第23話 暴走

 海人かいじん じょうは、海に呑まれた。


 試合開始直後に見せた必殺の一撃を再び放とうとする仲間をよそに、自分が別人になっていくような感覚に襲われていた。その恐怖すら飲み込むほどに力が暴走していく。


オレヒトリデイイ


 じょうの足元から溢れ出す海はみるみるうちにスタジアムを埋め尽くし、巨大な水槽にしてしまった。


じょう!?」


 協力技の構えを取っていた仲間がじょうの異変に驚いている。敵である神住かすみたちも別の意味で驚愕していた。まだ上があるのかという驚きが。

 大水槽内にいる各人の周囲には、己の心の海が渦巻いていた。多種多様な世界がある中で、じょうの周囲だけが深海のように暗く静まっていた。

 大技の予兆を察知した神住かすみが技を構えたと同時に、スタジアム内が深海の闇へと包まれた。じょうの海が、全員の海を飲み込んだのだ。視界が奪われ、体も水中の浮力で上手く動かせない中、強大な何かが迫りくることだけが理解できた。深海の闇で見えないはずのものが知覚できた。けれど、知覚できたはずなのに何も分からない。技を分析できずに負けること以上に、根源的な恐怖の感情が沸き上がった。それはまるで、禁足地へと足を踏み入れ、神の怒りを買ったときのような絶望だった。


深淵なる理想郷ディープニライカナイ


 神はこの世界に存在しないのではない、出会った時点で記録すら残すことを許されないから神なのだ。自分の想像をはるかに超えた強大な力を前に、神住かすみはそう悟らされた。


1-1


 会場が静まり返るほどの冷たい得点が入った。



・・・



 得点が入ったというのに、何の感慨も湧かない。この試合に勝たなければいけないということは分かる。ただ、何か大事なものが飲み込まれてしまったような気がする。でも、勝てるならこれでいいんだろう。


じょう…。どうしたんだ?」


「どうした…とは?」


「いや、明らかに様子がおかしいだろ!」


「そうか。」


「そうかって、それだけかよ…?」


「勝てるなら多少様子が変でもいいだろう。」


「多少って…。でも勝たなきゃいけないのはそうなんだけど…そうじゃなくって…!!俺達でも何か助けになれないかって…。」


「心配せずとも大丈夫だ。俺がやる。」


「っ!!」


 奪うべきボールと狙うべきゴールだけを見ながら話をした。一番強い俺が点を取って勝つ。それはチームの為にもなるはずだ。何も間違ったことは言っていない。けれど、なぜか心がざわつく。大事な何かが心に引っかかる。いや、どうでもいい。全ては勝った後で…。俺は、何のために勝とうとしているんだ?



・・・



 百福ひゃくふく きずなは焦っていた。


 確実にこのままでは負ける。そしたら全てが終わってしまう。どうしたらどうしたら…


百福ひゃくふく。力を貸せ。」


 そう声をかけてきたのは神住かすみだった。


「力を貸せって、そんな急に言われても。」


「お前ならできるだろ。」


「何を根拠に。」


「さんざん俺のことを付け回してきてたお前なら、俺の技に合わせることもできるだろ。」


 確かに、このチームで神住かすみの技を見続けてきたのは私と吽犬うんけんぐらいのものだろう。いや、神住かすみのことだから吽犬うんけんにも技を見せていないかもしれない。だとしてもだ。私が神住かすみの技に合わせられるかは別の話だ。私の実力が神住かすみに追いついているとは思えない。

 そう反論しようと神住かすみのほうへ顔を向けると、神住かすみからは確固たる信頼のまなざしが送られていた。大して長い仲ではない。しかも仲良しこよしというわけでもなかった。めんどくさい論争を吹っ掛けられることもしょっちゅうだ。けど、それでも私を信頼してくれるというのなら。


「分かった。やろう。」


 このまま戦っても負けるだけなんだ。それなら、少しでも未来のあるほうに賭ける。 仲が良いわけではないし、なんなら嫌われてるまであるだろう神住かすみが信じてくれるということは、純粋に私の力を信頼してくれているということだ。やってやる。こんなところで終わってられない。



