終わりと始まり

 

生きる気力が尽きた。



ピッ、ピッ、ピー



 ころころと転がしたボールがゴールラインを割ると、試合終了を知らせるホイッスルが鳴り響いた。十万人の観客によって作り出された沈黙の中、電光掲示板だけが48回目の俺のゴールをビカビカと称えていた。今日、このサッカースタジアムで行われたエキシビジョンマッチ、≪18歳の神童 日元ひもと まことVS世界選抜チーム≫は、「48-0」という驚愕の結果を世界にたたきつけた。呆然と立ち尽くす相手選手を横目に、俺は一人フィールドを去る。

 試合後の支度を済ますために入ったロッカールームには、現実をようやく咀嚼し終わった観客たちのどよめきだけがうっすらと響いていた。

 俺には夢があった。チームで優勝するという夢が。かつては死んだ母との約束を守るための夢だった。ただ、時が流れるにつれて救いを求めるようにその夢に縋るようになった。そうして辿り着いた結末がこれだ。この場には、前人未到の偉業を称えあう仲間はいない。憎まれているという以前に、存在しない。たった一人で、世界の名だたる選手たちを完封できてしまった。もうチームでの勝利を噛みしめることはできない。一人で勝てる俺とチームを組みたいやつなんていない。いたとしても、そいつは名声が欲しいだけのコバンザメだ。フィールドに溢れる熱を、勝負に賭ける思いを、俺と共有できる人間はいない。きっといつかそんな人間が俺を救ってくれると願ってた。そんな希望も今日、完全に潰えた。無意味に積み上げてきた過去と希望のない未来が、世界から色を奪っていく。

 そんなどん底の心境とは正反対の様相で一人の男が勢いよくロッカールームへ入ってきた。


「よくやった!!想像以上の出来だ!!」


 満面の笑みでロッカールームに入ってきたこの男の名は日元ひもと 影三かげみつ。俺の父親であり、日元ひもとグループの社長でもある。お父さんはとても嬉しそうに頷きながら、長々と話を始めた。


「お前が幼いころから掲げていた夢を叶えるために数多の時間と資金を費やした甲斐があったというものだ。これほどまでの偉業を成し遂げた人間を育てたとなれば世界中が私に助力を求めてくるはずだ。これから先お前も忙しくなるだろうが、ここまで育ててやった恩返しだと思って頑張ってくれ。」


 この男の言葉を咀嚼する気力など当然なく、長年の習慣に従うように首を沈める。言いたいことを言い終わったのか満足げに「自室に戻れ」と言うのでそれに従う。普段と違う自身の体調に、なんとなく、これがお父さんとの最後の会話になるような気がした。



・・・



 私服に着替える気力もなく、お父さんの指令のままに自室へ向かう。狭い部屋の半分以上を占める布団に倒れこみ、枕元の写真をつまむ。死んだ母と幼い自分が写っている思い出の写真だった。初めは心の拠り所としていたが、今となってはただの習慣の一つになっていた。枕で視界の半分が隠れている状態で、無気力に写真を見る。…これは何だ?本来母と自分が写っているはずの写真が真っ黒に染まっていた。ただ、何か行動をするわけではなかった。何も考えずにただその黒を見つめていた。

 はめ殺し窓から差し込む光が傾いたことによって、その写真がどこかの薄暗い空間を写していることが分かった。せっかく黒に溶け込めそうだったのに、異常現象すらも現実の世界から逃がしてくれない。そもそもこんな小さな異常現象を引き起こすぐらいなら、こことは違う別の世界にでも飛ばしてほしいものだ。また誰かとサッカーができるような、そんな世界へ。

 そんなことを考えながら写真を眺めていると、その空間の空気が感じられた。匂いや、光の加減など、感じられる情報が増えていくにつれて写真の世界の中へ引き込まれていくような感覚が加速していく。自室に満ちていた静寂という音すら聞こえなくなった時には、俺はその謎の空間に寝そべっていた。



・・・



 自室では聞こえるはずのない自然界の穏やかなアラームで異変を察知し、あたりを見回す。寝そべっていた薄暗い空間は、段ボールやブルーシートで囲まれた秘密基地のような場所だった。全体的に劣化した空間のなかで、壁にもたれかかる自室の写真だけが異様な輝きを放っていた。そこで初めて、あの写真の中に入り込んだのかもしれないと考えるに至った。

 自室の写真は徐々に輝きを失っていく。あの輝きが消えれば、もう元の場所には戻れないのだろうか。戻れなくなったとして、あの世界に何の未練があるというのか。ここがどこなのかはどうでもいい。自分のいた世界の別の場所だろうと、異世界であろうと。今はこの奇跡に縋っていたい。最後の救いを求めるように、俺はこの場所を後にすることにした。



・・・



 少し秘密基地周辺を探索してみると、ここが大きな自然公園の山の中だということが分かった。久々の澄んだ外気に自然と気持ちが緩む。進入禁止の柵を内側から乗り越えて、整備された歩道へ出る。目の前には、高いフェンスで囲まれた大きな運動場があった。

 興味本位で覗いてみると、広大な運動場には不相応な規模の集団がサッカーをしているようだった。体格はまちまちで、ずば抜けて大柄な人もいれば、小学生ぐらいの人もいる。平均をとれば自分と大差ない体格の人が多いため、高校生か大学生の集団なのだろう。

 しばらく彼らの練習風景を眺めて、諦めがついた。もしかしたら自分の夢が叶うような環境が待っているかもしれないと思ったが、そんなことはなかった。そんなうまい話があるわけないよな。朗らかに未来を諦めながら、最後に懐かしむように彼らを眺める。

 10人だけのその集団は紅白のビブスをつけ、5対5のミニゲームを始めた。自陣へドリブルしてくる人間の前に立ち塞がった人間が右足で力強く地面を叩いた。何をしているのだろうか。そう思ったのも束の間、踏み込まれたその右足からは力強い黄金の波が溢れだし、相手を飲み込んでいった。左サイドに散らされたボールに食らいついた燃え盛る少年は、地を焼き抉る勢いで敵陣へ走りこんでいく。もはや止まることはないと思うほどの勢いが、突如大地から湧き出た数多の緑の爆発によって消し飛んだ。天高く打ち上げられたボールは、下から迫る人間によって垂直に蹴り千切られ、アギトの形を成してゴールへ食らいつく。迫りくるアギトに対して毅然と立つ仁王像のような男は、ゴール後方に巨大な遺物のような門を召喚し迎え撃った。その門を荒々しくこじ開けた巨大な異形の手が大顎に掴みかかり、食い込む鋭牙をものともせず、その命を刈り取った。

 …唖然としていた。自身の常識を超えた事象を目の前に思考も感情も全て吹き飛び真っ白になっていた。真っ白な世界から最初に浮かび上がってきたのは、未知の現象への驚きでも、超常の力への恐怖でもない、純粋な希望だった。


 

また、サッカーができる



俺は無我夢中で希望の光へ駆け出した。

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