第9話 理不尽に屈するぐらいなら

 前半終了まで残りわずか。日元ひもと まことは楽しんでいた。


 勇牙ゆうが義一ぎいちに止められたことによって、どちらのチームも点が取れない膠着した状態が続いていた。その状況を打破するべく戦術家の灯理ともりが立てた作戦が、義一ぎいち潰しだった。勇牙ゆうがを温存し、俺を義一ぎいちにぶつけ続けることで消耗させるという作戦だ。


 時折、他の相手が作戦を妨害してくることもあったが、それでも俺と義一ぎいちが対面した回数は100を超える。いつまでも途絶えることのない攻撃による精神的疲労も相まって、まだ前半でありながら、義一ぎいちの疲労はピークに達しようとしていた。


俺もある程度疲労が溜まってきていたが、そんなことよりも、明確な役割を持ってチームとして戦えることが嬉しかった。


「もう一本!」


「しつけぇんだよ……。さっさと……諦めろよ……!!」


 「ぜぇ、はぁ」と息を切らしながら義一ぎいちが文句を言ってくる。


「一体……何回止めてると思ってんだ……!折れろよ!諦めろよ!てめぇに才能はねぇんだよ!」


「仲間がいるんだ。諦めるわけにはいかない。」


「強いやつらに縋ってるだけだろうが……!肩並べてるとでも思ってんのかよ……!」


「思ってない。だから諦めてないんだ。」


「ハッ…!ほざくなよ。そいつらが負けたら、てめぇは諦めるだろうが……!!所詮寄生虫でしかねぇんだよ!!肩並べられる日なんざ……一生、来ねぇんだよ!!!」


 俺への苛立ちだけではない。義一ぎいち自身の人生を吐き出すかのような罵倒に、手を差し伸べたくなった。


「仲間が負けたら、今度は俺が引っ張る。」


「無理に決まってるだろ……。」


「無理なだけで止まれるほど、俺は賢くない。」


「……説得力が違うねぇ。」


 先ほどよりも語気の弱い皮肉に、ただ放たれた言葉に反応するだけの無意味な言葉だと感じた。


義一ぎいち。」


 軽口を言い合う暇はないと、会話を区切るように名前を呼ぶ。


「お前も止まれなかったんだろう?」


 この俺の言葉に義一ぎいちは答えない。


勇牙ゆうがが、仲間が進み続けるから、お前も止まれなかったんだろう?」


「違う。」


「ならなぜここにいるんだ。」


「うるせぇ。」


義一ぎいち。」


「うるせぇ。」



「後悔だけはするなよ。」



 論破でもされると思っていたのだろう。想定外の言葉に義一ぎいちは面食らった様子だった。そんな義一ぎいちを呼び戻すように、勇牙ゆうがのシュート音が鳴り響く。


 反応が遅れた義一ぎいちはなんとかゴールを守ろうとするが、その健闘もむなしく、ボールはネットを揺らした。


1-0


 前半戦終了を知らせるホイッスルが鳴り響く。


・・・


ハーフタイム


 白狼はくろう 義一ぎいちは揺らいでいた。前回のように、心を見透かしてるかのごとく理詰めされるのだと思っていた。もしそうであったなら、先ほどから脳裏をよぎるノイズと共に一蹴してやるつもりだった。


(後悔だけはするなよ。)


 苛立ちしかぶつけず、夢を否定してくる人間に、なぜそんな言葉がかけれる。勇牙ゆうがからの失点を防ぐこともできず、もはや何のためにここにいるのかが分からなくなっていた。


 目的が打ち砕かれ、失意のままに立ち尽くす。あの日と何も変わらない自分の行動に嫌気がさした。


・・・


 勇牙ゆうがが鮮烈な覚醒を果たしたあの日から、チームは全国を目指すようになった。全国出場計画は、俺主導のもと精力的に進行した。チームの強化だけでなく、自身の強化ももちろん怠らなかった。相変わらずシュート技ばかりを練習する勇牙ゆうがと毎日のごとく衝突しながらも、俺の心は晴れやかだった。


 きっと、勇牙ゆうがという目標ができたからだろう。凡人でも努力すれば強くなれる。自身よりはるかに格下だった勇牙ゆうがが、ことシュートにおいては俺を遥かにしのぐ力を身に着けたのだ。


 他のチームメイトも俺と同じく、自身の未来を信じて練習に励んでいた。勇牙ゆうがは凡人であったがゆえに、凡人たちの光となったのだ。


 俺は勇牙ゆうがに対抗するようにディフェンスの練習に励んだ。攻守ともに優れたチームにしようと思った。正直な話、今までチームを率いていた者としてのプライドから守備だけは譲らないと考えていたのは否めない。幸い守備に適性があったようで、勇牙ゆうがと俺の小競り合いを挟みながらも、俺たちのチームは着実に力をつけていった。


 去年、時間が足らず敗れた関東で2位のチームを圧倒できるぐらいに強くなっていた。チームの全員が、現実味を帯びていく夢に胸を躍らせていた。


・ ・ ・ ・ ・


 2年生の夏、やる気に満ち満ちた俺たちを迎えたのは、残酷な現実だった。予選一回戦、対峙した相手は、前年全国優勝校の英熱えいねつ高校だった。はなぶさ 天勇てんゆう率いる精鋭集団を相手に、俺たちは手も足も出なかった。苦し紛れに俺がはなぶさに放ったシュートも、片手をかざされるだけで一瞬にして霧散してしまった。


