第33話 背番号8番 壕 如月

 まこと君がパスを求めてる。ゴール前で、センターラインを挟んで真反対の位置で待ってくれてる。ここからのロングパス……まだ、遠い。


(どうせ大したことできないだろ)


 ……おでは、おでを信用してない。


 ゆっくりと、ごうが二歩目を踏み込んだ。走ろうと力めば力むほどに、足が地面へとめり込んでいく。生身の地面を、まるで降り積もった雪の中を歩くようにずしずしと進んでいく。


(期待はずれだったわ)


 ……おでは、おでのことが一番嫌い。


 センターサークルへたどり着く前に、南方みなかた含む5枚の障壁がごうを襲う。重力の領域へ入り込んできた森羅万象を捻じ伏せるが、じわりじわりとそれはボールへと、ごうの体へと魔の手を伸ばす。重力に押しつぶされ固まった技の残骸の上に重なるように、氷柱が樹木が大地が激流が這い寄って来る。そして重力をものともしない竜巻が、ごうの体からコントロールを奪っていく。徐々に徐々に、足が踏み出せなくなっていく。自然の猛威に抗う身体からは、常人の何倍にも及ぶ筋肉が生み出す白い蒸気が湧き上がっていた。


(お前とやるサッカー…つ…つまらないんだよ)


 ……それでも、それでもおでは……。



・ ・ ・ ・ ・



 話は1年前に遡る。


「君すっごい大きいね!なんかスポーツとかやってた?」


「なにもやってないど……。」


「本当!?そりゃ好都合!!どう?一緒にサッカーやってみない?」


「えっと……。」


 高校入学直後、ごうはサッカー部の勧誘をしてた先輩に声をかけられてサッカーを始めた。サッカーどころかスポーツが苦手だったごうは、最初こそ遠慮したが、「君の力が必要なんだ!!」「絶対大物になれるよ!!」と先輩の猛プッシュもあり入部することにした。


 当然、最初の頃はシュートもパスもドリブルも何もかもまともにできていなかった。でも、その先輩は「伸びしろが凄いことになってるだけ」と冗談めかしてごうを支えてくれていた。


 そんな先輩の期待に応えたい気持ちが実ったのか、ある日、ごうはひたすらにボールをキープするためだけの技を身につけた。最初こそただの置物だと笑われたが、その状態で歩けるようになってから評価がひっくり返った。先輩も「ほら言ったろう!どうだ!俺の目に狂いはなかった!!」と、周りの人たちに対して言って回っていた。「お前とサッカーできて本当に良かった!」って言ってくれた。さすがにはしゃぎすぎたのか、3年生の先輩にたしなめられていた。


 先輩たちが「グラビティウォーク」と名付けた技で、ごうは大会でも活躍することができた。ほぼごうの力だけで勝ち上がっていた。だが、そんな快進撃に終わりが訪れる。ごうの力が通用しなくなったチームは脆く、見るも無残に敗北した。


 初めての真剣勝負での敗北に落ち込むごうを、先輩は励ましてくれた。「俺のほうが何もできなかったし」と、自嘲しながら励ましてくれた。何かモヤモヤするところはあったが、ごうの心はほとんど立ち直った。


 試合会場から帰ろうとしたタイミングで先輩の落とし物に気が付いた。幸いにも先ほど先輩が控室へ向かうのを見ていたので、そちらへと向かう。


「マジ期待はずれだったわw」

「ほんとそれw」


「あは…あはは~」


 控室へと近づくと、3年の先輩たちの笑い声の中から、世話になっている先輩のぎこちない笑い声が聞こえてきた。


「なに笑ってんの?」

「つうかあれ誘ったのお前だよね?」

「やるのも下手で目利きも中途半端とか、お前の取り柄なんだよw」


「いや…ほんとすいません……。」


「すいませんじゃなくってさ~、お前なんかをチームに入れてやってる俺らになんかないの?」

「もっといいやつ連れて来いよ。」

天帝てんてい連れて来い、天帝てんてい。」

「え、それめっちゃいいじゃん!w」


「いや、でも……ごうは…。」


「は?なに?文句あんの?」

ごう天帝てんていより強いですってか?」

「あれ誘ったのは失敗だろ。もう限界見えてるし。」

「もっと真摯に謝れよ。あいつを誘ったのは失敗でした。僕の責任です。すいませんでしたって。」


「いや、でも……。」


「なに?」


「いや……。ごうを……誘ったのは失敗でした。全部俺の責任です。すいませんでした。」


 少しの静寂の後、噴き出すように先輩たちが笑いだしたのが聞こえた。「そんなマジになんなよ」「たかがサッカーだろ」という声を背に、ごうはその場を去った。


 翌日、普段通り先輩と練習をしていると、通りがかった3年の先輩たちが「ずっこけコンビ頑張れよ~」と声をかけてきた。先輩は気まずそうに笑いながら先輩たちにお礼を言っていた。