・・・



 神住かすみ 天地あまつちは落ち着いていた。


 とても手の届かない神のような存在が相手だと思った。けれど、海人かいじんが仲間と話している姿を見てホッとした。あいつもただの人間だ。かつての俺がそうだったように、誰かのためを謳いながら自分を追い込んでしまう脆い人間だ。その脆い信念の上で成り立つ強さの末路を、俺は身をもって知っている。その先に前が笑える未来はない。


 とはいえ、現状海人かいじんは最強だ。ただ、活路が無いわけではない。さっき海人かいじんの技に飲み込まれた時、他の人間の心を覗けるているような感覚があった。技は、自分とせいぜい味方を強化するだけで十分なはずなのに、俺にまで謎の能力が付与されていた。それも含めて技だと言ってしまえばそれまでだが、その心を覗く力が、海人かいじんの言動ととてもよく繋がる。もしかしたら、海人かいじんは力を制御できておらず、だれかれ構わず自身の特殊能力を付与しているのかもしれない。それはそれで神業だが、今はいい。

 

 唐突に付与された能力を扱えなかった俺たちは、海人かいじんの心の海に飲み込まれた。けれど、もしそれに飲み込まれていなかったらどうだ?もしかしたら、何か希望が見えるかもしれない。そのためには、1人で戦おうとしないこと、もっと厳密に言えば、海人かいじんの存在を意識しすぎないことが大事なんじゃないか。そう考えた俺は、百福ひゃくふくに助力を求めた。一度も技を合わせたことのない相手と技を合わせるなど空前絶後の難易度だ。だが、だからこそ隣にいる相方を意識せざるを得なくなる。もちろん技が不発に終われば意味はないが、やらないよりかははるかにましだろう。百福ひゃくふくの全力と俺の全力が嚙み合いさえすればいいんだ。


「手加減はいらないからな、百福ひゃくふく!!」


「余計なお世話だよ、神住かすみ!!」


 ガン、と拳を合わせ、余分な情報を遮るように目を閉じる。ぐんぐんと上昇していく黄金のエネルギーに飲み込まれないように刃状のオーラを高めていく。今にも対消滅しそうな危うい合技は、まるで2人の関係性を示しているかのようだった。良家の出であり、将来を期待され、その道から逸れた2人は、同じ境遇であるがゆえに仲良くすることはできなかった。相手との馴れ合いが、そのまま自分の過去に対する妥協となってしまうから。そんな2人が唯一通じ合うものが、敬意。互いの生き様への敬意だけが、今この瞬間彼らの合技を支えていた。未完成、されど1人では辿り着くことのできない境地に至った技が、孤独な神と激突する。



・・・



 ゴーグル越しに淡い光が見える。こちらの技をわずかばかりにこらえながらも、徐々に飲み込まれていく光。その光を飲み込むにつれて、その発生源となっている人間の深層心理が流れ込んでくる。


『飲み込まれる。』


キミハカテナイ


 そう応えると、先ほどまで内側に向かっていた男の感情がこちらに向いた。


『いつもこんな景色を見てたのか。』


ソウダヨ


『誰も本当の意味で理解なんてできなかっただろうな。』


ソウダヨ


『なのに自分は他人のことを気にかける。あんたは1人じゃないって。』


オレハ


『でも俺は1人ですよ~ってか。ふざけるなよ。』


ホントノコトダヨ


『勝手に1人で背負い込んで、自分から1人になってるだけだろ。』


ドノミチリカイサレナイ


『じゃあ今俺たちが見てるこの景色は何なんだ。同じ世界が見れてるじゃないか。』


ワカラナイ


『怖かったんだろう、心の奥底を覗くのが。そして、自分の心の奥底を覗かれるのが。』


ヤメテ


『もう手遅れだ。俺はお前の闇に飲み込まれて、お前は俺の光を食らう。避けようも無く奥底を知れてしまう。』


イヤダ


『さあ衝撃に備えろよ。』


イヤダ


『今度は俺が救う番だ。』


エ?