 何が起きたのかは分からなかったが、弱いシュート用の消耗が少ない技を使ったのだろう。俺のシュート練習は実らなかったのだからそんな扱いになるのも頷ける。だが、勇牙ゆうがに繋ぎさえすれば。あれから更に練習を重ねた勇牙ゆうがなら。


 そんな全員の想いが繋がったのか、不完全な形ではあったものの、勇牙ゆうがまでパスが繋がった。苦しい態勢で勇牙ゆうがが放ったシュートは、キーパーにすら届かず、ディフェンスによって止められた。


 全く手ごたえがないように見えた。現実を見ないようにしていた。苦し紛れでなく、完全な形であれば。ディフェンスが強いだけで、キーパーだけであれば。自分の信じた光が消えないように言い訳を重ねた。


 すると突然、言い逃れができないほどに完璧な形で、勇牙ゆうががボールを保持した。いや、保持させてもらっていた。相手が何もプレッシャーをかけてこなくなった。

 

 意図を理解した勇牙ゆうがは激高し、上空から渾身のシュートを放った。性格の悪いやつがいたのだろう。ディフェンスの妨害は一切なかった。俺たちの希望を乗せたシュートが、完璧な形でゴールへ向かっていく。猛然と襲い掛かる鋭牙は、はなぶさが片手を添えた瞬間に霧散した。俺に使った技で、俺が放ったシュートのように、いとも簡単に消し去った。


 呆然と立ち尽くしていた。自分の力が通じなかったとき以上の絶望を感じた。勇牙ゆうがが9年間練習してようやくこの技に辿り着いたことを知っていた。関東で2位の実力を持つ人間たちを蹂躙できるだけの技に辿り着いたことを知っていた。全員が勇牙ゆうがに自身の未来を投影していた。努力は報われる。そう思っていた。


 はなぶさも俺と同じ高校二年生。同じ年月を生きてきたはずだ。なのにあいつの前では、勇牙ゆうがの9年も、俺の1年も同じだった。


 勇牙ゆうがが俺より才能が無いなんてことはないはずだ。俺が手も足も出ない関東2位のチームを、勇牙ゆうがは蹂躙することができるのだから。シュートに関して言えば、俺と勇牙ゆうがの間には、しっかり地続きで8年分の途方もない差があるはずだ。


 その差は、はなぶさの前では何の意味も持たなかった。初めて、天才と凡人では生きている世界が違う、という言葉の意味を真に理解できた。もし俺の隣に、とてつもなく努力した未来の俺がいたとしても、天才にとってその差は取るに足らないものなのだろう。俺の知っている尺度では測れない世界で生きているとしか思えない。無謀な挑戦だったんだ。


 抗う気力を失った俺をよそに、なおも差し出されるボールを勇牙ゆうがが蹴りこむ。何度も、何度も何度も。


もう、やめてくれ。


俺はもう、戦えない。


・・・


 あの試合が終わった日から、俺は部活の方針を、エンジョイを主軸としたものに変えた。勇牙ゆうが以外の仲間はそれを受け入れてくれた。ただ一人、勇牙ゆうがだけが挑戦を諦めてなかった。9年でダメなら10年、それでダメならもっと、と言わんばかりに。


 勝てるはずがない。そう自分のなかで決着のついた事柄に、もし勇牙ゆうががこの先天才に勝ったらというノイズが走る。その瞬間に胸を張って立ち会えなかったとき、挑戦は泡と消え、逃げが愚かな行為だと自覚することになる。心の底から後悔する。だが、天才に挑むのは足が止まる。


 こんな複雑な感情から逃れるために、俺は勇牙ゆうがを敵視した。勇牙ゆうがの強さに縋りついた。


・・・


現在


 うちのクラブの監督が、格上に勝つ秘策があると言い出した。鼻息荒く取り出したその秘策は、小さな瓶に入った液体だった。人間の全機能を向上させる秘薬らしい。


 これを使えば天才どもにも勝てる。その文言を鵜吞みにし、続々とメンバーが瓶を手に取る。俺も投げて渡された瓶を反射的にキャッチする。


 ……この液体を飲んで奴らに勝てたとして、それは本当に勝ちと言えるのか?相手の才能に屈し、自身の才能を諦めたことを認めているようなものではないか。


 俺も一度は才能という理不尽に屈した。自身と天才との差に絶望し、未来を諦めた。その上、仲間の夢まで否定しようとした。許されない行いだ。


 もう元の楽しかった環境に戻ることはできないだろう。元に戻れないのなら…。


 試合が始まる前の俺だったら、そう自暴自棄になってこの液体を口にしていただろう。だが今は、


『後悔だけはするなよ』


 まことの言葉が耳から離れない。俺よりも才能の差を感じているはずのあいつは、絶望するどころか他人を思いやってきやがった。まことがあのチームに受け入れられた理由が分かった気がした。


 例え才能が無くとも、誰かの光になることができる。こんな俺が、再び光に憧れるなんて都合のいい話かもしれない。それでも、周りの人間がどうしようとも、


理不尽に屈するぐらいなら、理想に殉じてやる。


 劣等感の結晶を地面にたたきつけ、才能がはびこるフィールドへ、一歩を踏み出した。

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