第22話 天変地異

「じゃあ、天地あまつちくんはうちで責任もって預かるから、そらちゃんも無理しないでね。」


「うん、気を付ける。何から何までありがとね。」


 神住かすみの母、神住かすみ そら獅子神ししがみ家の玄関にいた。天地あまつちが意識を失っているうちに、天地あまつちの屋敷追放が決まったからだ。病院へ赴くことを許されず、屋敷で休むことも許されなかった結果、獅子神ししがみ家へと行きついた。故意でなかったとはいえ、阿狛あこま君を傷つけた張本人を預かってくれなどと厚かましいにもほどがあるとは思った。けど、しょうがなかった。ずっと屋敷で生活してきた私には、選択肢がなかった。


 幸いにも獅子神ししがみ家の面々は、快く天地あまつちのことを受け入れてくれた。どうやら、阿狛あこま君から直接連絡があったらしい。「当の本人が自分のせいだと言うのなら私たちからは何も言うことはない」と、阿狛あこま君への信頼が伺えた。


「母さん?」


天地あまつち…」


 やることを終えて家を出ようとしたところ、2階の寝室から天地あまつちが下りてきた。今の天地あまつちにとって、私のする行動の全てが毒になると思っていた。屋敷を変える為に天地あまつちと別れることも、屋敷を出て天地あまつちの側にいることもどちらも、ただ天地あまつちの自責の念が増大してしまうだけだと思った。だから、最後に別れの言葉を残すことすら息子の為にはならないと思い、さっさと家を去ろうとしていた。けれど、それは間違いだった。こんな思いつめた顔をしている我が子を置いて去ることなんてできない。

 

 たくさん背負わせてごめんね。力になれなくてごめんね。謝罪の言葉は無限に湧いてくる。けれど、そのどれもが天地あまつちの為にならない。自分がすっきりするためだけの言葉でしかない。今、天地あまつちにかけるべき言葉は……


「私の為にずっと頑張ってくれてありがとう。」


 もう膝をつかなくても目線が合うようになった息子にそっと近づき、感謝を伝える。見開いた目を落ち着かせるように、ゆっくりと頭をなでる。少し癖のある髪が小気味良く手を押し返してくる。


「でも…俺は…。」


「分かってるよ。誰が何と言ったって、あなたは自分のことを許さない。きっとこの先も、過去を思い返して自分を痛めつけるのでしょう。」


 無言の天地あまつちを撫で続ける。初めて2人で奥屋敷に入った時のことを、無理して頑張ってた頃を、そして今日のことを思い返しながら撫で続ける。


「そんなとき、1つだけ思い出してほしいの。」


 屋敷生活の中で、ずっと伝えたいと思っていたことがある。


「失敗も成功も、恥も魅力も全部含めて、あなたの生き様ごとあなたを愛してる。」


 天地あまつちの目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。それでいいんだよと、優しく抱きしめる。


「あなたがあなたを許せる日まで、私が私を許せる日まで、少しだけ遠くに行ってくるね。」


「……うん。」


「元気でね、天地あまつち。」


 そして、私はいったん天地あまつちとお別れした。あの子がまた心の底から笑えるような世界にするために、覚悟を決めた。



・・・



 あれからざっと一年ぐらい。高校二年生の終わりごろの話。神住かすみは廃校舎の校庭でいつものようにボールを蹴っていた。また同じ悲劇を繰り返さないために、定期的に力を解放することにしていた。ときどき苦しみながら、自分を痛めつけるようにボールを蹴り続けた。


「良いシュートを打つね。」


 不意に声をかけられて驚き振り向く。暗くてよく見えないが、どこか育ちのよさそうな人間がそこにいた。


「君、もしよかったら私のチームに入ってみないかい?」


 素性の知れない男は、突拍子もない提案をしてきた。なんなんだこいつは。


「…誰だ?」


「おっと失礼した。私は百福ひゃくふく きずな。新しいサッカークラブで一緒に全国優勝を目指す仲間を探しているんだ。」


 「どう?一緒にやらない?」と、こちらの顔を覗き込んでくる。百福ひゃくふく…。良いところの坊ちゃんか。こんな場所にいる人間誘って全国優勝だなんて、金持ちの娯楽以外のなにものでもなさそうだ。