 帰り際、先輩に昨日の落とし物を渡した。それを渡してきたごうの顔を見た先輩は、酷く自分を追い込んだような顔をした。ごうの顔が、全てを雄弁に語っていた。ごうが昨日の会話を聞いていたことを。ごうが自分の言った言葉を聞いていたことを。一緒に頑張りましょう、気にしてませんから、とごうが声をかけようと意気込んだとき、


「お前、もう部活に来なくていいよ。」


 と、先輩が言った。自分に実力が無いことを知っていた先輩は、ごうが差し出そうとしている優しさの全てを拒絶した。自分には、その道を共に行くことができないと確信していたがゆえに、これ以上無責任なことをしたくなかったのだ。戸惑うごうと目を合わせることもできないままで、せめて中途半端な終わりにはならないようになどと考えながら言葉を振り絞ろうとした。


「お前とやるサッカー!……つ…。」


(辛いんだよ)


「……つまらないんだよ…。」


 言葉を発する前は、ごうに一切の未練が残らないほどの悪者になろうと決意していた。けれど、彼にはそれすらできなかった。その結果、それが本音ではないとごうに悟られてしまう。ただ、幸か不幸か、その中途半端な言葉がごうにチームを去るという決断をさせた。本心でない言葉を言わせた。それを言わざるを得ない状態に追い込んでしまった。その事実がごうの心を追い込んだ。


 その夜、暗い山の岩壁を前に、ごうは練習をしていた。ごうの放つボールが打ち鳴らす音に反応して、1人の男がやってきた。


「こんな夜更けに何をやっている。」


 その男は、たまたまこの付近のお寺に住んでいた金獄きんごく 仁王におうだった。


「おでは……強くならなきゃ……。」


 かすれた声でそう言うごうに、仁王におうが尋ねる。


「なぜだ?」


「おでは…大事な人に酷いことを言わせだ。おでが弱いがら、へたっぴだがら、一緒に頑張れる存在になれながっだ。おでは、そんな自分がすごい嫌だ。だがら、もっともっと上手にできるようにならなきゃいけないんだど。みんなと同じみたいに、なんでも上手にできるようになんなきゃいけないんだど。」


「なるほどな。」


 思い出したように涙を溢れさせるごうを見て、少し思案にふけった仁王におうは1つごうへ提案をした。


「お前、俺のチームに入らないか?」


「え?」


 唐突な提案に困惑したごうだったが、まだ弱い自分が入るわけにはいかないと断る。だが、


「強くなりたいんだろう?」


 と、仁王におうが聞き返してくる。


「強くなりたいが場所がないからこんなところで夜な夜な練習しているんだろう?」


「そう……だけど…。」


「ならばうちに来い。」


「でも……。」


「己の弱さが悔しくて泣けるほどの熱量があるのなら構わん。来い。」


 そしてごうは、いずれまことと出会う道に一歩を踏み出した。



・ ・ ・ ・ ・



 そして現在。


 ごうの決意が決まったのは、まことかけるが得点した後の出来事が原因だった。喜びもほどほどに、まことごうのもとへ近寄る。


ごう!今の見てたか!?」


「うん!見でだ!!」


 まるで自分ごとのように喜んでいたごうだったが、本当にもう届かない場所へまことが行ってしまったような無力感も一塩だった。そんなごうの気持ちを知ってか知らずか、神妙な面持ちでまことが語りかける。


ごう。俺はついていくぞ。」


「え?」


「最初、ごうにパスを頼んだときから、ずっと悩んでたんだ。俺は一番弱いから、皆に助けてもらうことはできても、俺が助けることはできないって。そんな状態じゃ、仲間として一緒に戦うことなんかできないって。」


 まことの口から出た言葉は、かつてごうが先輩へ、そして先輩がごうへ抱いた感情と同じものだった。心の底からまことの実力を認めていたごうからすれば、思いもよらない言葉だった。


「でも、まだこれだけで証明できるかは分からないけど、俺も一緒に戦える。どんだけお前が前にいても、俺は全力でついていく。だから、俺にパスを出してくれ。ごう。」


 双方が己を弱者と思い込み、相手を強者と認めたが故のすれ違いは、この瞬間に終わりを迎えた。ごうの答えは1つだった。


「わかった。」



・ ・ ・ ・ ・



 氷河に、樹海に飲み込まれ、荒ぶる竜巻に引き裂かれそうになった状態でごうは立ち止まっていた。ミシミシと自然が軋む音が、その下に眠る筋骨の軋みを表していた。


(どうせ大したことはできない)


 おでは、おでを信用してない。なにも器用に上手にできない自分のことを信用してない。


(期待はずれだったわ)


 おでは、おでのことが一番嫌い。誰の期待にも応えられない自分が大嫌い。今だって、1年前と何も変わらないやり方で負けてる。


 でも、それよりもずっと嫌なことがある。それは、おでのことを、そしておでの大事な人たちを悪く言う人たちが自分の心に住むことを許してしまったこと。おでが自分のことを嫌いなのを理由に、勝手に君に期待して、心の中の悪者たちが言うがままに勝手に君に失望したこと。君に悪者たちを重ねてしまったこと。また同じ傷を負いたくないからって、自分がされて嫌だった、過去と今だけを見て人を評価するということを君にしてしまった。あんなことを君が言うはずがないのに。