 淡い淡い光を飲み込んだ先にあったのは、冷たい海の底で感じるマントルの熱のような温かさ。忘れていたものよりもずっと深い温かさがそこにあった。それは、俺に1人になることの恐怖を思い出させてくれた。


『お前は1人じゃない。』


 そうだな。あんたはそう言うよな。でも、他の人がそうかは分からない。俺の仲間は良い人ばかりだ。善意には善意を、悪意には悪意を返してくれる良い人。だからこそ、皆がいる海面のほうを見続けて、1人で深淵へと突き進むのを拒んだ。

 全てを失う覚悟で突き進んだのに、それすらできなかった。中途半端な俺に返ってくる感情は知れている。こんなことなら、人の温もりなど忘れたままでいたかった。……まだ、みんなとサッカーがしたい。



・・・



 鏡が割れるように暗黒が砕け散った。


「なんだ!?どうなった!?」


「不発だ!!セカンドボール!!」


 零れ落ちたボールをまことが即座に拾う。海人かいじんは項垂れながら立ちすくんでいる。違うだろ。そうじゃないだろ。


まこと!よこせ!!」


 お前が言ったんだろ、仲間の顔を見ろって。1人で終わった気になってんじゃねぇよ。


蒼海そうかい高校!!俺が相手だ!!全力で来い!!!」



・・・



 神住かすみがでかい声を張り上げてる。俺に戦えと叫んでいる。まるで、1人になるなと言っているようだ。そんなこと言われても、もう1人になる道を歩き始めてしまったんだ。自分でどうにかできる段階じゃない。けれど、今はまだ俺は1人じゃない。この先島中の人たちに疎まれることになろうとも、仲間から嫌われようとも、今はまだあんたがいる。ならせめて、最後の時間を精一杯楽しむとしようか。


「おおおぉぉぉらああああ!!!!」


 そんな俺の諦観を薙ぎ払うかのようにFWの大人だいじん神住かすみへ突撃した。チームの中でも一番単純で、義理人情を重んじる男が全力で突っ込んでいった。DF技など微塵も使えない大人だいじんは、一瞬で神住かすみに吹っ飛ばされてしまった。そんな大人だいじんに続くかのように次々と仲間たちが飛び込んでいく。GKすら飛び出していた。


じょうに辿り着くまでに可能な限り削れ!!じょうの為に命を燃やせぇ!!!」


「なんで…。」


「なんでもくそもあるかぁ!!お前がなんかごちゃごちゃ考えてんの俺らにもちゃんと見えてんだよ!!あの程度の言葉で俺たちがお前を見捨てる訳ねぇだろうが!!」


 神住かすみだけでなく、あの空間にいた全員がダイバーの力を持たされていたのか。本当に余すことなく全部知られて……それでも受け入れてくれた。仲間を信じることも、自分の決意を突き通すこともできなかった半端者の俺を許してくれた。


「俺たちはとっくにお前という漢に惚れちまってんだよ!!!だから、頼むから諦めないでくれ!!!」



「俺たちもまだお前とサッカーがしたいんだよ!!!」



 ぐだぐだ考えて馬鹿みたいだ。こんな最高の仲間がいるのに何が1人になるだ。悲劇のヒロインぶって楽しんでんじゃないやい。

 心を覗いただけで全てを分かった気になっていた。今までの経験から変化を推測していた。でも、自分の言動に相手の心がどう呼応するかなんて推測できるわけがなかった。なら、今この瞬間この灼熱を仲間と共に生きようじゃないか。それが俺たち、蒼海そうかい高校だ。


「勝負だ!!海人かいじん じょう!!!」


「かかってこいよ!神住かすみ 天地あまつち!!!」


 散らばった仲間たちから昇る極小の木漏れ日が交錯する。合わさった日の光は、太陽に負けじと天高く光の柱を突き立てた。灼熱の日の光で鍛え上げられた剣を、海の化身が手を蒸発させながら握りしめる。


交わる青春サンセットクロス


 太陽の剣と十字架の剣の衝突は、激しいつばぜり合いを引き起こした。周囲の人間に救われ、自分を見つめ直す機会を得た2人。ほぼ互角の2人の戦いの勝敗は、勝つことへの意志が決まりてとなった。負けたくなかったじょうに対して、完璧に勝たなければいけなかった神住かすみ。削られてなお互角を維持できた神住かすみの力が、じょうをわずかに上回った。


2-1


 敗者側一回戦

勝者 FC vanguard

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