第42話 ヒーローとヴィラン

 MFミッドフィルダー舞鶴まいつる 晴己はるきDFディフェンス獅子神ししがみ 吽犬うんけん。この2人は、他に有望な人間がいた場合、真っ先にベンチ送りの候補に挙げられる程度の実力しか発揮していなかった。晴己はるきは、同じ高校の憧れの先輩であった勇牙ゆうがを追いかけるようにチームに入ったが、未だに勇牙ゆうがの力になれているとは言えない。吽犬うんけんは、神住かすみ加入の餌として自分自身を利用した結果チームに入ることになったが、それで満足したのか才能が無いのか、成長の兆しが一向に見られない。


 この2人の共通点は、他者を動機としているところにある。そして、それ故に他のメンバーよりも覚悟が弱かった。自分の正義に対する覚悟が。


 そんな2人にとって、将皇しょうこう学園の面々との交流は、己の覚悟を問うものとなるだろう。



・ ・ ・ ・ ・



 練習グラウンドがある自然公園の奥に、舞鶴まいつる 晴己はるきはいた。爽やかに流れる小川の中に立ち、頭を撫でるように吹く風へ身を任せながら、木の葉がささやく音を聞いていた。


 理想的なまでに爽やかなその空間は、そこだけを切り取れば自然の生み出した神秘のように見えるだろう。だが、実態は全く違うものだった。


 晴己はるきの半径5mより外側の世界は、夏の嫌な部分を詰め込んだような環境だった。風は全くと言っていいほど吹いておらず、湿った土が熱帯雨林のような息苦しい暑さを演出している。小川の上には周囲の雑草が伸びてきており、素足で小川に入ろうものなら、その草を伝って有象無象が這い登ってくる。


 晴己はるき周辺の理想空間は、晴己はるきの技によって作り出されていた。


「これは驚きだねぇ。」


 そう言いながら、骸骨のようにしなびた男が鬱蒼とした茂みの中から現れた。


「君がこんな技を使えるような選手だったなんて、情報になかったよ。」


 大げさに疲れた様子で岩に腰掛けた不審な男は、晴己はるきのことを知っているようだった。というか、知っていなければこんなところに来れるはずが無かった。それほどまでに奥まった場所に突如として現れた人物に、あくまで冷静な調子で晴己はるきが応える。


「その言い方から察するに、将皇しょうこう学園の人かな?」


「大当たり。将皇しょうこう学園 3年 ともえ 緋色ひいろ。軍師様の命に従って君たちの偵察に来たんだ。」


「包み隠さないねぇ。」


「嘘をつくのが苦手な性分でね。」


 ともえ 緋色ひいろと名乗った偵察兵は、晴己はるきのことを注意深く観察するでもなく、どこからか取り出した扇子でパタパタと顔をあおいでいた。あまりに相手からのアクションが無いために、耐えきれなくなった晴己はるきが問いかけた。


「よくこんな場所が分かったね。」


「ほんとにね。うちの軍師は優秀で助かるよ。」


「会話したことも無い相手の秘密の園を明かすだなんて、優秀では済まされないレベルのことだと思うけど。」


「深く考えたら負けだよ。ただひたすらに幸運な人なんだ。」


「そうなんだ。」


 また沈黙が流れる。ともえはまとわりつく湿気を追い払うように、しつこく扇子をあおぎ続けている。そんなともえに涼しい空間を少しおすそ分けしてあげると、「こりゃ良い」と喜んでいた。


「この技を仲間にも使ってあげようとは思わなかったのかい?」


 その問いに、晴己はるきはわずかに緊張を示した。それを察したともえが、「答えたくないなら答えなくていいんだけどね」と言う。


「誰にだって、話したくないことの一つや二つ、三つに四つとあるもんさ。」


 偵察に来たとまで言うものだから、こちらの感情の機微から情報を搔っ攫っていくのではないかと思っていたが、どうやらそんなことはないらしい。振り返ってみれば、そもそもこの男は情報収集に乗り気ではなかった気もする。そうなってくると、彼が何のためにここに留まるのかが気になってくる。