「やら…」


「まぁまぁ返事は焦らなくていい。今日はあいさつ程度のものだからね。いつもここにいるのかな?また明日も来るね。じゃあまたねー!」


 「やらない」と言い切る前に、百福ひゃくふくはどこかへ行ってしまった。人間ってあんなに早口でしゃべれるものなんだな。…なんなんだあいつは。


 

・・・



 あれから毎日百福ひゃくふくは現れた。そして、俺が誘いを断ろうとする瞬間に去って行った。変な奴だとは思ったが、たまに気が向いたときには会話をすることもあった。ある日、流れで気になっていたことを聞いてみた。


「なぜこんなことをしてるんだ?」


「…半分は自分のため、半分は大切な人たちに報いるため、かな。」


 それを聞いて、ただの娯楽ではなさそうだと考えを改めた。でも、また誰かと楽しくサッカーをしてる自分を許せる気分にはなれなかった。と、今日も誘いを断ろうとしたら、百福ひゃくふくはどっか行ってしまった。



・・・



 ある日、獅子神ししがみ家全員学校や仕事で家を空けているとき、誰かが家のインターホンを押した。とりあえず誰が来たのかだけ確かめようとカメラを見たら、そこには阿狛あこまがいた。


阿狛あこま?」


『あ、神住かすみさん。お久しぶりです。元気ですか?』


「そんなことより何で…。俺との接触は禁止されてるんじゃないのか?」


『あ~、まあいろいろあって、銀河さんが見張りを蹴散らしたりとか~、ま!久々に話せたならいいじゃないですか!』


 なんだか不穏なワードが聞こえたが、そこを掘り下げる以上に大事なことがある。見た目の割には軽症で済んだそうだが、それにしても痛々しい額のあざ。


「ごめん。」


 あの日からずっとため込んでた言葉が漏れた。もっと誠意を尽くした謝り方があるだろうに、それを考えるよりも先に言葉が漏れた。


『こちらこそすいませんでした。神住かすみさんに俺の理想を押し付けてしまいました。』


「何を…!阿狛あこまが悪いことは何もないだろう!理想を押し付けるも何も、俺がただついていけなかっただけだ。阿狛あこまの屋敷を変える努力は何も間違ってない。」


『いーえ、その努力の結果神住かすみさんが傷ついてしまったら意味が無いんです。理想に囚われたばかりに周囲が見えてなかった俺の落ち度です。』


「だから…」


 やいのやいのと相手を擁護し、自分の悪さを主張する不毛な論争が続いた。「ふ~む」と、決着のつかない論争に阿狛あこまが頭を悩ませる。すると、ピンときたかのように話し出した。


『鉄則そのいくつか!罪と善悪は別である!』


「なんだ?」


『分かりやすく整理しましょう。まず、神住かすみさんの罪は俺を傷つけたこと。これであってますね?』


「あってるけど…。」


『そして、俺はその罪を許しました。神住かすみさんが善か悪かは俺の主観で決まることなので、神住かすみさんは俺にとって悪い人じゃない。よし!!』


「勢いが…。」


『次は神住かすみさんの番ですよ!俺の罪は神住かすみさんに理想を押し付けたことです。この罪を神住かすみさんは許しますか?』


「もちろん許す。」


『ありがとうございます。次に、神住かすみさんにとって俺は善人ですか悪人ですか?』


「ずっと善人だよ。」


『そうですかそうですか。よし!!これでこの論争は終わりです。あとは自分自身との戦いですからね。』


「そうだな。」


 とても建設的な話し合いのようで、どこか力技な結論に笑いが漏れる。阿狛あこまもなんだか楽しそうで良かった。


「鉄則うんたらってのは何なんだ?」


『俺の掲げる「生きやすい世界」を作るための鉄則です。』


「そういえば言ってた気がするな。」


 いろいろと緩んだ空気のなかで、ふと気になったことがある。


阿狛あこまにとっての生きやすい世界ってなんなんだ?」


 屋敷に入った時から阿狛あこまは生きやすい世界を目指して頑張っていたが、肝心のその世界がどんなものかを聞いたことが無かった。俺の質問に対して、阿狛あこまはふわりと笑いながら応えた。