(お前とやるサッカー……つ…つまらないんだよ)


 ずっと、ずっっと心残りだった。こんなどうしようもないおでに手を伸ばしてくれた人に何も返せなかったことが。おでの未来に賭けてくれた人たちに何もできなかったことが。だから、今度こそ、おでは……


(俺はついていくぞ)



君の誠意に応えたい



 その覚悟を切り裂くように、背後から迫ってきた天津あまつの雷がごうを貫く。一瞬の静寂の後聞こえてきたのは、吼える巨人の覚悟だった。


「おおおおおおおお!!!!」


 血管が浮き出るほどに隆起した肉体は、雷撃のしびれをそのままに森羅万象を引き千切り、竜巻の暴力のなか、そびえ立つように足を振り上げた。まことの誠意に応えるために振り下ろされたその足は、生身のままにボールもろとも道を切り開く。ごうが憧れ、しかし実らなかったみんなと同じうまさは、今この瞬間、寸分違わずまことのもとへボールを送り届ける力となった。空気抵抗を蹴散らすように振動しながら進むただのパスは、道中の敵を蹴散らしながらまことの足元へとたどり着く。


シュルル……


 先程までの破壊音が夢だったかのように、非日常的な日常が訪れた。人智を超越したパスは、何事も無かったかのようにまことの足元へと収まった。


「ナイスパス。」


 足に残る未知の感触を確かめながら、まことは嬉々としてゴールへと向き直った。



・ ・ ・ ・ ・



 ごうは気が抜けたように安堵していた。


 崩れ落ちる技と共に視線を落とそうとしていた。ようやく思いが実ったと、達成感で足を止めようとしていた。そんなごうに、サイドから怒号が飛んできた。


「止まんな!ごう!!」


かけるくん……。」



「ついていけ!!!」



 ドクンと心臓が脈打った。目線を再びパスを出した人の方へ向ける。ゴール前にそびえ立つ巨岩に立ち向かう大きくも小さい背中。同じ目線に立てた今だからこそ分かる、君が向き合ってきた現実。


今度は、おでがついていく番だ。



・ ・ ・ ・ ・



 ゴール前で、まこと国立くにたちの生み出した巨岩と向き合っていた。


「さすがに、君1人では突破できないよ。」


「そうだな。こっちにきてから、俺1人の行動の無意味さには驚かされてばかりだよ。」


 そんなまことは、その場にボールを止めると、ゴールに背を向け歩き出した。


「なにを……?」


「うちのキャプテン曰く、チーム競技というのは仲間の行動に意味を与えるからこそチーム競技足り得るらしい。」


 不吉に笑いながら振り向いたまことは、まるで誕生日のサプライズとでも言うかのように国立くにたちへ言い放った。


「チームの力を思い知れ。」



ズドオォォン!!



 突如大地を踏み破るかのように宙から落下してきたごうが、ゴールごと地盤を沈ませボールを宙に打ち上げる。走りでは間に合わない。ならば、跳べばいい。フィールド半分を飛び越す跳躍。そして、少しでも早く真の元へたどり着くために、重力加速度を増大させて生み出した超高速落下。隕石の落下にでも見舞われたかのような情景が、サッカーグラウンドに出現した。


「おおおおおおおおおおおお!!!!」


 ペナルティエリア全体を支配する場の重力が1段、2段と圧力を増すたびに、選手たちの身体の芯へ衝撃が轟く。誰にも邪魔されない空間で思うがままに振り上げられたその足は、まるで兵器か何かを思わせるほどの破壊力を場に知らしめていた。


原初の一撃ドグマ


 放たれた全身全霊の一撃は、その勢いが故に、一瞬ボールに足がめり込み歪に凹んだ状態で静止した。次の瞬間、まるでボールが空間という壁に遮られてたから動かなかったのだと言わんばかりに、バリバリバリと目の前の空間がシュートによって砕かれていく。これを止めれる未来が見える人間は、その場に存在しなかった。世界が割れるついでに破壊された巨岩の姿は、疑いようのない失点を物語っていた。


2-1



・ ・ ・ ・ ・



 全てを振り絞った先の感覚は、まるで現実感のないものだった。息を吐き出しながら、呆然とゴールネットから転がり落ちるボールを眺める。キーンという耳鳴りが静まると共に徐々に徐々に現実が湧き上がってくる。轟く歓声、ぱらぱらと落ちる土の音、そして……


ごう!」


 背中に飛び乗ってきたその人に目を向けようとして、2人そろって空中ブリッジのような形になった。そんな不器用を、自分たちの成したことを心の底から笑い合い称えあうことのできる仲間ができたよ、先輩。


「……良かったな、ごう。」


 テレビの奥で、1人の男が言った。


 怒涛の前半戦は、大喝采の中終わりを迎えた。

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