「君は、何をしに来たの?」


「ただの偵察のつもりだったんだけどね。今は君と話すことが目的になってるよ。」


「僕と?何で?」


「相手の全力を超えることが僕のチームのモットーだからね。君に力があると分かった以上、それを試合で使って欲しいんだよ。」


「随分と自分たちに不利なモットーを掲げているんだね。」


「全ては英熱えいねつを超える為さ。」


 ずっと何を考えてるのか分からなかった彼の熱が、その言葉からチラついた。そのことから、もしかしたら自分が思っている以上にちゃんとした目的を持っている人なのかもしれないと思った。先ほどまでの沈黙も、もしかしたら僕を説得する方法を模索した結果なのかもしれない。


 掴みどころのない人間だと思っていたものの正体が、ただの不器用な人間なのだと分かった途端、微笑ましい気持ちになった。必死に扇子であおいでいた姿も、頭の熱を冷ますためだったのかもしれないと考えたら、面白くなってきた。だから、少し意地悪なことを言ってしまった。


「君の話したくない話をしてくれたら、僕の話もするよ。」


 相手の目的を逆手にとって、弱みを吐き出させようとする行いに、我ながら酷く幼稚だと思った。だから、彼が返答に困ったようだったら答えなくていいと返すつもりだった。けれど、彼はむしろ嬉々とした表情で自分の歪みの話をし始めた。


「そうだね。例えばこんなのはどうだろう。僕はある人から『ヒーロー』というあだ名で呼ばれているんだ。僕の名前の緋色ひいろからひらめいたらしんだけどね。それでね、普段は『似合わないからやめてくれ』って言ってるんだけど、実はその人にそう呼ばれるのが嬉しい自分もいるんだ。」


「ちょっと待ってよ。ただの微笑ましい話じゃないか。」


「いや、そうでもないよ。だって、僕はその人に部長という責任を押し付けたのだから。それも、彼がその座につくことに大きな反発があると分かったうえでね。」


「それは……。どうして?」


「彼に苦しんでほしいと思ったんだ。そして、それを克服してほしいって。そうしている彼が、一番輝いていると思ったから。」


「その人は君のことどう思ってるの?」


「変わらず、『ヒーロー』って呼んでくれるよ。むしろ、感謝される始末さ。僕のせいで苦労したのにね。」


「……そう。」


「どうだったかな?君の秘密に値する話だったかい?」


「十分すぎるよ。」


 むしろこちらの話が足りないまであると感じながら、晴己はるきが話を始めた。


「僕の技は、敵と味方の区別がつかないんだ。」


「ほう。」


「僕は、自分が最も輝ける術を探さずにはいられないんだ。自然も、人も、何もかもが自分を彩る素材に見えてしまう。きっとその気質が技に影響しているんだと思うんだ。けれど、その欲に従ってしまうと、奇跡的なバランスで成長していっているみんなの輝きを濁らせてしまう。だから、その輝きを消さないように技を使うことを控えてたんだ。」


「なるほどね。美しい自己犠牲だ。」


「身から出た錆を自分で処理してるだけだよ。」


「誰かの為を思う善意が無ければそれもしないんじゃないかい?」


「確かにそうかもね。」


 その返答に、ともえは満足そうに微笑んだ後、突き刺すように言葉を発した。


「ただ、その善意が、必ずしも善行を伴うとは限らないんじゃないかな。」


「え?」


「風の強い日に、倒れた自転車を起こしてあげるようなものさ。きっかけが善意であっても、その行動が善である保証はどこにもない。」


「何が言いたいのさ。」


「技を使ってしまえばいいんじゃないかな。」


 なんて無責任なことを言うのだろうと思ったが、彼の目的は、僕に技を使わせることだったと思い出した。


「そう言われて、僕がそうすると思うかい?」


「しないだろうねぇ。だから、最後に一言だけ添えて、帰るとするよ。」


 そう言ったともえは、ゆっくりと腰を上げ、悠長に伸びをした後、1つの言葉を残していった。


「人は、自分の直感的な判断を正当化するように理性を用いる。」


 その言葉は、晴己はるきの理屈だけでなく、この世に存在する全ての正しさが飾りだと言っているかのようだった。


 そして、善と悪の境界を漂うように、カタカタとヒーローは去って行った。


 晴己はるきは、その背中をただ見送ることしかできなかった。

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