「また、神住かすみさんと吽犬うんけんと俺とでサッカーができるような世界です。」


 ドクンと心臓が脈打った。何か言葉を返さなければと思ったが、その言葉が出る前に阿狛あこまの携帯が鳴った。誰かに急いで帰ってくるよう命じられた様子の阿狛あこまは、スパッと別れの挨拶を済ませて去ってしまった。


 一転静まり返ったリビングで、考え事をしていた。思いに応えることと、自分を許さないことは両立できるのか。自分を許してしまえばいいのではないか。自分を許して、楽しくサッカーをすればいいじゃないか。…それで済むならこんなことにはなっていない。ただ1つ確かなことがある。俺は、サッカーをしなければならない。



・・・



 あれからいろいろあった。吽犬うんけんをスカウトしに来た百福ひゃくふくと出くわし、俺の力は使わないという条件のもとチームへと加入した。僕として実績を残すことが、思いに応えることと、贖罪を果たすことの両立になると思った。


 だから今日、俺は結果を出さなければいけない。俺を支えてくれた全ての人に報いるために、勝たなければいけない。


神住かすみ~?大丈夫か~?」


 なのに今、俺は何も為せてない。誰の期待に応えることもできていない。


「もしも~し。神住かすみく~ん?」


 原因は全てわかっている。自分が自分を許せない。頭では進めと号令を出しても、魂がそれを阻害する。


「え、噓でしょ?俺声出てなかったりする?しないよね?」


 自分の周りの大事な人たちはみんな俺のことを許してくれている。一緒にサッカーをしようと言ってくれている。なのに、なんで……


「必殺!」


「ふぐぅお!?」


 突如、肛門からするどい一撃が突き刺さった。振り返ると、そこにはまことがいた。


「お前…いきなり何すんだ…。」


「小学生の頃の必殺技だよ。割と良いキレしてただろう?」


「今そんなことしてる場合じゃないだろ!」


「後半始まる前の今だからこそだろ。」


 意味が分からない。どんな状況でもカンチョウであるべき場面など無いのに、今だからこそな訳ないだろう。


吽犬うんけんのこと見てやれよ。」


 そう言われて隣にいた吽犬うんけんのほうを見ると、とても心配そうな顔でこちらを見ていた。


「それがお前のしたいサッカーか?」


「違う。」


 こんな顔をさせるためにやってるわけじゃない。苦しんだわけじゃない。


「じゃあ、神住かすみのしたいサッカーってなんだ?」


「……分からない。」


 何も分からない。ずっとそうだ。ぐるぐる考えるばかりで何も分からない。


「だけど……」


 筋道立てた理屈があるわけではないけど、それができるとも分からないけど、ずっと、ずっと、俺は……



「サッカーがしたい。」



 理想など無くても、俺はサッカーがしたい。初めて家族でボールを蹴った時のように、獅子神ししがみ兄弟と遊んでた時のように、全力で生きるまことのように、俺はサッカーがしたい。


「なら、手を貸すぜ。」


 「1人じゃサッカーはできないからな」と言うと、まことは満足そうにセンターサークルへと帰っていった。


神住かすみさん。」


 先ほどまでとは打って変わって決意を固めたような表情で吽犬うんけんが声をかけてくれた。


「やりましょう、サッカー。」


「あぁ、やろう。」


 そのために、今日ここで、トラウマを、自分を超える。

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