごとを見ているように感じた。なぜだ。なぜそんなに……。


「…取り返しのつかない失敗をしていたらどうしたんだ。」


「それも背負って生きていくよ。」


「それを人が許すと思うのか?」


「多分大丈夫だと思う。」


「なぜそう思える?」


「そんな俺でも信じてくれる人がいるから。」


 それは甘えじゃないのか。他者に甘えて自分の行いを正当化しようとしているだけじゃないのか。何よりも、そいつらがお前を見限ったらどうするというのだ。


「手のひらを返されるとは思わないのか。」


「少なくとも、今は大丈夫だと思うぜ。」


「…あいつらに全幅の信頼を置いているということか。」


「自分は入ってないみたいな言い草だな。」


「はなから裏切ってるようなものだ。信頼される資格はない。」


「俺は信頼してるぜ。」


「綺麗ごとだな。」


「綺麗ごとはこっちのセリフだ。あのとき、俺のことを信じてくれたのはお前だろ。」


「なに?」


英熱えいねつ高校と戦ったとき、神住かすみは何の信頼にも値しない無能力の俺を信じてボールをつないでくれただろう。あれが信頼じゃなくて何だって言うんだ。」


「違う、あれは…」


 失敗すれば自分を肯定できると思ったから。その言葉が口から出てこなかった。信頼される資格など無いと言っておきながら、その信頼を裏切ることが怖かった。言葉の続かなくなった俺を見て、まことが言葉を続ける。


「一体お前に何があって何を思ってるかは分からないけど、あのときお前が俺のことをちゃんと見たうえでなお信頼してくれたから、俺はこれからも、例え取り返しのつかない失敗をしたとしても、自分を信じて生きていける。」


 やめてくれ。また、望んでしまう。光に手を伸ばしてしまう。俺には、僕には、


「……僕が取り返しのつかない失敗をしていたらどうする。誰かの人生を終わらせかねないことをしていたら…。」


「俺はお前の生き様を信じる。」


「その罪から逃げようとしていたとしても?」


「それも含めて生き様だろう。好きに逃げればいい。俺も好きに信頼する。」


 甘えとも依存とも違う、お前はお前、俺は俺、その前提のもとに成り立つ危なげながらも確かな信頼の橋。

 

 もう何も不安は無くなっていた。できるかどうかの自問自答は消え、やるかやらないかの二択に変わっていた。あとは自分に打ち勝つだけだ。


 そう覚悟を決めたと同時に、百福ひゃくふくまことのことを呼びながらやってきた。


きずな!どうしたんだよ。」


「どうしたんだよ、じゃないよ!まさかこんな時間まで外にいるだなんて思わなかった……って、神住かすみまでいるのか。」


 親しい関係ではないが、お互いに腹の内を知った者同士である神住かすみきずなの間に気まずさがただよう。


 その空気を破ったのは絆だった。


「明日…というか、もう今日か。練習には来るのか?」


 ここにいる理由やその他の詳細なことには触れず、事務的にこちらの意志を確認してきた。これもまた信頼なのだろう。


「少し、時間を貰う。」


 自分と嘘偽りなく向き合う時間が欲しい。ただ、その言葉が2人を不安にさせることは分かっていた。2人は、俺が試合に出てくれないかもと思うだろう。だから、自分の逃げ道を消すためにも、決意を伝える。


「試合には絶対出る。だから、待っててほしい。」


「「分かった。」」


 何を聞くでもなく信じてくれた。そして、駄々をこねるまことを技で拘束した百福ひゃくふくは、黄金の荷車を押しながら帰っていった。


 他者への信頼は甘えで、その行為は相手に迷惑をかけるものだと思っていた。ただ、それは少し視点をずらすだけで嘘みたいに姿を変えてしまった。能力や性格の一部だけを信頼するのではなく、お互いがお互いの道を歩んでいて、その道を互いに尊重し合えるという関係。この関係を一方的な甘えにしたくない。あの二人だけじゃなく、俺を支えてくれた母や、吽犬うんけん、そして、阿狛あこまのためにも。


 俺は自分自身に打ち勝つ。


 

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